目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第40話 雷

 宗田そうだ千尋ちひろは、笑っていた。


 目の前で夜籠の剣が変化し、上へとはねあげられたからだ。


 あの、落雷のごとき剛剣が来る。


 狙い通り・・・・であった。


(そうよなぁ。その技で決めたい理由が多すぎる。いや、この俺が男であるとバレていれば、そちらの勝ちであった。だが、バレていなかった。ゆえにこちらの勝ち。まあ、これも兵法よ。とはいえ……)


 しなり、うねり、天空へ上った切っ先が、再び落ちて来るまで、ほんの一瞬。


 前進の勢いを殺さぬまま、千尋は、脇構え──体の右側から切っ先を後ろに向けるようにした構え──の剣の握りを確かめた。


(ここからだ。ここから、一手たりとも失敗はできぬ。お互いに・・・・──)


 ヒリヒリとしたものが、背筋を駆け上っていく。

 ゆえに千尋は笑うのだ。


 一歩ごとに、死地に向かうに等しい前進。

 だからこそ、千尋は思うのだ。


(さァ、ここが、命のぶつかる時よ!)


 状況が積み上がる時、むき出しの魂と魂とがぶつかり合う。

 千尋は、その時に上がる火花に心を奪われた、剣客人斬りである──


 一手。

 天へ上った夜籠の異形刀は、正確に千尋が進む場所、千尋がそこへ到達するタイミングで落ちて来る。

 脳天から叩き潰す、否、真っ二つに引き裂く一撃。神力を持たぬ千尋がそれを受ければまず間違いなく死ぬ。跡形も残らずに死ぬ。

 あまりにもありがたい。狙いは一切ブレていない。夜籠は見事に成功した。


 ゆえにこそ昂るのだ。

 千尋は昂りが剣を乱さぬよう細心の注意を払わねばならなかった。


 二手。

 千尋の剣はすでに始動している。脇構えから振り上げるように天を目指す。大上段で構えなかったのは、これから行うことにどうしてもある程度の勢いが必要だったからだ。それは、千尋が全力で前へ進む力を乗せ、全力で振らねば発生しない力である。


 三手。

 異形刀と千尋の刀、その切っ先同士がぶつかり合う。


(すさまじい力よなァ! これが、この世界の女の力。俺がやつらの肉に刃を刺し入れるには、この力を利用せねばならん! 刃を以てして斬れぬ者ばかりとは、まったくもって面白きちまたよ!)


 千尋の力では、神力に守られた手練れの体に刃を通すことができない。

 ゆえに、思考は『どうやって相手の力を相手に返すか』に帰結する。


 しかし今回の異形刀、布帯のごとく柔軟であり、受けた勢いで体を回してそのまま力の乗った剣を返すといった方法がとれない。


 そこで千尋がとった行動は──


 四手。

 ぶつかり合った一瞬あと、感触を頼りに、頭上で相手の刀を巻く・・

 いわゆる『巻き技』と称される動きである。鍔迫り合い、あるいはそこまで力を込めて剣と剣を合わせておらずとも、触れた相手の剣にこちらの剣で動きを加えることにより、相手の手から剣を落とすという技術。

 互いに刃と刃を見せあっている実戦において、武器を落とされるというのはすなわち『死』。

 しかしこの世界において、千尋が相手の武器を落としたところで、相手は腕力だけで千尋をくびり殺すことも可能。

 そもそもこのたび相手取る刃、布帯がごときものである。巻き技が刃から柄に力をかけて相手の手からこぼさせるものである以上、刃そのものがなびいて力を吸収してしまうような異形刀を落とすことは不可能。


 では、なんのための『巻く』動きか?


 五手。


 千尋、剛剣の勢いを巻いて、方向を変え──

 勢いそのまま、切っ先を、夜籠へと返した。


 敵の武器の制御を割り込んで奪ったのである。


 千尋の戦い、相手を殺す一撃は『どう、相手に力を返すか』に帰結せざるを得ない。

 だが肉体に相手の攻撃を通し、その勢いで己の刀を振るという技は不可能。


 であれば、剣をそのまま、相手のどてっ腹に返せばいい。


「な」


 夜籠は、短い驚きの声のあと、髪に隠れていない瞳を見開いた。

 制御の難しい刀である。だが、柔らかくぐねる・・・部分がすべて刃なだけに、相手に奪われる心配だけはなかった刀である。


 その刀が、否、己が必殺を期して放った技の威力が奪われ、本来地に落ちるはずであった『いかずち』が、真横に飛んで己を貫かんと迫るなどと、一体誰が想像できようか?


 その雷を真横に落とす技、夜籠をしてこのように思った。


「妖術──」


 口からこぼれた言葉は短く。

 しかし、その後の思考は、長い。


(違う。剣術だ。尋常にして凄絶精緻なる、きわみの剣術。……なるほど、私の敗因は──)


 長い。

 時がねばついたようにゆるやかに流れ、迫り来る切っ先が日差しを反射し白くきらめいている、その輝きがやけに目にちらつく。


(──剣を、見せすぎたこと。そして、相手の技術を侮りすぎたこと……最後は神力による攻防になると思い込んでしまったこと、か)


 ……ここよりはるかに文明が進み、科学なるものが世界の真理を解き明かす唯一の手段であると信じられた世界において、この『時がゆっくり流れているかのように感じられる現象』は、『オーバーレブ現象』と呼ばれる。


 この現象、別名──


 走馬灯そうまとうとも、称する。


「かッ」


 剣が防刃の外套コートを貫き、腹に突き刺さる。

 己の雷の威力で背後に吹き飛ばされる。その一撃、剣というよりは銃、あるいは砲のようなもの。

 そういった『速すぎる金属礫を飛ばす攻撃』は傷の大きさが小さくても生命にかかわる。なぜならば、速度と回転によって人体の中身をめちゃくちゃに引き裂くからである。


 当然、剣の切っ先がそういう速度で腹部に突き刺さったならば、致命傷であった。


「はッ……!」


 勢いのまま後ろに飛ばされ、仰向けに倒れ込みながら、地を滑ってしばらく進む。

 滑った先……


 倒れた夜籠に、影が差している。


 その影の正体は……


「……さ、かわ……?」


 酒匂。


 逆光になってどのような表情をしているかも見えない、夜籠が背に負っていた者であった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?