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第39話 応手

 遊郭ゆうかく領地『紙園かみその』。

 領主屋敷兼〝街一番の高級遊郭〟『紙園かみその大華たいか』。


 その高い建物の最上階からは、紙園のすべてが見えた。


 息まく人々。それを抑える人々。

 領地全体でうねり始めている熱気。


 第一くるわ内側で起こっている、戦い──


 領主酒匂さかわは、すべてを眺望できる部屋にいた。


 テーブルにはお茶を用意させ、砂糖菓子を置いている。

 一時は荒らしに荒らしまわった部屋だが、当然のように片付けさせているので、彼女の癇癪の残滓は何も残っていない。


 綺麗に整えられた部屋で、上等なお茶を飲み、砂糖菓子などみながら、戦う下々しもじもの様子を眺める──


 まごうことなき、支配者の仕草。

 上り詰めた女だけに許される悦楽。


 ……だというのに。


「……いるんだ、金色こんじき


 見下ろす戦いの場には、金色がいた。

 あの傷面の女。戦えもしないくせに、あの場にいる。


 なんて無駄なことを──と、鼻で笑う。

 鼻で笑いつつも、全然、楽しいとは思えない。


「……人には役割があるのよ。戦えないヤツが立っててもしょうがないどころか、邪魔になる場所だってある。天分がないのにしゃしゃり出ても、邪魔なだけでしょ」


 酒匂の言葉は、己を説得するが如きものだった。


 その言葉は真理である。

 あらゆる男装女優の上司として、この紙園を治める領主として、そう思う。経験に基づく真理である。


 ……だが。


「天分、役割……」


 酒匂。

 史上最高の男装女優。

 男の魂を持っていたが、天女の稀なる失敗により、間違えて女に生まれてしまった、『理想の王子様』。

 才能があり、天分があり、多くの者に男装女優として期待され、その期待に応え続けた、『男性』という天与の才能を持つ女。


 この紙園という特殊な場所でなければ、ただの『なよなよした弱い女』でしかなかっただろう。

 神力しんりきに乏しく、肉も骨も立派でない女が馬鹿にされず、それどころか崇められるような場所など、この紙園以外にどこにもないのだ。


 生まれるべき場所に、生まれるべき才能を持って生まれた、天女の寵愛を受けた女。

 それこそが、男装女優にして、遊郭領地領主の酒匂である。


「…………あは」


 酒匂は、笑った。


「アハハハハハハ!」


 笑った。腹を抱えて笑った。転げまわって笑った。

 そして、仰向けになって、天井を見上げて、つぶやいた。


「……なぁんだ、そういうこと。ふん。わかった、わかっちゃったわ! ……ねぇ、夜籠やかご。むっつり黙ってばっかりのアンタは、きっと、ずっとわかってたのよね。誰よりアタシを男扱いしてたのって、アタシだって」


 酒匂は立ち上がる。

 乱れた長髪を強引に撫でつけ、フリルのたくさんついたドレスをなびかせながら、部屋を出て行く。


「アタシも、『女』を見せるから」


 降りていく。

 安全な場所から降りていく。

 支配者の場所から降りて──


 彼女は、己の天分の役立たない場所へと、進んだ。



 宗田そうだ千尋ちひろが進んでいく。


 高速で飛来する布帯の如き剣。その切っ先に額でもぶつけるのかというように、全速力で駆ける。


 衝突まで一瞬──


 夜籠は、戦闘時で高速化した思考の中で、考える。


(額の骨で受け止める気か? しかし、あの神力量で、私の剣の切っ先を受けきれるのか?)


 神力量。

 これを『見える』者は存在する。


 だが、見えるところまでいかずとも、実戦を繰り返す中で、なんとなくその量の多寡を感じ取れる者も存在する。

 夜籠もまた多くの女を見て、時に戦ってきた経験から、他者の神力の量を感じ取れる者であった。


 その感覚から言うと、千尋は……


男のように・・・・・弱い・・


 異形刀『虎鶫とらつぐみ』は、その構造上、通常の刀よりも『押す』力が弱い。

 投擲武器と同程度の力しかかけられないので、鍔迫り合いは絶対に無理だし、神力が強い女に攻撃を通すには、速度を上げて一気に貫くしかなく、少しでも刃が皮膚で止められてしまうと通じないという欠点があった。


 ゆえに、千尋の神力が強いならば、額で受けるというのは正解である。

 問題はその千尋の神力が男のごとく弱々しい──というか。


(……皆無ではないか? いや、さすがに、神力もない者があれほどの動きをできるはずもないか……)


 ……この世界で生まれ育った女の、思考の陥穽。

 千尋の動きが妖魔鬼神の妖術のごときものと思われる理由でもあるのだが、この世界で『武』を志す者が真っ先に鍛えるのは神力の運用である。

 身体操作などはもちろんある。あるが、重要視されていない。重要視した『神力の弱い女のための流派』などという護身術は、存在しても淘汰されてきた。

 なぜならば、そもそも神力が弱いと相手の体に刃が通らないというどうしようもない現実があるからだ。


 ゆえに、強者は神力があるものと思い込まれる。

 夜籠、千尋の速さを見て、それを評価しているがゆえに、『あの不可思議で素早い動き、どこかでうまく神力を使ったな』という間違えた見立てをしてしまっていた。

 よって、夜籠の思考はこう推移する。


(己の神力量を抑え、誤魔化しているのか。つまり……私の剣と肉体でぶつかり合って、充分な勝算があるということ)


 思えば、千尋はこれまで回避に徹しすぎていた。

 斬り込んで刃先でも引っかければこちらに流血を促せたような場面もあった。勢いが弱まった剣をとりあえず掴んでみようと試みてもいい時もあった。

 だが、回避に徹し続けていた。


 それはいつか、全力で神力を出して機会を掴むための欺瞞。

 そう判断した夜籠には、複数の選択肢があった。


 一瞬後には衝突、という場面でも千変万化することが可能なのが、この異形刀虎鶫の特徴。

 剣筋の正体が不明とうたわれ恐れられた、紙園に落ちる落雷。それこそがこの刀と、この刀の使い手である夜籠であった。


 ゆえにこの状況で夜籠が選択した、『突っ込んでくる千尋への応手』は──


(『いかずち』で、目論見ごと引き裂く)


 雷。それは、剣の柔軟性を活かしてしならせ、すべての力を一点に落下させる、剛剣の技名である。


 すなわち、夜籠の選択した応手、『必殺の一撃で、叩き潰すこと』。


 それは多くの場合において最良の選択である。

 全速力で前へ進む千尋、ここから横へ避けられるとは考え難い。

 加えて千尋がどのぐらいの神力を隠しているか読めずとも、雷であれば防御ごと引き裂くことが可能。それだけの自信を持つにいたるほど研ぎあげてきた技術だ。


 ……さらに述べれば。

 この胸躍る勝負。自分の熱意の源泉に気付いた大一番。背負うものを守るための決意の一戦──


 もっとも自信のある技で、勝ちたい欲望があった。


 淡々としていた夜籠はもういない。

 彼女は己の夢に目覚めた。


 ……それがゆえに。


 夜籠は、負けるのだった。

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