布帯のような、柔らかい刃を持つ異形刀の一撃──
(明らかに、音が
千尋、夜籠と確実に戦うであろうこの時に備え、夜籠の持つ異形刀について、それを打った刀匠・
一切、聞いていない。
十子の方は色々ありすぎて失念しているといった感じであったが、正直に申せば、千尋の方は、『あの刀はこういう刀で……』などと言われなくてほっとしていた。
なぜならば、互いに互いの情報を大して持たぬ状態であるというのに、こちらだけが相手の刀や術理について詳しく知ってしまうのは、興覚めだからである。
仮に言われても聞くのを固辞したであろう。
(とはいえ、それはそれで十子殿に呑み込んでいただくのに苦心したであろう)
勝利を目指すならば情報は多い方がいい。
されど、勝負を志すならば、情報は少ない方がいい。
千尋は……
この
千尋から言わせれば、『勝負』に水を差されては心に迷いが生まれ、結果的に『勝利』が遠ざかると判断してのことでもあるが、人斬り・剣客ならぬ十子や金色には、この理屈は通じないこともまた、理解しているつもりだった。
ゆえに千尋は戦いの中で分析をする。
(あの剣、『穴』が空いているのだろうな)
異様な風切り音は、その穴を空気が通過して響くものであろう。
剣に穴を空ける目的は軽量化か、柔軟性の確保のため、といったところか。
布のように薄手の刃に穴まで空いていればその刀身は脆いはず。とはいえ、自分の腕力であの刃を断てると千尋は思っていないので、弱みにはなるまい。
加えて言うならば、千尋、前世の反省を活かし、今生においては武器破壊などというつまらない勝ち方を目指す気はなかった。
とはいえ、勝利に真剣でないつもりではない。いざとなれば狙うこともあろう。
(そしてあの刃、厄介だ。スイの時に使ったような返し技が使えん)
あれはスイの馬鹿重い刀──
しかしあの布帯のごとき刀であれば、力を利用しようと受けても、しなやかな刃がそれを許さないだろう。
受けた瞬間、受けた部位を基点に回転し、絡みつくようにこちらを刺し貫いて来る。
(布帯がごときあの刃、使い手は接近されれば『剣で受ける』という選択肢がない、防御面でやや不利なもの──と、いうわけでさえない。あれは、『剣で受けるという防御を強制的に相手にも捨てさせる刀』だ。なおかつ、間合いの有利と、特殊な術理の有利により、間合い外から一方的に、対応に戸惑う相手を殺すことも可能な……殺人刀)
十子岩斬の刀は所持した者を殺し合いの輪廻に巻き込み、持ち手を死なせる、などという噂もある。
刀が人を殺すわけではないと千尋は考えているが……
(互いから防御という選択肢を奪い、強制的に攻撃するしかない状況に持ち込む刀──なるほど、世間の言う『持ち手を殺し合いに巻き込む十子岩斬の異形刀』にこれほどぴたりとはまる刀も、他になかろう!)
ゆえに、避ける。
轟音を伴う、打ちおろすような攻撃を避けた。
避けた先に追いついてきた柔らかな横薙ぎの一撃を避けた。
刀が回る。
回転の径は大きい。勢いをつけるために回されたその刃が遠ざかる一瞬、千尋は間合いを詰める。
鎖分銅などと違って、あの刀、柔らかくうごめく部位はすべて刃である。
であるならば『どこを持つか』を変えられず、全体の長さ、すなわち回転の径を変えられない。
それはああいった『振って勢いをつける武器』にとって致命的な弱点となる──はず、なのだが。
彼女がその場でくるくると回り始めると、布帯のごとき刀が、彼女の周囲で小さく渦を巻く。
ブレのない、しっかり軸が通った美しい回転。
その美しい回転、体の周囲をまとわりつくような布帯を思わせる刃。その姿は、リボン競技をする新体操選手を思わせることであろう。
もちろん千尋に新体操競技選手の動きなどという知識はない。
だが、本能的に──否、武的に、わかる。
『あの動きは美しい』と。
美しく舞うように回りながら、夜籠が刃を放つ。
体の周囲にまとわりつくようにした刃を、突き出すように千尋へ放つ。
千尋、どうにか回避。
しかし体ごと回り、動くことによって刃が体に巻き取られ、伸びきる前に夜籠の方へ引き戻される。
回転からの停止。慣性の法則により刃が飛んでくる。
逆回転をすることで刃を引き戻し、また停止すると同時に刃が飛ばされる。
右に左に回り、止まり、また回る。
軸足で回転しながら、時に夜籠自身が跳んで位置を変え、宙で数回転もしながら刃を操作し、位置を変えながら突いてくる。
大きく振りかぶる動作を入れて来るのがいやらしい。
さんざん、天から打ちおろす雷のような攻撃を見せられては、夜籠の『打ちおろす動作』を前にどうしてもあの大威力の攻撃を警戒せねばならない。
しかし布帯のごとき刀は、予備動作と軌道とがさほど関係ないのだ。
打ちおろすような動作で真下から上へ伸びるように突きを放つこともできるし、逆に、下からすくい上げるような動作をしたとて、刃が
連続突き──
柔らかな剣では絶対にできぬと思われた連続突きが千尋を襲う。
しかも狙いは正確だ。あのような剣だというのに、切っ先は千尋が回避するとほぼ同時に戻し、放たれ、次に突き出される先は、千尋が回避により動いた場所である。
間合いを詰めることができないほどの連続攻撃。
まさしく剣の雨。
そしてその雨、
「っはぁ!」
千尋、声を上げながら、距離をとらされる。
あの長い剣の届かぬ場所まで下がらされた。
次の瞬間、頭上から打ちおろすがごとき剛剣。
雷が落ちたような音を立て、剣が地面を叩く。
夜籠は深追いしてこない。
わかっているのだ。千尋側が『進む』者。自分は『その場に立ち、背後を守る者』だと。
そして、時間は千尋たちに有利に働かないことを──政治情勢を見てでは、なかろう。恐らく剣客のカンで、理解している。
刃を体の周囲に纏うように回しながら、夜籠が口を開く。
「下がれば、見逃す」
それは、初めて出会った夜にもかけられた言葉であった。
千尋の返答は、あの夜から変わらない。
「下がるわけにはいかん」
「そうか」
ぴーひょろろろろ……
音は次第に甲高くなり……
(来る、いや──)
千尋は全身から力を抜き、
落下の勢いをかかとに乗せ、地面を蹴り──
「──
異形刀が放たれると同時に、前進。
宗田千尋の対布帯剣戦術。
迫る刃に自らぶつかりに行くことによってのみ成る『勝ち筋』。
もちろん失敗すれば死。
相手が死ぬか、こちらが死ぬか──
ヒリついた一瞬へと、千尋が駆けていく。