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第37話 門

 夜籠よごめである。


 夜が朝に切り替わる時間、夜籠やかごは第一くるわ内側、ここと外とを隔てる場所に立っていた。


 廓にはそれぞれ門がある。

 これを閉ざしてしまえば、簡単に出入りはできなくなるだろう。


 しかし廓の門は、いつも通りに開かれるのだ。


 朝になれば、開く。

 どのようなことがあろうとも──たとえ、酒匂さかわの差配で支配人が殺され、第一廓の外に激震が走り、過激な連中が『酒匂を倒せ』と息巻くことになったとて、遊郭ゆうかく領地の門は、朝になれば、開く。


 昨晩、すなわちつい先ほど、夜籠は、とある遊郭の支配人を殺した。

 力のある支配人だった。選挙直前に酒匂勢力が減らしてはならない、『金色に票を入れる者』であった。


 だが、殺した。


『暗殺者を差し向けられた』と『殺されて死体が晒された』とには、天と地ほどの差がある。

 死体を晒すところまで酒匂の指示であり、夜籠はそれを忠実に実行した。

 本来、金色を殺してそうせよという指示があった。


(私はなぜ、金色を見逃したのだろう)


 夜籠は、よく、己の内側に、己の言動の理由を問いかける。


 彼女の人生はいつでも目の前に『閉ざされた門』があるがごときものだった。

 その門の内側には、何か、人生を懸けるに足るきらびやかなものがあるはずだった。門の外側からでもわかるぐらいに楽しげな音曲が流れているように感じられたから、きっとそうなのだろうと、ずっと思っている。


 だが、夜籠が何をしようが、彼女の目の前にある門は開くことがなかった。

 その中にあるはずの、心を燃やす何かは、夜籠の前につまびらかにはならなかった。


 だから、ずっと、門の前で待っている。

 門が開くのを、待っている。

 すなわち、夜籠よごめである。


(こんなに何もない人生だというのに、自死を選ぶこともできない。私は……生きているうちに私の人生にかかわった人たちに、迷惑をかけてまで、『死ぬ』という意思を貫くだけの、熱意がなかった)


 夜籠は領主酒匂の剣である。

 そして、自分のような……様々な事情で男装女優になれず、しかしこの遊郭領地の外に出ることもできない者たちの、代表でもある。


 領主酒匂が、夜籠という人物を助け、その人生を捧げさせたことをきっかけに組織することを思いついた集団。

 この領地において人として扱われない男装女優以外の、雑用・荒事の際に先駆けとなる者たち。誰にも顧みられない人生を送ることを決定づけられた者たち。そのまとめ役であった。


 そういった者たちは、領主直属の兵として己を鍛え、たとえば廓の門などを守る役割に任じられている。

 ……領主酒匂は、遊郭から『用心棒』を奪い、すべてを領主兵に組織し直した。

 男装女優より一段も二段も身分が低い、いじめられ、雑用の中ですりつぶされるしかなかった者たちに役割を与え、救ったのである。


 ……それは単純に、遊郭から暴力を取り上げ、支配を円滑に進めるための施策でしかなかったのかもしれない。

 だが、それで救われた者がおり、そうして救われた者の指導を押し付けられたのが夜籠であったせいで、縁が生まれてしまった。


 夜籠は、気付く。


(……なるほど、私は……)


 金色を見逃した理由。

 酒匂に仕える理由。

 自死を選べない理由。

 こんな情熱も夢もない自分がどうして、命懸けで金色を助けようと思ったのか。その理由は──


(一度でもよしみを結んだ人たちに、不幸になってほしくないだけなのか)


 同輩が拉致されれば、悲しいと思う。

 自分を助けてくれた人が裏切られたと思うようなことは、避けたいと思う。

 自分を慕う後輩に、『慕っている先輩』を失ってほしくないと思う。


 遊郭領地で男装女優を目指す者として、おかしな動機だった。

 だが、人として、当たり前の想いだった。

 ……この領地では、人として当たり前でも、男装女優としておかしければ、『おかしい』と扱われる。

 そのせいで夜籠も長らく、自分が何を望んでいるのかわからなかったが……


 おかしいのは、自分なのか、この領地なのか、どちらなのだろう?


 ……夜籠は、ずっと、目の前に門があるかのような心地でいた。

 その門の中には、何か情熱の源泉みたいなものがあって、それさえわかったならば、この、生まれつき枯れたような心も瑞々しくなり、何事にも燃え上がれない心も火が点くのではないかと、そのように思っていた。


 だが……


 門が、開く。

 現実の、目の前にある、第一廓の門が、開く。


 夜籠の目の前に現れたのは、千尋ちひろ十子とおこ、そして金色こんじきであった。

 門が開いた途端に大勢がなだれ込んでくる想定をしていただけに、少々ばかり意外である。


 だから、一人でここにいた。

 酷い乱戦が始まると思っていたから──自分以外が犠牲にならなくていいよう、一人きりでここにいたというのに。


 だが、やることは変わらない。


 夜籠は、腰帯のように巻いている剣を抜く。


 金色が、つとめて激情を押し殺すような声を発した。


「なんで、領主を守ろうとするんだい? ……そこに立ってるってことは、わかってるんだろう? 領主のやったことで、みんな、恐れ、怒ってる。もう、領主の首をとらなきゃ、収まらない。それだけのことをしたんだよ、酒匂は。だから──」

「いや」


 夜籠は静かに目を閉じ、首を横に振って、


「支配人を殺したのは、私だ。『それだけのこと』をしたのは、私だ」

「それは、命令されてだろう!?」

「……そうだな」

「アンタの意思じゃ、ないはずだ! アンタは……なんで、そこまで、酒匂に尽くすんだい!?」


 夜籠は、目を閉じたまま、考える。

 だがすでに、結論は出ていた。


「……ずっと、お前が……お前たちが、うらやましかったよ」

「……なんだって?」

「夢とか、情熱があって、うらやましかった。金色、お前は、同窓の中ではもっとも美人で、水揚げ前からたいそうな人気だったな。そして、お前も、意欲的で……そうだな。当時は思わなかったけれど、きっと、まばゆく思っていた」

「……」

「私はそういうのを、守りたいんだ。居場所を見つけた人。夢を持つ人。理想を貫く人。それに……どうしようもない現実に、懸命に抗う人。そういう人を、守りたい」


 ずっとずっと、目の前に分厚く高い門があるかのように思っていた。

 だが、間違えていたのだ。


 夜籠の情熱の源泉は、門が開いても詳らかにはならないのだ。

 夜籠は、己の夢を知る。


「私は、誰かの夢の番人だ」


 目の前に門があるかのような人生、ではなかった。

 背に門を負う人生、だったのだ。


「誰の夢でもいい。金色、お前の夢でもよかった。だからお前を死なせたくなかったよ。だが、今は、酒匂が私の背にいる。ゆえに私は、酒匂を、お前たちから守る。彼女の夢が成就するまで、守りぬく」


 ぴーひょろろろろ……

 異形刀『虎鶫とらつぐみ』が回転する。


 布帯のごとき刃が、昼へと動き出した朝の輝きの中で、きらめきを曳いてなびいている。


 金色は、叫ぶ。


「何を言ってるんだい!? 本当に……何を、言ってるんだい! どうして酒匂なんだよ! 誰でもいいなら、あたしだっていいだろう!? だっていうのに……」

「お前でもいい。でも、お前の夢には、味方がたくさんいるだろう。酒匂は・・・一人だ・・・。だから──私ぐらいは、ついていてやらないとな」

「なんだいそりゃあ!?」


 金色はなおも言い募ろうとした。


 だが、横合いから差し出された刃が、彼女と夜籠の会話を断つ。


 刃の主は、千尋であった。


「言葉での説得は不可能であろう。まァようするに、斬り結び、押し通るしかない」


 夜籠がうなずく。


「そういうことだ。……うん、なるほど。男装女優という存在を憎みながら男装女優としてのしあがった酒匂。傷面で道をあきらめろと言われながら、支配人にまでのぼった金色。……夢を追う者は、その情熱を他者に理解されない。となると本格的に、これは私の夢なのだろう」

「貴様は変わらず、奇妙な物言いをするやからよなぁ」

「私はずっと、私のことを知りたかった。だからきっと、私を外側から見てしまうのだろう。それを今、知ることができた。……いいものだな」


 異形刀虎鶫のあげる声が、大きくなり……


「夢のために熱意をもって戦うことができそうだ」


 放たれる。


 雷の如き轟音が、合図。

 夢を自覚し熱意をもって、夜籠が千尋の道を阻んだ。

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