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第36話 うねり

 領主酒匂さかわによる、遊郭ゆうかく支配人殺害──


 その大事件は瞬時に遊郭領地『紙園かみその』の内部を駆け巡った。


 当然ながら選挙期間中に票数である支配人の数を減らすのは御法度である。

 領主の立場を利用して自分に票を入れそうにない者をすべて殺してしまえば選挙がうまくいく──なんていう単純な話ではないのだ。

 それがわかっているからこそ、癇癪持ちと言われている酒匂も、支配人を殺すことだけはさせなかった、はずだった。


 では、酒匂ではなく、現場の独断か、あるいは、第三者が酒匂の票を落とすためにやったことなのか?


 そうではなかった。


 はりつけにされた支配人。

 その亡骸のそばには、このような高札こうさつがあったのだ。


 曰く──


『この者、領主酒匂に反抗的な集会を主催した罪で晒し者とする。

 また、集会参加者も同罪とする。』


 これはつまり、領主側が『自分に反抗的な集会をした』と認めれば、それに参加した者をすべて処刑はりつけの上晒し者にできるという……


 法改正・・・である。


 これは様子見をして金色こんじきと酒匂のどちらに票を入れるか明言しなかった者、さらには酒匂派だった者にまで激震が走った。


 集まっただけで罪に問われてはたまらない。

 そして領主酒匂がもし、自分の対抗馬たる金色たちの派閥をこの法で皆殺しにしたあと……


 今、日和見をしている者たちが次の目標となり、皆殺しにされるであろう。

 そして、それも終われば、酒匂派の中でも酒匂から遠い者が、狙われるのではないか?


 考えすぎか。そこまでしては、この街が維持できない。

 しかし酒匂という女は恐ろしい。頭がおかしいとしか思えない行動も思い返せばいくつもあった。だからこそ、あの女、何をしでかすかわからない──


 様々な噂が錯綜し、街に大きなうねりが生まれた。


 領主酒匂のこの強引すぎる法改正に抵抗しようという者、金色のもとへと集まった。


 逆に領主酒匂の恐ろしさに心胆寒からしめられた者、酒匂に媚を売ることにした。


 酒匂派と金色派は、この事件の前まではおおよそ三倍ほどの戦力差があった。

 もちろん、酒匂支持が、金色支持の三倍であった。


 だが、この事件直後から勢力図が変化し……


 金色派がふくらみ、酒匂派が逃げ出した結果、勢力はおおむね互角となった。


 そうして金色派についた勢力は、選挙の開催を待たず、酒匂という横暴者を追い落とそうと息まく者ばかり。


 結果として……


 紙園の街は、未曾有の政変を迎えることになる。



 遊郭領地第二くるわ内側、金色の店『星屑ほしくず』。

 その奥まった場所にある御休憩用の部屋にて、金色はそこに隠している二人に語る。


「いい報せがある。領主屋敷に乗り込むのに、夜陰に乗じる必要がなくなった」


 金色がそこから語ったのは、今、街で起きている『うねり』についてだった。


 遊郭支配人が酒匂に殺され、勢力図が書き変わり、今にも金色派全部で酒匂のもとへ乗り込もうという気炎が上がっていること──


 宗田そうだ千尋ちひろはそれを聞かされて、「ふぅむ」とうなった。


危うい・・・


 それは政治的な流れを把握しての発言というよりは、剣客としてのカンによって口から出てきた言葉である。

 だが、長い間剣客として生きた千尋の危機察知能力は確かなものであったらしい。

 報せを持ってきた金色が、深刻な顔でうなずく。


「ああ、勢いがありすぎる。しかも、『追い落とそう』じゃなくて『殺しちまえ』っていう流れだ……」

「話によれば頭数そのものは互角、質と装備はあちらが上。この状態で正面衝突すれば、向こうが勝つのが必定だ。それとも、金色殿の陣容には、夜籠のような手練れが二、三人いるのか?」

「いない。ケンカ程度の腕っぷし自慢じゃなくて、『兵』『剣士』となると、こっちにゃあ全然いない。それでも、みんな女手一つで生き抜いてきたから、簡単にやられたりはしないだろうが……」

「……この騒動の行きつく先、よくて共倒れだぞ」

「あたしもそう思う。でも、殺し合いを煽ってる連中がいるんだ。急激に人数がふくらみすぎたせいで、そういうのを止められないんだよ」


 金色はつとめて冷静に話そうとしている様子であった。

 しかし、できていなかった。どうにか卓について、茶など呑みつつ話そうとしているようだが、彼女の手は湯呑を割らないように力を抜くのに精一杯で、お茶を飲むところまではできない様子であった。


 千尋は少しばかり考え、


「では、行くか」


 立ち上がる。


 そばで話を聞いていた十子とおこが「おい!」と声をあげた。


「何がどうしてそうなる!? ヤバそうな状況だっていう話だろうが! 今動いたらそれこそ、全部が動き出しかねねぇだろうが!」

「いいや。今しかないのだ。今、ここで夜籠と酒匂を討ちとらねば、あとは泥沼の殺し合いになろう」

「どうしてだよ!?」

「それは……」


 千尋が説明の言葉に迷う。

 それを引き継いだのは、金色であった。


「『勢い』のせいだよ」

「勢い!?」

「酒匂を倒せ! って勢いがね、あたしらのケツに火ぃ点けてんだよ。今はどうにかしてるが、ケツを焙られた連中がいつまでも大人しくしちゃいられない。その前に火元をどうにかしないと、最後まで燃え上がる」

「……最後まで燃え上がると、どうなる?」

「よくて共倒れ──ああいや、違うね。『共倒れ』は、あたしらにとって『良い結末』だ。街にとっていい結末は、あたしらがあっけなく負けることさ。共倒れってのはね、街の滅亡のことなんだよ」


 金色は、武力による正面衝突になれば酒匂側が勝利し、自分側が万に一つも勝てないことをよく理解していた。

 ゆえにこそ、『酒匂に勝ちたい連中』にとって、共倒れは『良い結末』。しかしそれは、最良でも引き分けであり、引き分けというのはすなわち、このうねりに加わった人々の全滅である。


 十子はようやく事態を理解し、顔を青くした。


「……なんでいきなり、そんなことに」

「酒匂が支配人を殺したからさ。……あたしら支配人はね、なんだかんだ、特権階級だった。酒匂が誰をどう処しても、自分だけはそんなふうに雑に殺されない。ましてや選挙前に票の数を減らすようなまねはしない──そう、タカをくくってた」

「……」

「ところが、自分たちの命も、酒匂にとっちゃゴミだって思い知らされたのさ。……最初っからずっとそうだったんだけどね。あたしが暗殺されかけた話でもできなかった『実感』が、実際に死体が出て、ようやく湧いてきたんだろうよ」


「この状況、領主酒匂の仕込みかと思うが、いかに」


 千尋の言葉に金色はうなずく。


「あたしの死体で似たようなことをするつもりだったんじゃないかねぇ」


「なんでだよ!? 領主だろ!? なんで領主が街を滅ぼすようなことを狙う!?」


「俺とて動機はわからん。だが、流れは完全にそう・・だ。……そして、自分の弟子、土地、家族……まァ、外から見て大事だと想定されるものを、どうしようもなく殺したがっている者というのは、そこそこの数、いるぞ」


「酒匂にゃあ、昔からそういうはあった。いっつも不機嫌そうでね、噂話として、領主は紙園が嫌いなのではないか──ってな具合に言われることもあったよ。滅ぼしたいほど本気で嫌いとは思わなかったけどねぇ」


「何にせよ、真意はともかく、状況がこうなってしまっている以上、動くしかあるまい。時が惜しい」


「そのことなんだが」


 金色が言いにくそうに視線を泳がせ、


「……頼んじまってもいいのかい? あんたはまあ、夜籠と渡り合った手練れで、これほどの手練れは、この街にゃあ、いないだろう。だから、頼らせてもらえるならありがたいが……さすがに、巻き込めないところまで来ちまってる」


 千尋は、腰帯に刀を差しながら、答える。


「もとより俺は、夜籠を斬る理由を探していた」

「……」

「我らはあいつの刀に用事がある。だがまァ、これでも畜生道に堕ちるつもりはないのでな。物盗りそのものの動機で殺し合いに興じるのは遠慮していたところではある。……が、理由ができた。ならば、やる。それだけだ」


 金色から見て、そう語る千尋の姿に、無理しているところはなかった。

 気負ってもいない。楽しそうでもない。悲しそうでも、ない。


 そうなった。だからそうする。

 本当に言葉の通りなのだ。これから殺し合いに挑むというのを理解しているはずなのに、あまりにも、自然体だった。


 だが、金色から見て、千尋は絶対に夜籠には勝てない。

 その理由は……

 その理由は、千尋と十子の方こそ、理解しているだろう。


 だが、それでもためらいはなさそうだった。

 千尋にはまったくないし、十子も、覚悟を決めている様子である。


 ならば、これ以上の遠慮も失礼になるだろうと金色は思う。


「……酒匂の命をとるなら、夜籠はきっと……立ちふさがるんだろうね。まあ、説得してはみるけど」

「ヤツは応じぬぞ」

「…………説得はしてみるよ」

「そうか。では、急ごう」


 千尋がさっさと歩き出す。


 慌てて十子が立ち上がり、金色もそのあとを追った。


 緒戦にして大一番の幕は、こうして、静かに切って落とされた。

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