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第32話 『剣』

 宗田そうだ千尋ちひろは悩んでいた。


 結局のところ、根城として使っているのは、金色こんじきの家である。


 今のところ押し入られる気配もないので、金色暗殺はあくまでも暗殺・・、闇に乗じて秘密裏に行うべきこと──という意識が、相手側にもあるのだろう。

 もしくは『暗殺者が差し向けられた』という事実が重要か。


(……まぁ、そういった陰謀だの、政治だのというのは、俺にはわからん。俺にわかるのは……)


 夜籠やかご

 あの平静で淡々とした女から、伝言を頼まれた。


 結局、夜籠はどうしたいのか。

 金色に生きていてほしい──そういう気持ちは、あるのだろう。

 それはそれとして、職務として何度も見逃すわけにはいかないという事情もある、のだろう。


 一方で、領主の酒匂さかわに嫌々従っているとか、酷い扱いを受けているとか、そういった様子は、千尋からは見受けられなかった。


(良くも悪くも『普通の勤め人』といった様子にしか見えなかった)


 千尋の前世は武士とは少し違うものであったが、『家に仕える人』というのを見ることは多かった。

 そういった中で、本当になんの不満もなく、熱意をもって仕えている人というのは……どうだろう、さほど多くはなかったように、感じられる。


 領主酒匂のもとで働く夜籠の様子というのが、まさしくそういう『普通の勤め人』のそれでしかなく……


(金色殿はどうにも、夜籠が『本音では助けられたがっている』と思いたい様子である、が……事実は……本心は……状況は……選挙……)


 千尋は考え込み、考え込み……


「……わからん」


「何がわからないんだい?」


 席の対面には、金色がいた。


 現在時刻、昼少し過ぎ。

 夜籠との話し合いがあって、帰ってきたところであり……

 これから、夜籠が金色にあてた伝言を伝えようというところ、であった。


 ちなみに金色、夕方には出勤するらしい。


 昨日、暗殺騒ぎがあった──とはいえここは遊郭ゆうかく領地『紙園かみその』。まして金色は次なる選挙で領主になろうとしている女である。

 その程度で休むなど許されない。いや、そういうことがあったからこそ、そういった事件をはねのけ、壮健であると内外に示す必要があるのだろう。

 政治、あるいは、意地や沽券の問題──まあ、面子めんつ、というやつだろう。


 そんな様子だから、一刻も早く、夜籠からの伝言を伝える必要性があるのだが……


(夜籠の意図がわからん。……金色殿の性格を思えば、『街から出ろ』などと言えば、ますます残るような気がするのだが。あるいはそれが狙いで、俺は、金色殿を罠にかける片棒を担がされているのではないか?)


 そういう疑いがあるので、乗ってやるのもどうかと思って、なかなか言い出せずにいる。

 だが、まあ。


(……考えても仕方ないか。仮に金色殿を罠にかけ、襲撃しようという計略があるのであれば、責任をもって俺が守ればよかろう)


 そういうことにして、夜籠からの伝言を伝えることとした。


「夜籠と話してきた」

「ああ、騒ぎになってたねェ……いやもう、逆にすごいわ、アンタ。そのカワイイ顔で、大した度胸だよ本当に」

「……金色殿とな、話をさせようと思って行ったのだが、断られてしまった」

「そうかい」


 金色の顔から、彼女の感情は読めなかった。

 勝手にお節介を焼いたことを怒っているのか、あるいは内なる願望を成就させる手伝いをしようとしたことを感謝しているのか、もしくは本気でどうでもいいと思っているのか……


(この街の女はさすがよなぁ)


 いくらでも表情を作れる。

 千尋とは別種の戦いを繰り返してきた、つはものどもに相違なかった。


 千尋は観念して語る。


「そして、逆に伝言を預かってきた始末だ」

「へぇ」

「『この街から出ていけ』とさ」


 金色の目の前には湯呑があり、その中には濃く、香り高い茶が入っている。

 彼女はその湯呑をとり、呑み、また卓に置く。


 動作の一つ一つからどうにか感情が覗かないものかと千尋は観察しているのだけれど、何も見えない。


「どう思った?」


 その問いかけは、金色の口から発せられた。


 千尋も同じ問いかけをしようと思っていた。だが、機先を制された形になる。


「……俺が、どう思ったか、か?」

「そりゃあそうだろう。ここには、あたしと、アンタしかいないんだからさ」


 十子とおこは心労が重かったのか、帰るなり『もうひと眠りするわ』と寝床へ向かってしまった。

 ゆえに伝言は千尋に委ねられている状態──というわけだ。


「俺は……夜籠があなたの生命を気遣っているのは、本気であるように感じたな」

「……」

「同時に、領主酒匂がまたあなたに刺客を差し向けること、それから、あなたが何をしようが、領主が勝つこともまた、本気で信じているように感じた」

「領主の勝利を望んでいた、ってことかい?」

「……そういった様子ではなかったな。だが、望んでいないというよりは……『そうなる』という、確定した未来でも語っているような、淡々とした様子であった」

「なるほどねぇ」


 そこで金色はかすかに笑う。


「……相変わらずなんだね、あの馬鹿」

「……」

「昔っからそうだよ。不愛想でさ。何を考えてるかわかんないっていうか……あたしを助けた理由だって、わかんないんだよ」

「同輩なのであろう? 困っていれば助けるのではないか?」

「この街において『同輩』っていうのはね、『限られた客を食いあう敵』って意味なんだよ。……ま、夜籠がたとえ男装女優になっても、あたしより客がとれたとは思えないけどね」

「ふぅむ」

「少なくとも一つわかった。夜籠は、あたしを殺したくはないんだ。領主の酒匂に無理やりやらされてる。それだけは、確かだ」

「まぁ、そこはな」


 実際、夜籠は金色を殺せる場面で殺さなかったし、殺さなくていいように立ち回った。

 先ほど会いに行った時も、金色が死ななくていいよう助言を言伝としたのだから、金色を殺したくないという一点は、間違いなく本音なのであろう。


「……恩を返すんなら、今、か」


 金色は決意したようにつぶやく。

 千尋はその様子を見て、


(……危ういな)


 危機感を覚えた。

 どうにも、金色が想像する『裏事情』と、実際に夜籠に不可解な行動をとらせている『裏事情』とが違うような、そういう不整合感が付きまとうのだ。


 人間関係である。すれ違いも勘違いもあろう。

 だが……


(……いや。俺が考えるべきことではない、か。どうにも金色殿にはお節介になってしまう)


 一体なぜだろう、と記憶を探り……

 思い出す。


(……そうか、金色殿は、あの娘・・・に似ているのだ)


 故郷。

 露天風呂。

 転がっていた『死』。


 守れなかった、と言うほど守ろうという意思があったわけではない。だが、もしもあの襲撃を知ったまま過去に戻れたのであれば、救うべく動きはしただろう。

 後悔できるほど熱心に彼女らの命に哀悼を捧げてもいなかった。しかし、そばに駆け寄ってきたあの娘だけは、千尋が長い平和で鈍っていなければ守れたかもしれないと、今、少しだけ、思う。


 その、気持ちが……

 気風きっぷがよく、まるで姉のように接してきて、少しばかり乱暴さがあって、でも何かと世話を焼いてくれる、人の好さがにじみ出る金色を見ていると、刺激されるのだ。


 だから千尋、決意する。


「金色殿、一ついいか」

「なんだい、改まって」

「今晩、俺は領主屋敷に乗り込もうと思う」

「………………なんだって?」

「色々と考えたが、らしくなかった。俺がすべきは、領主から差し向けられる暗殺者から、金色殿を守ることだ。……『すべき』、ではないな。『したいことは』、だ」

「……」

「暗殺はまた行われるであろう。首謀者がわかっているのなら、それを叩くのが最も安全で効率が良い。ゆえに、そうする。幸いにも、店を辞めた俺はもはや金色殿と無関係の他人ゆえ、迷惑はかかるまい」


 千尋は、己が『剣』でしかないことを思い出した。

 悩んだ。考えた。人の事情に首突っ込んでらしくないお節介を焼き、悩みの解消などということをしようと不器用に立ち回った。

 だが、自分がすべきはそうではなく……


 金色は、あの日、横に転がっていた、あの娘ではないのだ。


「そういうわけで、俺は行く。世話になった」


 即座に立ち上がる。

 だが、その千尋に声がかけられる。


「ああもう、待ちな、待ちなよ!」


 言われたので待てば、金色が卓に両肘をついて、頭を抱えていた。


「……あんたみたいな子が覚悟決めてんのに、あたしがただ黙って見送ったら、女がすたる」

「別に俺は俺のために勝手をするだけだが」

「それでもだよ! ……二日、待ちな。どうにか、準備する」

「何をだ?」

「……領主酒匂が次の選挙でも勝つってのはね、悔しいが、その通りなのさ。あいつは巧い。そして、怖い。だから──強引にやらなきゃ、この街はとれないって、そういう話は、あった。けど、あたしは、その手段をとりたくなかった。覚悟がなかったんだよ」

「……」

「でも、今、覚悟を決めた。……ああ、やってやろうじゃあないか! だから、二日待ちな。いいね!?」


 思わぬ勢いに気圧され、千尋は「う、うむ」と返事をするしかなかった。


 ……こうして、千尋の意図せぬ、関知せぬところで動いていた何かが、急速にうねり始める。

 恐らくその奔流の名を、運命と呼ぶ。

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