目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第30話 侵入

 第一くるわへの侵入者を阻まんとする門番たち。


 対するは線の細い男。この世において神力しんりきという、『戦うのであればあるのが前提』と言うべき力を持たぬ弱小生物──


 この弱小生物は保護されるべき対象である。

 だが、よりにもよってこの弱小生物、自分の性別を偽っている。


 ゆえに宗田そうだ千尋ちひろが、この戦いにおいて手心を加えられることはない。

 相手の装備は槍。腰には剣。

 だが、たとえアレが槍ではなくただの棒だったとして、千尋の体であれば、殴られただけで死ぬだろう。

 一方でこちらの腰には剣があるものの、これは全力で突き込んで皮膚に刺さるかどうか。それぐらいの絶望的な生物としての性能差がある。


(まあ、抜かん・・・ので関係はない、か)


 千尋──


 槍を構えて並ぶ二十名を相手に、あまりにも普通に歩いて行く。


 突き出される槍。

 しかし、出された時にはもう、千尋は穂先に存在しない。


 歩法である。

 現在の千尋の服装は男装女優のもの。袖のない着物、細身の袴。


 だが細いとはいえ袴は袴である。

 膝の動きを隠すことができる。


 武術において、膝を入れる、膝を抜く、という技法がある。

 これは重心を、あるいは力を、もしくはもっと多くの人が通俗化できない概念において、『入れる』『抜く』ということを成すといった意味だ。

 その結果、どうなるか?


「こいつ、幽霊か何かか!?」


 番兵が叫ぶ。

 彼女らの視点において、槍の穂先は確かに千尋の胴を貫いているのだ。

 だが、動き出しの読めぬ動き、ふわふわと舞うかのような歩みのせいで、槍の穂先が体をすり抜けたように見える。


「妖術を使うぞ!」


 神力という力が実在するこのウズメ大陸において、『妖術』と呼ばれるのは、外道の技、外法──ようするに、『どう見ても神力でしか再現不可能な現象なのに、まったく神力が発せられた様子がないもの』を指す。


 妖魔鬼神の業。ゆえに妖術。


 複数人で囲んで槍で突いてもすり抜け、するすると読めない動きで番兵たちの列に突っ込み、手でつかもうとしてもすり抜けていく……

 しかも横から見れば、ぐにゃぐにゃに動いているわけではなく、無人の荒野を行くがごとく、ひたすら真っ直ぐに歩いているのだ。


 その様子、通常の技量の者が見ても、わけがわからない。


 ゆえに相対した者は化かされているがごとく感じるのだ。


 番兵たち、千尋を捕らえられぬまま、通行を許してしまう。

 二十人で固めていた入口。その二十人の真ん中を突っ切って、千尋、第一くるわ内側に到達す。


「ものは相談だが……」


 千尋は番兵たちに背を向けたまま、語る。


 その声には、これだけ混迷した状況であるにもかかわらず、つい聞き入ってしまう、抗えない魅力があった。


「……そなたらは、俺を通さぬよう努力した。しかし、俺は通り抜けてしまった。なので、これで仕舞いとせんか? 俺とて狼藉を働きに来たわけではない。少し話したい相手がおるというだけだ。これで終われば……互いに怪我なく終わるが、いかがか?」


 つい、従ってしまいたくなる提案だった。


 番兵視点で、相手は『まだ神力を使っていない手練れ』。

 互いに怪我はない。だが、確かにこれ以上阻もうとするなら、互いに……否、こちらに甚大な被害が出ると思われた。


 しかし第一廓の入口を守るのが仕事である。

 第一廓の内側は特別な場所だ。ここのみが『客が店を選ぶ』のではなく、『店が客を選ぶ』ことが許される場所。

 ここ以外の場所において『領地の者が客に狼藉を働く』のは許されない。この遊郭ゆうかく領地『紙園かみその』において、客の安全は絶対に守られなければならない。

 もしも『領地の者が客に狼藉を働き、領地がそれを許した』とあらば、紙園全体が危険な場所ではないかと疑われる。それは、この領地の根幹産業である遊郭業の沽券こけんにかかわる。


 一方で第一廓の内側に強引な侵入を許したとあらば、第一廓の安全性が危ぶまれる。

 これもまた紙園の最も重要な部分が、『店が選んだ特別なお客様』の安全を守り切れぬ場所だと疑われる。ゆえに、根幹産業である遊郭業の沽券にかかわる。


 番兵たちは揺れていた。

 なんとしても通してはならぬという職業意識と、『本当にこの手合いと争いになってもいいのか。争ってしまえばより酷く紙園の沽券にかかわる事態になるのではないか』という懸念との間で、揺れていた。


 しかし返事がなくば、狼藉者は行ってしまう──


 番兵たちにとっての制限時間はすぐそこであった。


 ……その時、


「すまない。その者は、私の客だ」


 第一廓の内側より聞こえた声が、番兵たちの注目を集めた。


 その人物──


 黒い外套コートをまとい、腰に布帯のごとき剣を帯びた女。

 襟を立てて首から口元までを守り、短い髪ながら片目を前髪で隠したそいつは……


「や、夜籠やかごさん……!」


 番兵の一人が恐れるようにつぶやく。

 千尋は「ほぉ」と意外そうに声を上げた。


「おぬし、立場ある者であったのだなぁ。てっきり後ろ暗い仕事の担当で、その名は知られておらんものとばかり思っておった」

「この領地に『後ろ暗い仕事』なんていうものは一つたりともない。すべて・・・変わらん・・・・よ。仕事に光も影もないのさ」

「……案外、しゃべる女だったのだな」

「いいや、実は、そうそう口を開かない人物で通っていてね。……そういうわけだ。付いて来い。場所を変えよう」


 もちろん罠の可能性もある申し出である。

 しかし千尋、そもそも単身で夜籠に会いに来たつもりでいた。罠だろうがなんだろうが恐れる理由は一切ない。


「待て待て! あたしも行く!」


 背後から聞こえた声は、番兵の列に阻まれ、しかし跳んで頭を出しながら存在を示す天野あまの十子とおこである。


「心配はいらんのだがなあ。夜籠、どうだ?」

「好きにしたらいい」

「そうか、かたじけない。……十子殿、好きにしろとのことだ!」

「…………十子?」


 夜籠の視線が、十子へ動いた。

 それから自分が腰に巻いた剣へと移り……


「……何やら思っていたのと違う事情がありそうだ」

「いいや、どうだろうな。今回はそっちのつもりはない。……ま、とにかく、案内を頼む」


 駆け寄ってきた十子が合流する。

 横で千尋の蛮行を怒る声がするのだが、千尋も夜籠も、気にした様子はない。


「ついて来い。あまりうるさくするな」


 夜籠が背を向けるので、千尋も十子も、黙って付いて行く。

 こうして千尋、第一廓の内側へと到達した。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?