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第29話 一宿の恩義

 翌日──


 宗田そうだ千尋ちひろが向かった場所は、第一くるわの内側。

 すなわち領主屋敷のある区画であった。


 街を囲う廓は朱色も鮮やかな格子であり、街の一番外側、外界と街とを区切る廓が『第三廓』となっている。


 そして第三廓からしばらく行った先、東西南北に入口が用意され、門番に守られた廓が第二廓。ここを境に遊郭ゆうかくの値段帯がおおよそ十倍になる。

 そして第二廓からさらに街の中央に向けて進むと、今度は真っ黒い格子で出来た廓が見えてくる。


 それこそがこの場所、『第一廓』。


 遊郭領地始まりの土地である。


 この領地は最初、第一廓の中までしかなかった。それが、客が増え、人が増え、第二、第三と増設されていった。

 その歴史の始まりの土地と、新しい土地とを区切るのが、黒い廓であった。


 第三廓の門番は長い棒を持っているが、第二廓は長い棒に加え帯刀している。

 そして第一廓の門番は、槍を持ち帯刀している。


 ここに無断で侵入する者は例外的に客であろうとも刃を向けていいものとされている。

 基本的にこの街で働く者が外から来た客に刃を向けるのは重罪であり、刃を向けたという時点で死罪が課せられる。

 だが、第一廓の番兵だけは例外──そう語られれば、この廓の内側がいかに特別な場所かもわかるだろう。


 第一廓より外は客が店を選ぶ。

 だが、第一廓の内側は、店が客を選ぶのだ。


 その廓の南門に、千尋はいた。


 腰には天野あまの十子とおこ作の、数打ち物。

 銘が刻まれていないのは当代岩斬いわきりの特徴。異形刀と比べればさすがに見劣りするとはいえ、千尋に貸し出されたこの刀もまた業物と言って差しさわりない逸品である。


 それを腰に帯びた千尋、第一廓の門番と門番の間に立つ。


 その時、背後から「オイ!」という声がかけられる。


 振り向けば寝起きと思しき天野十子の姿があった。

 どうにも起きて千尋がいなかったことでだいぶ探し回ったらしい。


 千尋は、少しだけ考えて……


 十子から視線を外すと、前へ進んだ。

 第一廓の門番と門番の間を抜けるように、第一廓の内側へと、歩き出したのだ。


 当然ながら道を塞ぐように、槍の長柄が千尋の前で交差する。


「これより先は──」


 千尋、門番が誰何すいかの声を発するより早く、交差された槍の柄に軽く触れる。


 ……否、軽く触れたようにしか、見えなかった。


 だが起こった現象は、とても小柄な人物がただ槍の柄に触れただけでは起こりようのないものである。

 槍を持った番兵、膝から崩れ落ちるようにその場に倒れる。


 毒でも盛ったかと思われるような唐突な崩れ落ちっぷり。しかし千尋のしたことはもちろん毒などではない。

 合気道における『隅落とし』が現象の中身としては近いだろうか。これは肘の裏側を押すことで相手のたいを崩し、落とすように投げる技である。千尋は槍を介してこれと似たことを行ったのだ。


 ただこれは殺す技でも意識を奪う技でもない。

 このあと体の崩れた番兵に剣でも突き立てれば殺せるかもしれないが、番兵、当然ながら女であり、千尋の剣は本気で突いても通らなかろう。


 ゆえにこの行為、宣戦布告せんせんふこくである。


「お勤めご苦労。だがなァ、本当に悪いと思うが、用事があるゆえ、勝手に通るぞ。そちらは職務に励んでくれ。俺は、俺で勝手にやらせてもらうので」


 後ろで十子が「はぁ~~~~~!?」とデッカイ声で千尋の奇行に反応していた。

 千尋は第一廓の内側に視線を向け、呟く。


「一宿の恩であれば、まァ、そうさなあ……『連れ出して、話し合いの席を用意する』ぐらいが適切なお節介であろう」


「曲者! 曲者!」


 番兵が叫び、甲高い警笛の音が響き渡る。


 耳をつんざくような鋭い音だ。

 こういった甲高い大音声は、人に本能的な危機感を呼び起こさせる。


 だが千尋、この音を耳にし、笑う。


 なるほど精鋭。武器を持ち集合し隊列を組む姿、戦いを専門とし連携もできる集団である。

 それが集まる警笛の音。あの一人でも千尋よりはるかに強い『女』という生き物、その中でも武装し戦いを想定した訓練をしている連中が、音とともに増えていくとあらば、脅威に感じるべきなのであろう。


 しかし……


「……どうにも足りんなあ」


 物足りない、と千尋はつぶやく。


あの音・・・と比べてしまうと、どうにも、危機感がなあ」


 暗闇の中で響く、ピーヒョロロロロという音を思い出す。

 風を切る音とともに迫る、布帯が如き剣。上から下へ打ち据えられる時、地面を叩くあの雷撃のような音……


 あの黒い女、殺気はあったが殺意はなかった。

 昨日あった戦いは演武のようなものだ。技量の試し合い。うっかりすれば死ぬこともあっただろう。だが、うっかりさえなければ死なない、戦いというよりは交流といった感じの戦いであった。

 だというのに、あの夜に響いたあらゆる音の方が、こうしてたくさんの女が集まる音よりも、よほど恐ろしい。


 ゆえに千尋、どこか気が抜けた笑顔を浮かべ、告げる。


「宗田千尋、推参おしてまいる


 話し合うべき二人に、話し合いの場を設ける。


 まごうことなき押しつけのお節介がため、力技での第一廓侵入が、始まった。

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