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第28話 金色と夜籠

夜籠やかご』という名を口にした金色こんじき、尋常ならざる様子であった。


 人には人の事情がある。とはいえ襲撃者と因縁があり、その襲撃者が目的としている異形刀の使い手であった──


 そういう事情で、確かに宗田そうだ千尋ちひろの中には、金色の抱える事情への興味が湧いた。


 轟音を聞きつけ『なんでふらっといなくなるんだお前はァ!』とキレながら駆け付けてくれた天野あまの十子とおこも伴い、千尋は金色の家へと向かう。


 すっかり酔いも覚めた様子の金色に通されて中へ入れば、彼女の家は、外観の豪華さとは裏腹に、中は質素で家具もまともに揃っていないといった様子であった。

 だというのに通された『応接間』だけが豪華で、千尋はそこに、この街のごうのようなものを感じざるを得なかった。


 熱い緑茶を出され、舶来品の椅子とテーブルに着かされる。


「外から来た人にゃあ、変な内装に映るかもねぇ。……ま、『流行り』ってやつさ」


 この街の女は、流行りに疎くては舐められる。

 女が女を相手に疑似恋愛で鎬を削る街だからこそ、武士が剣の腕を磨くように、この街は女の男らしさ・・・・を磨く。磨かねば、死ぬ。

 派手派手しく賑やかで、いかにも楽し気なこの街の裏には、生き馬の目を抜くような過酷な過当競争が存在する──


「たぶん、夜籠を遣わしたのは、今の領主の酒匂さかわだろうねぇ。……あたしが次の選挙で勝つかもしれないってんで、直接的な妨害に出たってわけさ」

「選挙とは、この街の次の領主を、遊郭ゆうかく支配人の総意で決める仕組みであったか」千尋はお茶に手をつけず考え込むようにする。「……で、あるならば、なるほど暗殺は確かにありか。金色殿は暗殺者を今の領主に差し向けぬのか?」


 そこで金色がまばたきを繰り返し困惑した様子を見せる。

 千尋の横の席では、十子が「あのなァ……」と言いながら、それ以上言葉にできぬようで、頭を抱えていた。


 千尋は首をかしげる。


「何かおかしなことを言ったか? 候補が明らかであり、票の数が定まっているとくれば、候補の数を減らそうとするのは至極当然のように思うが」

「そんな血なまぐさい催しじゃねぇっつってんだよ!」

「しかし実際、血が流れるところであったぞ」


 千尋は頬を指さし、ほれ、ここに流れている、とあっけらかんと言ってのけた。


 そこでようやく千尋の顔の傷に気付いた十子が、「あ、おま……!」と椅子から立ち上がってリアクションをとる。


「おま、お前なぁ!? 顔に傷ついてんじゃねぇか!?」

「うむ」

「『うむ』じゃねぇ! おま、お前の顔、顔はさあ……!」そこで十子、ちらりと金色を見て口をつぐみ、「……とにかく、さっさと治療しろ! 痕が残ったらどうすんだよ!?」

「顔の傷は勲章であろう」

「勲章じゃねぇよ! ちょ、悪いけど、治療、早く治療を!」

「そんなことより金色殿、夜籠なる者と因縁がある様子だったな。で、あるならば、あれは単純な暗殺ではないのだろう?」


 話を向けられた金色は、うつむいて押し黙る。

 その手が、気の強そうな、美しい顔にある古傷へと伸びていた。

 右目から左の頬まで真っ直ぐ走った刀傷──


「その傷にかかわりのある因縁か?」


 千尋が問いかけると、金色はハッとした様子になった。

 どうにも、傷を撫でていたのは無意識であったらしい。


 観念したように、金色が話し始める。


「……あたしにも若いころってのはあってね」

「今でも若いようだが……」

「今より若いころだよ! ああもう、調子が狂うねぇ……」


 と言いつつ、それまであった気負いが抜けたように笑う。

 金色は自分で淹れたお茶を一気に飲み干し……


「……千尋、ちょうどアンタぐらいの歳のころさ。あたしもいよいよ水揚げってんで、姐さんらにくっついてお大尽だいじん様に顔を売ってね、まあ、あたしを気に入ってくれるお方がいたわけだよ。それも、複数ね」

「なるほど」

「なんだい、察しがついちまったのかい? ……ま、『お大尽様らに取り合いをされる』っていうところまでなら、全部の男装女優が夢見る状況なんだがねぇ。あたしの水揚げ権利を巡って刃傷沙汰に発展しちまったのさ。そんでもって、あたしはさらわれた。……さらわれかけた」

「……」

「顔の傷はね、そのお大尽様が、あたしを『自分だけのもの』にするためにつけたモンなんだよ。んでまあ、あたしは助けられたんだけど……その時に、あたしを助けた夜籠がね。……客を殺しちまったのさ」

「何か悪いのか? 話を聞くに相手は帯刀しており、金色殿の顔を斬った手合いだと思うが……」

「どういう外道が相手でも、この遊郭領地で生まれた女が、外のお客様を斬り殺すなんて真似は許されないんだよ。……あたしらは家畜。お客様は人間。人間に逆らって殺しちまう家畜なんざ、処分されるに決まってるだろう?」

「なんというか」


 想像も及ばぬ、というわけではない。

 千尋の前世とて、そういった状況はあった。理不尽ではあっても、確かに、人の命には軽重がある。


「んで夜籠は本来、死罪だったんだが……そこを拾った恩人ってのがね、今の領主の酒匂さかわなのさ。その時すでに男装女優として名が通っていた酒匂の鶴の一声で、夜籠は死罪にまではならなかった。……で、今はその時の罪の清算と恩返しで、酒匂の下僕をやらされてるってわけ、なんだけどねぇ」


 金色が、舶来の椅子の背もたれに深く体をあずけ、ため息をつく。


「……よりにもよって、夜籠にあたしを殺させようとするなんてね」

「しかしあの女、金色殿を殺す気はなかったぞ」

「……なんだって?」

「見届け役に見せるために戦いはしたが、あの女がそのつもりであれば、金色殿はすでにこの世におらん。俺では守り切れなかった」

「……ああ、やっぱりあいつ、『やらされてる』だけなんだねぇ。喜んでいいやら、悲しむべきやら」

「以前から何かあったのか? その、酒匂? との不和の噂など」

「そいつがないから、あたしも動けないんだ。でもねぇ……普通に考えて、昔の罪と恩を延々引きずられて使い倒されてるなんて、望んでる状況なわけがないだろ?」

「それはまあ、人によるかと思うが」

「……酒匂は、いろいろ悪評があるのさ。今回みたいな手口を使うのは初めてじゃあない。あたしも警戒はしてた……はず、なんだけどね。はしゃいで酔いつぶれて、このザマだよ。……巻き込んだこと、謝らせとくれ」

「いや。それはいい。あの手練れとの戦いは心踊った」

「……そういや剣客だったか。しかし……」


 金色は何かを言いかけ、「……まあ、そんなことより」と話を変える。


「うちの店で働くのは、今日限りにした方がいいだろうね」

「なぜ?」

「見届け役に夜籠と戦うあんたの姿が見られてるだろう? ……街を出た方がいい」

「忠告には感謝する。だが、断る」

「頑固そうだからまあ、そうくるかなとは思ったよ。じゃあ、言い方を変えようか。……夜籠は領主のお抱えだ。それと戦ったアンタが店にいると迷惑なんだよ」

「その言い方だと、少なくとも店を辞めざるを得ぬな」

「……せっかく悪者になろうってのに、どうしてこう……調子の狂うヤツだよ、本当に」

「金色殿、そなた、悪者に向いておらん。人の良さがにじみ出ている」

「……顔に傷がついてから、そんな風に言われたのは初めてだよ。アンタ本当にたらしだねぇ」

「で?」


 千尋が問いかける。

 だが、金色は問いかけの意味がわからなかったようで、「『で?』?」と聞き返した。


「金色殿は夜籠を領主の手から救い出したい。夜籠は少なくとも今夜、金色殿を殺す気はなかった。あなたの中では結論が出るに充分な情報が揃ったものを見ゆる。……夜籠に直談判して、『領主のもとから去れ』とでも言ってやるのかと思ったが……」

「……」

「俺に述べたように、『街から出た方がいい』ぐらいは言ってやれるのではないか? あなたであれば、領主屋敷のあるくるわの中にも入れるだろう?」

「そいつは、まあ……けどさあ……あいつに助けられるだけで、あいつを助けられないあたしが、どのツラ下げてそんなことを……」

「下げるツラがなくとも、傷面下げて行くしかないと思ゆるが。行動を起こす理由は揃っているはず。であるならば、なぜ行動しない?」

「……」

「まぁ、詳しい事情は知らんのでな。不思議に思ったというだけだ。行くならばついて行くが」


 金色は、黙った。

 黙って、悩むようにうつむいて……


 空の湯呑を握り締め、


「…………まだ、会えない。まだ、あたしは……あいつに言うべき言葉が、決まってないんだ」

「……」

「あいつが本当に酒匂に嫌々仕えてるのか、本当にあたしを殺す気がないのか……自信がないんだよ。声は、かけようとしたんだ。ずっと、かけようとしたんだ。『支配人になったら』『第二廓の内側に店を持てたら』『売り上げがこのぐらいいったら』──声をかけようと思ったんだよ。ずっとずっと、思ってたんだよ……! でも、できないんだよ! あたしは、あたしは……!」

「そうか。無理を言った。申し訳ない」

「……」

「では寝床を貸してくれ」

「………………へぇ?」

「いや、店に戻るのも物騒なようだし、さりとて外で寝ていい様子の街でもなし、今から宿をとろうにも、この領地の宿は遊郭であろう? 金がな……そういうわけで、寝床を借りられれば、俺も十子殿も助かるのだが、いかがか?」


 金色はしばらく絶句していた。


 だが、最後には仕方なさそうに笑って、寝床を貸すことを承諾してくれた。


 ゆえに千尋、こんなふうにつぶやく。


「『一宿の恩』が出来てしまったなァ」


 その目には、楽し気で──

 危険な光が、浮かんでいた。

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