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第26話 刺客

 宗田そうだ千尋ちひろ──


 源氏名『宗谷千尋』は、鷲鼻の老婆に認められてから、それはそれはすさまじい躍進をした。

 まだ入店一日目である。ところが、この遊郭ゆうかく領地『紙園かみその』には謎の情報網を持っている客が大勢いるらしい。


 あの老婆・・・・が認めた千尋という存在はどこかで共有されたようで、次々に来る客が『へぇ……あのばあさんがねぇ』『しかし、あたしの目利きには適うかな……?』みたいな視線で千尋を見て来るのだ。


 しかもそういった者ども、即堕ちといった様子で『気に入った!』だの『身受けしたい!』だの『次回、同伴で!』などと千尋を褒めちぎり、身代でも傾ける気かというようなお大尽ぶりを発揮するのだ。


 大量の金と酒が舞い踊る夜──


 これには千尋も困ってしまう。


(相手を斬って終わるわけにもいかん真剣勝負というのは、こうまで疲弊するものか……)


 刀のわざの比べ合いであれば、それこそ命果つるまででもやってのける。連戦だってなんのその。疲弊・怪我などの弱みを突かれようとも、そこに文句などつけようはずもない。


 しかしこの真剣勝負、とにかく疲れる。

 さすがの千尋も……


(いい加減にしてほしいぞ)


 などと、心中とはいえ弱音を吐く有様であった。


 そうして接客を続けた果て、千尋はようやく一日目・・・の業務を終えることになるのだが……


 この日。

 第二くるわ内側に位置する名店『星屑』──


 店が始まって以来の売上であった。



「いやぁ、すごい! 本当にすごいよアンタ! あたしの見込んだ以上だ!」


 その夜、べろんべろんに酔っぱらった『星屑』支配人金色こんじきにそのように絡まれながら、千尋は寝床へと彼女を運ぶことになっていた。


 遊郭領地は基本的に、店が自宅も兼ねている。

 様々な理由で男装女優たちは店の外に出ることを禁じられているのだ。


 実のところ、外で見かける男装女優たちと、店の中から出られない男装女優たちには厳然とした位階ランクの差があり、店の外に出ていい男装女優たちは、その実績や人柄などで支配人から強く信頼されている、上位の男装女優ということになる。


 街に入った時に見かけた『れんたろう』もまた、上位の男装女優だった、ということだ。


 ……つまるところ、上位の中の上位、店の支配人クラスは当然、店から自由に出る権利がある。

 が、どうにも店の外に自宅を持たねば・・・・ならない・・・・様子であった。


 それはこの遊郭領地が生み出す『格差』が強く影響していた。


 低位の男装女優は、女のような格好──脚を出していたり、色が赤系だったり、装飾が多かったりする衣服を着たり、髪を長くするなどの贅沢・・が許されない。

 その風潮が転じて、『上位の者は上位の者らしい衣服や風格を』ということになり、逆に『上位であるのに服に装飾をつけなかったり、髪を短いままにするというのはよろしく・・・・ない・・』といった空気の形成をしていた。


 同じ理屈で、支配人にまでなった男装女優は店の中に住むのではなく、店の外に自宅を用意せねば・・・ならない・・・・という、暗黙の了解があるのだとか。


 そういうわけで、千尋は金色を『自宅』まで運んでいる最中である。


「金色殿、道はこれで合っているのか?」

「ああん? なんだい?」

「だから、あなたの自宅への道は……」

「おう、真っ直ぐ行って右、あいや、左……まァとにかく、行きゃあわかる!」

「……とりあえず真っ直ぐ進むぞ」


 どう考えても自宅の場所を知っている者が同伴すべきであった。

 まして千尋、腕力がない。酔っ払い女に肩を貸して歩くという、技術だけで誤魔化しようのない行為をすると、どうしてもその身に力がないのが沁みる。


 しかし、金色がこうまでべろんべろんになったのが自分のせいであるだけに、千尋は彼女を送り届ける役目を自らかって出たのだ。


(しかしまァ、この体、こうまで酒に弱いとはな……)


 千尋の肉体は前世に比べてもかなり脆弱になっている。


 それは骨格や腕力のみならず、どうにも内臓も同様らしい。

 酒に弱い自覚はあったが、まさか、においだけで気分が悪くなるほどとは思いもしなかった。


(本当に酒に弱い者は、呑めないとかではなく、すぐさま顔を青くして吐き気を覚えるのだな……いや、学べた)


 そういうわけで、千尋が呑めない酒を呑まざるを得なくなるような時、どこからともなく金色が現れて、代わりに酒を引き受けてくれたのである。


 だからこそ、千尋は『返礼』として、こうして、夜の暗い紙園の街で、金色を送り届けている──というところ、なのだが。


「……そこらに番と思しき者が目を光らせているゆえ、この街は治安がいいと踏んだのだがなァ」


 などとつぶやきつつ、そのあたりの建物に背をあずけさせるように、金色を地面へと降ろす。

 そして腰のあたりに習慣的に手を伸ばし、そこにひと振りの刀さえ帯びられていないのを思い出して、ため息をついた。


「この通り、丸腰二人だ。見逃してはもらえぬか?」


 それは懇願というより、忠告に近い。


 この状態では手加減ができんぞ、ゆえに、殺し合いになるぞ、という──


 暗闇の向こうで殺気を放つ者への、忠告であった。


 その者、


 暗闇の中より歩み出る。


 黒い女だった。


 丈の長い黒い外套コートを身に纏い、襟を立てて口元を隠した、黒髪の女。

 髪は短い。だが、前髪はわざとそうしているのか、片目を隠すように垂れている。


 その女が外套の腰あたりを結ぶ帯へと手をかけ、一気に引き解く。

 その時の音は、千尋に二つの大きな情報を与えた。


(あの外套、ある程度の刃は通さぬな)


 相手が防刃仕様の衣服を身に纏っていること。

 そして……


「その十子とおこ岩斬いわきりの作とお見受けする」


 あの、外套の腰あたりに巻かれていた、細い帯のようなもの──

 布のごとく柔軟にうごめく、刀である。


 暗闇の中から現れた黒い女は、布のごとき刀を回す。

 甲高い風切り音が暗闇の中に響く。


「問答無用かァ。狙いは俺──な、わけも、なくも、ない、のか?」


 なんだかすごい売り上げを出してしまった新人、狙われる理由はあろう。

 だが、


「男装女優か。下がれば見逃す」


 黒い女の発言で、確定した。


 この女の狙いは、金色だ。

 であれば、千尋の答えは決まっている。


「ならば、下がるわけにはいかん」

「そうか」


 言葉を交わすのは、それでおしまい。


 ピーヒョロロロロ──


 風切り音が不可思議に鳴り響き……


 異形刀が千尋に迫る。


 千尋と異形刀『虎鶫とらつぐみ』使いの夜籠やかご

 暗闇の中で、邂逅かいこうす。

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