にこにこと機嫌よさそうな笑みを浮かべ、今にも斬り合いそうな二人の女へ、「やあやあご両人」などと言いながら近寄って行った。
「痴情のもつれか何かとお見受けするが、どうだろう、このままお二人で斬り合いになるのは本意ではなかろう? 俺が仲裁役をしても良いが、ど…………」
そこで千尋の言葉が止まったのは、話しかけた二人の様子がおかしくなっていたからだった。
片方は真っ白い着物に黄金の毛皮をまとった、どことなく狐っぽい都言葉の女。
もう片方はまんまるい体型が特徴の、茶色い毛皮をまとった東言葉の狸っぽい女。
すでに鯉口に指がかかっている状態、つまり抜刀からの刃傷沙汰まで秒読みという段階であったはずの二人だが、千尋の存在に気付いた途端、その視線を千尋に向け、どこか驚いたように固まってしまったのだ。
この視線がわからず小首をかしげると、女どもが『おずおず』と言う様子で声をかけてくる。
「ね、ねぇ、あんた、どこの店の子なん?」
「
雲行きが怪しいのは、千尋でもわかる。
しかし千尋が戸惑うより早く、ケンカをしていた女どもが、また視線を交わし火花を散らし始めた。
「あ”ぁ”!? あんた、『れんたろう』さんに夢中だったやろが。れんたろうさんは譲ったるさかい、とっととどこへなりと
「はぁ~!? そっちこそれんたろうさんにお熱もお熱だったろうが! こっちこそ譲ってやるからどっか消えろ!」
「もし、ご両人」
「なんやの!? あ、『ご両人』なんて、そんな、こんな狸女のことは無視したって、ウチと楽しいお話せぇへん!? 茶ぁでもしばきながら!」
「骨皮狐女なんか好みじゃないよねぇ!? 私とお話し、しましょ!?」
「いや、あの」
「黙って聞いとったらなんやの自分!? 人のモンに唾つけるのが趣味なんか!? おおん!?」
「何勝手に自分のモノ扱いしてんだコラァ!? てめぇはさっさとどっか消えろって言ってんのがわかんねぇのか!?」
「狸の話す汚い言葉はわかりまへんなぁ!?」
「こっちこそ狐女の鳴き声の意味なんかわかんねぇよ!」
「なんやて!?」
「なんだよ!?」
「もし」
「ああ、狸女が怖がらせてすまんな? すーぐにこの怖いオバハン片付けたるよって、そこで待っとってな~」
「都風厚化粧の年増女が馴れ馴れしくて怖かったよねぇ? 大丈夫、すぐに片付けるからねぇ?」
「いや」
「初めて会った時からこうなる気ィしてたわ。自分、死んだで!」
「気が合うねぇ! 嬉しくないけど! てめぇこそ死んだぞ!」
狐女と狸女、抜刀。
千尋が背後を振り返ると、
「もしや俺、何かしてしまったか?」
ようやく自分のせいで事態が混迷の一途をたどっていることに気付く千尋である。
「死にさらせェェェェ!」
「上等だこらァァァ!」
二人の女が刀を大上段に振り被り、相手をにらみつけて振り下ろす。
防御などまったく考えていない、気持ちのいい太刀筋である。相手を殺すことに意識が向きすぎているように千尋からは見えるものの、そこまでするだけのことが彼女らの中ではあったんだろうたぶん、というように尊重したくも思う。
ちなみに千尋はまだ前世の常識が抜けきっていないので『相手の頭に刀を振り下ろすと相手は死ぬ』と思いがちだが、
彼女らも頭に血が上っているのもあるが、いくらかの実戦経験を経て相手の頭に思い切り刀を振り下ろしても死なないことを知っているため、あっさりとそうしているという背景もあった。
この世界の女は丈夫なのだ。
少なくとも──
「仕方ない」
──千尋が全力で叩きのめしても、『痛い』で済む程度には。
その時千尋が行ったこと、それは『
もちろん振っている最中の刀を腕力で奪うことはできない。
であるから刀を振る腕に触れ、その速度を抑え込むのではなく加速させ、相手の手から刀がすっぽ抜けるところまで調整したのち、制御を離れた刀をそっと掴むという繊細な技術が必要になる。
もちろん隔絶した技量が必要だ。
これを左右から斬りかかってくる二人を相手に、左右の手一本ずつでやってのけるのだから、人から見れば『刀を振っていたと思ったら、いつの間にか真ん中にいたヤツに刀を奪われていた。何を言っているのかわからねーと思うが……』という、妖術の一種に見える。
実際、刀を振り抜いたつもりでいた女どもは、一瞬遅れて自分たちの手の中に刀がなく、間に立っていた千尋の両手にひと振りずつあるのを見て、酷く呆然とした顔になった。
千尋は混乱している二人に声をかける。
「ご両人、暴力はよくないぞ。ここは
手の中で刀を回転させ、刃を持ち、柄を相手側に差し出──そうと思った、のだが。
……千尋の今の腕力では、刃を指で挟んだ状態で両手にひと振りずつの刀を保持できないので、刃を地面に突き刺して返却とした。
呆然としている二人は未だに刀を受け取ろうとせず、ただ、『自分の手の中にあったはずの刀』と『千尋』とを交互に見るばかりだ。
受け取ってもらえないと辞することもできず、しかし混乱の渦中にある二人は動きそうもない。
奇妙な硬直──
それを解いたのは、千尋でもなく、十子でもなく、今まさに斬り合いかけた二人でもなく、もちろん、二人が熱をあげていた『れんたろう』なる小柄な少女(袖のない着物に袴姿という男装状態)でもなかった。
「ちょっとアンタ!」
ずんずんと近寄ってくる第三者。
その女は鮮やかな金髪を持ち、肩がはだけた深紅の着物を着ていた。
艶やか、かつ優美である。
その女にますます凄艶さを加えているのは、右目から左の頬にまで真っ直ぐ走った、古い刀傷であろう。
(……有名人か? 来た瞬間に周囲の気配が変わったな)
緊張感というのか。
……違う。この気配は──
(イタズラを見とがめられた子供のような、というのか。……あの女、かなり立場がありそうだな)
女は真っ直ぐ千尋に近付くと、その両手をとって、告げる。
「アンタ、ウチで働かないかい!?」
やけに熱心、興奮したような鼻息とともに発された、唐突な
この怒涛の展開に千尋が困って十子の方を見れば……
もっと困った様子の十子が、ついに両手で顔を覆って天を仰いでいる姿がそこにあった。