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第17話 出発

 宗田そうだ千尋ちひろは──


 逃げていた。


 それも、とても納得できないような顔で、逃げていた。


「なァ十子とおこ殿、なぜ、連中を斬ってはいかんのだ」


『前に落ちる』と表現したくなるような不可思議な歩き方で逃げている。

 その速度は、神力しんりきを使って身体を強化した女──天野あまの十子と並走できるほどであった。


 並走。


 天野十子も、逃げていた。


 それも、とても怒った顔で、逃げていた。


「だからさァ! お前はなんでいらねぇ争いに首を突っ込むかなぁ!? 避けろよ! 争いを! バレたくねぇだろ! 男だって!」


 そう、この旅路は、『御前試合』──すなわち『天女様の御前で年に一度だけ行われる試合に出場し、乖離かいりを倒す』という目的の旅路である。

 そのためには、千尋には二つの目的がある。


 一つ、名を上げる。

 闇試合、あるいは天女様のお膝元である『天女領』以外の領地での御前試合に出て、剣客として名を上げること。

 強いおたずね者なんかを倒してもいいし、あるいは街にある口入屋くちいれやなどで依頼をこなすなどというのも、名を上げる手段だろう。


 そしてもう一つ、男だとバレてはいけない。

 このウズメ大陸、希少かつ神力のない男が武の道を歩むというのは論外視される。

 男であるとバレただけで御前試合に出られない。


 ゆえに、男ではないということにして、名を上げねばならない。

 基本的に現在の千尋は『歩き巫女』に扮装している。旅をする者といえば商人、流れの剣客、飛脚、それから巫女だからだ。

 十子は鍛冶屋丸出しだが、刀を打つ鍛冶屋は神職も兼ねるので、横に巫女がいればそう不審がられることもない。


 神力がないという問題は、そもそも『女です』という格好をして旅までしている者のことを男だと思う者がいないので、横に十子がいればある程度誤魔化せる。

 十子は神力が強い方なので、横にいれば、弱い神力は包み込んでしまうのだ。

 それゆえに、『微小なれど神力はあるが、十子の神力が強すぎてうまく感じ取れない』ぐらいの偽装は可能だった。


 そう、よくよく注目されなければ、神力がないことは誤魔化せるのだ。


 だから問題は……


「あのなァ! 人のケンカに首突っ込んでガンつけられたら、神力の多寡を見られるに決まってんだろ!? バレんだよォ! 男だって!」


 千尋の、トラブルに首を突っ込みたがる性質。


 だが千尋、これは誤解だと抗弁する。


「俺がどのようなケンカにも必ず首を突っ込んでいくというのは、まこと酷い誤解だ。俺は、恩ある人が困っている時にしか、ケンカに首を突っ込まんぞ」

旅籠はたご女将おかみが酔っ払いに絡まれただけだろ!?」

「一宿一飯の恩義という言葉はないのか」

「金払ってんだから恩義じゃねぇよ! 商売だよ!」

「しかしあの酔客、なかなかの手練れであったぞ」

「手練れだから神力のないのがバレたんですけどねぇ!? むしろ手練れだってわかったなら積極的に存在感を消せよ!!!」


 元気に話しながら走っていると、背後から「待て!」という声がする。

 先ほど、千尋のことを男だと看破した剣客が追ってきているのだ。


 ぐんぐん追いついて来る剣客を見て、千尋は笑う。


「ははは! 見ろ十子殿! さすがの健脚だ。このままでは追いつかれてしまうぞ!」

「笑ってる場合じゃねぇだろうが! お前には……まだなまくらしかねぇんだぞ!?」


 十子はまだ、千尋の刀を打つことができない。


 千尋の技術は見てわかった。

 その技術であれば、どのような刀でも、一定までの実力者を斬ることはできるだろう。


 だが、女を──乖離かいりを斬るとなると、話が変わってくる。


 十子は、乖離の強さを知っている。

 自らの名を捨て、剣の銘を名乗る彼女がいかに強壮かをよく知っている。


 ……知っているに決まっている。

 処女作のあとに打ったすべての刀は、乖離を殺すことだけを願い仕上げたものなのだから。

 そして、世間で珍重され、所持することをほまれとまで思われるような異形刀のすべてが……

 乖離を斬るには到底足らないなまくら、なのだから。


 だが旅の巫女が武器の一つも帯びていないのは不自然。なので、いおりの周囲に刺していた刀から、スイによる破壊を免れた物を選ばせ、それなりの拵えをして与えているのが現状。


 これは世間一般においては業物わざものに分類される名刀の領域にある。

 だが、十子にとっては、乖離を斬れない鈍なのだ。


「それなりの刀でないと斬れぬ者は確かにいる。しかし……まあ、後ろから迫るアレがそれほどのものかは、やってみねば、わからぬだろう?」

「ダメだったら死ぬが!?」

「それは剣客の倣いゆえ、そうであろうよ」

「死ぬなって言ってんだよ!」


 このバカ~! と十子は叫ぶ。


 そして、思う。


(クソ! クソ! クソ! 失敗した! 旅の始まりにゃあ、『冷静に考えたら男と二人旅ってなんか、アレじゃん』とかビビッてたっていうのに……いざ始まってみりゃあ、そんなこと考えてる余裕もねぇ! こいつ、馬鹿だ! とびっきりの──剣馬鹿、勝負馬鹿だ!)


 きっと、乖離を斬るならこういう者だろうとは思う。


 それはそれとして、ここまで常識がなくトラブルメイカーだとは思わなかった、失敗した、という後悔もある。


 ……長年庵にこもってひたすら剣を打ってきた十子にとって、不意に始まった『男の子との二人旅』は、殺し合いや鍛冶とは別種の緊張感をはらむことではあったが……

 その緊張は、とうに吹き飛んでいた。


 十子は言いたいことがありすぎて千尋の顔を見たまま口を開けて無言になってしまう。


 その視線の先で──


 千尋が、笑う。


「……そうか。『死ぬな』か。なるほど、確かに道理だ。約束をしたものな。果たせずに死ぬわけにはいかん」


 おや? 物分かりがいいな? と十子は首をかしげた。


 千尋は言葉を続ける。


「ならば、必ず生きる……必ず勝たねばならんなァ」


 あ、やっぱこいつ馬鹿だ、と。


 急停止して背後を振り向く千尋を見て、諦めに似た気持ちがよぎった。


 十子も慌てて停止して背後を振り向けば……


 千尋が、道のド真ん中で、剣を抜いている。


「我らを追うそなた! なぜ、こうまで熱心に我らを追いかけるのか、問いたし!」


 走ってくる剣客(もちろん、女)の形相は必死であり、必死なまま、問いに応じた。


「それはねぇ! お前をさらって! おもちゃにするためだよ!」


 赤ら顔の剣客である。


 ちなみに時刻はすでに昼日中であり、日は中天、穏やかな風が吹くほんのり涼しい街道。松の木がざわざわと揺らめき、道の左右を飾っている。


 人通りはない。このあたりは天野の里から大きな通りに合流しようという者ぐらいしか使わないため、ほとんど人が通らないのだ。

 泊まった旅籠も天野の里に縁がある店であり、女将は十子にとっては見覚えのある人物であった。


 なので、天野の里に行ったはいいが、金がなかったり品性がなかったりして剣を打ってもらえなかった酔客がああしてクダを巻くのがいつものことで、そのあしらいに慣れているのも知っている。


 そういうのもあって、千尋が唐突に席から立ち上がって女将と酔客のあいだに立った時は『何してんだろう』と固まってしまったのだった。


(最初に旅籠の女将はああいうのに慣れてるって言っときゃよかったか? いや、いつどの機会に言うんだよ! あいつ、ケンカを見た瞬間に絡みに行きやがったんだぞ!?)


 十子は苦悩する。


 その間に、赤ら顔の剣客が近付いてくる。


 間合い。


「天野の剣は手に入らなかったけどねぇ、こぉんなカワイイ男の子が手に入るんだから、あたいにも運が向いて来たってもんよ! さぁ、お姉さんのモノになって、一晩中お酌しな!」


「……まあ酌ぐらいなら別に」


「え、ほんとに?」


「千尋ォ! てめぇはなんなんだ!? やるんならやれよ! 変に譲るようなこと言ってんじゃねぇ!」


 十子がキレる。

 千尋は「ははは」と笑い、


「ではそうだな、女将に絡むという狼藉のぶんだけ、償ってもらおうか」


 刀を回し、相手に刃ではなく峰を向ける。


 お酌するぐらいなら構わないとは言いつつ、それはそれとして勝負はするらしい。


 地団駄を踏む十子をよそに、酔っぱらった剣客も、相手が剣を構えているので深い考えもなく斬りかかる。

 酒は判断力を狂わせる好例であった。


 十子は「あああああああああもおおおおおおおおおお!」と叫んだ。


「旅の始まりの始まりからこれかよ!!!」


 自分が歩む旅路の長さと困難さを思い知らされるような気持ちだった。


 だが……


 この旅をやめようとは、思わない。


 だって……


(きっと、ああいう馬鹿じゃなきゃ、『男にして女を斬る』っていう奇跡は成し遂げらんねぇんだろうなぁ! クソがよ!)


 あいつならきっと……


 乖離を斬って救ってくれると、どうしようもなく、思ってしまったのだから──


 二人の旅は、こうして、始まった。


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