彼女は『
十子処女作・乖離。
美しい刀だ。長い。細くも見えるだろう。だが、この刃が力強く、決して折れず、決して零れないことを乖離は知っている。
いくら斬ってもあり続ける刀であることを──身をもって、知っているのだ。
「あ、あの」
気弱な声が横合いからかけられる。
そこで、抜き身の刃に己を映していた乖離は、自分が男と同道していることを思い出した。
美しい少年だ。黒髪は艶やか。肌は白磁のごとき白さで、
灯りを灯さぬ
「……僕は、どこに連れていかれるんでしょう」
乖離は──
(怯えている。まあ、無理もないか)
人斬りである。
だが、斬るべき相手は選んでいる。
誰彼構わず斬りかかる人斬りというのも、悲しいかなこの世にはいる。
そういった秩序を乱す人斬りを倒すのも、乖離の仕事の内一つではあったが……
対象を選ばない人斬りというのは、たいてい、弱い。
ただ切れ味と暴力に酔っているだけなのだ。連中は人を斬ることが目的ではなく、己が強者であると陶酔するだけのために、人殺しという手段を選んでいるにすぎない。
そういった人斬りをある種軽蔑している乖離は、誰彼構わず斬りかかることはない。
乖離は強者専門の人斬りだ。
……もちろん、天女教総主教たる『天女様』の下命に従う
たとえば……
宗田白の村を滅ぼしたように、弱者を斬ることもあるが。
それ以外の場合において、乖離は淑女たらんと己を律してきた。
ゆえに宗田白のような弱者男性に思い付きのように斬りかかることはない。
むしろこうして、天女教に連れて行くまでの旅路では、彼の身の安全を守っている立場でさえ、あるのだが……
とはいえ、見た目に威圧感がありすぎるのも自覚はしている。
女性の中でも大柄な乖離と、男性の中でも線が細く、まだ
ゆえあって他の女がいない旅籠の一室、二人きりで休むことになってしまったが、なるほど、男性の心痛はかなりのものだろうと乖離は納得する。
怯えられるのも、仕方がない状況。
ゆえに乖離、歩み寄ることにする。
「あなたはこれから、天女様に献上される」
「……天女様って、あの天女様ですよね? 実在するんですか?」
そこで乖離が驚いたのは、怯え切っていると思われた白が早くも会話を──『情報を引き出す』ということを、冷静にしようとしていること。
そして、天女教と天女様のことをよく知っていないような様子であったこと、だ。
(なるほど、隠されて育てられた男、か。……まあ、隠していた側からすれば、本来献上すべき相手である天女様のことは教えたくなかったのだろう)
納得し、情報を整理するために沈黙する。
この大陸で生きていて天女様のことをくわしく知らない様子の者は、ほぼいない。ゆえに、そういう相手にどう説明したものか、迷ったのである。
「……あなたが言っている『天女様』は、現在の天女様の祖先にあたるお方のことだな。現在、天女教というものが、このウズメ大陸では一般的だが……」
「はい、それは知っています。『かつて、男のない世界に男を降ろし、滅びを防いだ偉大なるお方』──天女様ですよね。誰かが死ぬと、祈りを捧げる相手の……」
「……そうだな。その天女様は、『始まりの男性』とのあいだに三人の子を成した。そうして成された子が次なる天女様と呼ばれ、さらにその子もまた天女様と呼ばれ……そうして現在の天女様に至るまで、脈々とその名は受け継がれている。あなたが献上されるのは、現在の天女教総主教である天女様だ。……まあ、形式上はな」
「なるほど……あなたは、その天女様の手下なのですか?」
情報を得ようとしている──自分の置かれた状況を確定させようとしている。
語彙は田舎の子供なので、『手下』と言われると、『まあ、それはそうなんだけれど、もっと別な呼称を……』と思ってしまうが……
(頭がいい。それに、勇気もある。……よもや、逃亡を企てているのか?)
男は女に勝てない。
それに、乖離は白を粗略には扱っていない。むしろ、信用を得るためかなり丁寧に接しているつもりでいる。
天女教のことを詳しく知らないのであれば、そこに連れていかれることでどうなるのか不安な気持ちにはなるだろう。
だが、それでも、力のない男が、この場から逃げようと企てるなんていうことは、ありえない、はずだった。
はず、なのに。
(……宗田
乖離は喉を撫でながら、思い出す。
どう見ても弱い男だった。当たり前に弱い、男のはず、だった。
子供で、体格も細く小さく、
戦えばひと捻りにできる弱者。そもそも、弱者かつ保護対象であるから、『戦う』なんていう想定をする方がどうかしている──そういう、相手。
だが、恐れた。
『もしかしたら』という気持ちが──敗北が、あるいはそこまでいかずとも、深刻な傷を負わされる未来が、一瞬でも頭をよぎる相手だった。
(もしや、弟の方も?)
強者なのか。
強者を獲物と定める乖離の目がにわかに殺気を帯びる。
「ひっ」
だが、白はその殺気を受けてへなへなと腰を抜かしてしまい、座ったまま後ろに倒れ込みそうになる始末。
乖離は笑った。
「……失礼。ふと、殺気を感じたものでな。もう大丈夫そうだ」
襲撃者の気配、なんていうくだらない嘘をついて誤魔化す。
だが、白は先ほどまでの『情報を得よう』という態度を引っ込め、「あ、は、はい」としどろもどろになってしまっていた。
「……外を見て来る。あなたは、ここにいてくれ。くれぐれも出ようとは思わないことだ。……外は、男にとって危険な場所だからな。それも、あなたのように若く美しい男性にとっては」
同じ部屋で過ごすのも相手が怯えてよろしくなかろう、と気を遣って立ち上がる。
部屋から出るあいだ、白の視線は怯えるように乖離を見ていた。
(……逃亡を企てるなどと、くだらん妄想をしたものだ。……困ったな、だいぶ怖がらせてしまった)
子供、それも抵抗する力のない男なら、普通、こうなる。
乖離から殺意らしきものを向けられるだけで一切の抵抗をあきらめ、怯えるしかできなくなる。
だが──
彼は、剣を向けて、嬉々として飛び掛かってきた。
「…………………………何を考えているんだ私は」
その時のことを思い出して、乖離は首を左右に振る。
まさか全裸で普通にかかってくるのは思わなかったから油断していた。ばっちり見てしまった。それも、興奮した様子のモノをだ。
戦っている最中は気にならなかったが……
「……はぁ」
乖離は頭に浮かんだモノを振り払うためにも、しばらく夜風に当たることにした。
白の動向は多少離れていても気配でわかる。
それに、あの怯えようであれば、変な気は起こすまい。
「……私を怯えさせた男、か」
乖離が接したことがある男は、弱く、怯え、すくみ、しかしその存在の希少さから天女様の後ろ盾を得ると途端に傲慢になり、しかし後ろ盾はあくまでも本人の力ではないので、その事実を忘れたがるよう、ことさら女に偉そうに出る。
その子犬がキャンキャン吠えている感じがどうにもなじめず、乖離は男というのをあまり好んでいなかった。
だが……
「……私を怯えさせる男。殺意に喜びで返す男、か」
旅籠の外に出る。
夜の宿場町は騒がしい。あたりからは灯りが漏れ、道端には
本来であれば天女教の担当者が集団で出迎えに来るはず(もちろん、乖離をではなく白をだ)だったのだが、予定外のことで来ることができず、このまま乖離が白を献上しに行くことになってしまっている。
問題ない旅路だと思っていた、が……
「……同じ顔をしているのが、問題だな」
乖離は腹部あたりをさする。
膀胱打ちをされた。痛手はなく、後遺症もない。だが、なんとなく、千尋のことを思い出すとそのあたりがうずく。
乖離はそのまま白が寝静まる気配を発するまで、旅籠の入口に立ち、月夜を見上げ続けた。
彼女と白の旅もまた、こうして流れていく。