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第15話 旅の始まり

 天野あまの十子とおこはため息をつき、怒鳴る。


「オイ! あたしの家をめちゃくちゃにしろたぁ言ってねぇんだよ!」


 十子の家はさんざんなものだった。


 スイの攻撃により片面の壁はぶち抜かれている。

 そのせいで屋根もぐらつき、今にも崩れそうな不安な感じがいおり全体に漂っている。


 外に出れば、あたりはもっと酷い有様だった。


 習作をそのへんに突き立てまくっていた丘は掘り返され、剣と土とが混ざりあってしまっていた。

 あたり一面に吹き飛ばされた土が舞い、丘の下の短い草が生えた平原が斑に土色になっていた。


 あちこちに吹き飛ばされているのは土だけではなく、丘に突き立てていた剣もだ。

 周囲に見物人などいたら大事故が起こっていただろう。見ているだけで憂鬱になるめちゃくちゃっぷり。

 ただでさえ天野の里人と距離をとっている十子としては、ここを一人で片付ける手間を思うと頭を抱えたくなってしまった。


 そして、死体。


 スイの死体がそこにある。


 見事な斬り口だった。


 右腕を肘あたりで断ち、そのまま脇腹に入った刃がへそのあたりまで斬り込んでいる。

 どう見ても絶命している。

 だがスイを殺した者は容赦がないらしい。完全に死んでいるスイの首に刀を振り下ろしていた。


 見事な剣筋。


 死体となったスイの首はあっさりと断たれた。

 死者に神力は宿らない。ただ肉と骨と皮と血の塊に、神力を発生させるという魂は宿っていないのだ。


「おい、何してんだてめぇ。死体で遊ぶな」


 斬り口は見事。

 とはいえすでに死んだ者の体を弄ぶのは十子の気に入るところではなかった。


 男の身であの乖離かいりに挑もうという心意気と、その夢を語る時の目がやけに気に入ったが、死体で遊ぶような異常者であるならば話は別。他の者を探すしかないか──


 十子がそう思っていると、千尋がかわいらしく首をかしげた。


「遊んでなどおらぬ。彼女はつはものであった。ゆえに、首を清め、供養してやろうと思ってな」

「…………あぁ?」

「なんだ、そういう習慣はないのか?」

「……死体の首を斬って、供養……?」


 十子はそういう風習がどこかにあるかなと知識を探ってみた。

 だが、思いつかない。


 しかし冗談や言い訳という感じでもない。

 十子はため息をついた。


「供養ってんなら、燃やして灰にしてやるもんだろ。人は灰と煙になって天界へ行き、新しい命になってまた下界に降りて来る──天女教の教えぐらい知ってんだろ?」

「いや、あいにくと」

「どこで育ったんだよてめぇ。首斬り族の村かなんかか?」

「そうではないが……火葬の習慣ぐらいはあったぞ。だが、強者に対する礼儀として、首をとって清め、祀るなどはせぬのか」

「しねぇよ。剣客界隈の流行りか?」

「そうか……」


 千尋は斬った首をその場に置くと、しゃがみ込んで両手を合わせていた。

 その動作は天女教にもある礼拝動作だ。どうにも『首を斬って祀る』のあたりだけ異物混入のようで、基本的な天女教式はわかっているらしい。


 しばらくそうして拝んだあと、立ち上がった千尋は……


 その両手を、震わせていた。


「…………」


 千尋が前髪を垂らすようにしながら、自分の両手を見下ろしている。

 十子は、問いかけた。


「人殺しは初めてか?」

「いや」

「……まあ、男の一人旅だしな。バレたらいろいろあったんだろう」

「そうではない。……そうではないのだ。俺は……俺は、確かに、人斬りだ。人を斬ることが目的であったことはないが、人を斬る過程を……命の取り合いを好む、人斬りに間違いない」


 垂れた前髪が千尋の顔を隠している。

 十子は正面に立って、千尋をじっと見つめた。

 奥底までのぞこうと視線を強め、射貫く。……だが、見ただけで、人の奥底なんぞ、わかるはずがないのは、理解している。


 長年親しんだ友の奥底さえ、わからなかったのだ。

 出会ったばかりの男の心なんぞ、わかりようはずもない。


 だから十子は、言葉にして問いかける。


「その手の震えは、なんだ?」

「……この世に生を享け、初めて人を殺した」

「……」

「……これが、人殺しの罪深さに対する震え、斬り合いの緊張から解放された震え、あるいは……もっと他の心地による震えであれば、どんなによかっただろうか。しかし、実際は、そのどれでもなく……最後に、女の体に斬り込んだ。それで、手の握る力が利かなくなっている。たったそれだけの理由の、震えなのだ」


 千尋が、顔を上げた。


 人殺しを経て、手を震わせる彼の顔は……

 どうしようもなく、笑っていた。


「俺は狂った人斬りだ」


 千尋の笑顔は、思わず魅了されそうなほど美しい。

 十子は『男』というものにさしたる憧れもなく、多くの女がしているような、一種の神聖視もしていないつもりでいた。


 だが、今の千尋はあまりにも美しかった。

 凄絶で、それから、儚げで……


 抱きしめていいなら、抱きしめたい。

 それほどまでに、色香と美しさに満ちていた。


「初めての殺人のはずだというのに、勝負の余韻が心に落ちるのみ。……やはり返り血は魂にこびりつくものらしい。ゆえに、俺は……十子殿が剣を打ちたい相手ではないのではないかと、そうも思うのだ」


 快楽殺人者に打つ刀はない──


 十子はスイにそう言い放ったことを思い出す。

 思い出して、笑った。


「快楽殺人者と剣客なんてぇのはな、紙一重なんだよ。ほんのわずかな違い、ほんの些細な気持ちのズレ。その程度のもんで、興味のねぇヤツから見たら、なんにも変わらねぇ」

「……」

「お前は確かにまあ、一歩間違えれば快楽殺人者なんだろう。でもなぁ、一応、殺し合いを避けようとした。一応、お前から仕掛けたんじゃなく、相手に対応しただけだ。……その程度の違いを、あたしは案外、重要視するんだぜ」

「……その程度で、いいのか」

「ああ、その程度でいい。刀を打ってんだ。人は死ぬ。だが、死に向かう間に……殺す直前に、どういう様子を見せるのか。ほんのわずかなそんなところが、あたしは大事だと思う」

「つまり、俺は、なんだ?」

「お前は剣客だ。快楽殺人者じゃねぇよ。少なくとも、あたしにとってはな」

「……そうか」

「お前の剣を打つ。……だが、それは、今は無理だ。だから……」


 十子は掘り返された丘と、壊れた庵を振り返ってから、


「……お前の剣を打つために、お前とともに、旅をする」


「旅か」


「するんだろ? 旅。御前試合で乖離かいりと戦うにゃあ、各地で名を上げなきゃならん。その旅にくっついて……あたしが、お前に見合う剣を打てるぐらいに、成長しなきゃならん」


「旅、か」


「……あー、その、なんだ。女との二人旅は、なんだ。ええと。嫌だっていうなら、配慮するが」


「…………ああ、そうか。ここは……このちまたは……」


 そこで千尋は喉を揺らして笑う。

 十子が「なんだよ……」とひるんだように言う。


 千尋は、


「いや。……まことに面白いちまたと思ってな」


 すっきりした顔で、微笑んだ。


 ……ここは、女が強く、男が圧倒的に弱い世界。

 男は少なく、貴重で、それゆえに愛され、かわいがられる。


 美しき双子の片割れ、宗田千尋。

『男らしく』生きていれば、それなりの幸せを手にできただろう彼は……


 弱いと理解しなお、最強を目指し、旅をする。

 刀鍛冶とともに、旅を、する。

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