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第14話 あの日の心地は

 スイの脳裏に蘇ったのは、愛刀・風車かざぐるまで初めて人を斬った日のことだった。


 重々しい異形刀を片手に立ち尽くす。

 雨が降っていた。豪華な屋敷。いい身なりをした家人たち。


 スイは思い出す。己の身に流れる血はそもそも高貴なものであった。領主おとのさまと人から言われる特別な血統の家の血筋。


 領主。

 スイは確かにその血筋だった。けれど、スイの育ちはスラムであった。

 捨てられた領主の血筋のうち一人──男を漁ることのできる立場たる領主だからこそ、子を多くもうけることができる。そうした『領主特権』とも言える男遊びのうちに生まれた、立場を継承するなどと想定されずに捨てられた者。それこそがスイの正体。


 だが、不幸に不幸が重なり、領主一族で後継ぎとなるべく育てられた『捨てられていない子ら』が次々と死んだらしい。

 そうしてスイは、唐突に自分の血が高貴であることを明かされ、領主屋敷に連れていかれ、未来の領主としての教育を受けることになった。


 その日々は恐らく、つらかったのだろうと、思い返せばそう思う。


 ただただ必死だった。慣れない礼儀作法。ほんの少し歩き方を間違えただけでひどく打ち据えられる日々。

 自由はなかった。スイの実の母親はなぜかスイを憎悪していた。きっと、領主にすべきだった『愛する子ら』が病死だの事故死だのした不幸の原因をスイに求めていたのだと、振り返ればわかる。


 だが当時は何もわからなかった。スラムの悪ガキをしていた。悪ガキなりに育ての母や仲間を愛していた。スラムこそが自分の生きる世界だと確信していたところで不意に屋敷に召しあげられ、そうして……


(向いてない人生を押し付けられた)


 そう、苦しかった。


 魂にそぐわない人生は苦しかった。押し付けられる生き方は苦しかった。

 いくらあがいても何も報われず、この苦しみに耐えればいずれ何かいいことがあるのだなんてまったく信じられない日々。

 けれど当時のスイは厳しく接されるまま、『ここで領主となる生き方しかないのだ』と思い込まされていた。


 領主になれば権力を得て自由になれる?

 そんなことはない。領主は傀儡であった。傀儡おにんぎょうとして身なりと所作を整えられ、永遠に傀儡として生きることが約束された人生。


 そんな中、ある日、献上されてきた刀と出会った。


 天野あまの十子とおこ岩斬いわきり作異形刀・風車──


 その巨大で重々しい姿に魅入られた。

 すべてをなぎ倒してくれそうな力強さに吸い寄せられた。


 気付けばスイはその刀を手にして……

 家の者たちを皆殺しにしていた。


 そうして、『救われた』のだ。


 自分に厳しく接してくる者たちを斬り殺したというのに、清々しい気持ちというのはなかった。

 怒り、折檻をするばかり、罵倒するばかりの家の者たちが死んだ安堵もなかった。


 あったのはたまらなく優しい気持ちだけ。


 いつでも渋面や怒り、憎悪を顔に浮かべ、何かに尻でも蹴られるように常に苛立っていた家人たちが、そういった苦しみの一切合切から解放され、穏やかな死に顔を浮かべている。


『救った』のだ。

 すべての悩み、苦しみから、斬ることで救ったのだ。


 スイは運命を感じた。この刀との出会いは、自分が生まれつき持っていた使命を教えてくれたのだと感じた。

 それからスイは使命をこなすため、人を『救済』して回ることにした。

 それは滅私奉公であった。誰かを救うために生まれて、この刀に出会った自分の使命……


 スイが弱者を多く殺していたのは彼女が剣客ではなく、使命のために人を救済する立場でしかないからだ。

 だが、剣豪の中にも救済すべき者はいる。そういった者を救うべく、もっと強い武器が必要だった。だから、天野十子のいおりをたずねて……


 意識が、現在に切り替わる。


 肉を裂く音。

 目の前にいたはずの千尋ちひろが消えている。


 風車──それは刀の銘であり、この刀とスイが天性の柔軟性を活かして行使するわざの名前でもあった。

 風車のごとく回転しながら相手を叩き潰すこの技。果てなく加速を続け、すべてを叩き潰す、スイと風車が合わさって初めて行使可能になる型。


 この型を男に向ければ、姿かたちを維持できす挽き潰されて肉片になり、土と混ざって供養されるだろう。


 だから、『そうなった』と思った。

 思った、のに──


 スイは、気付いてしまった。


(ああ、そっかァ。なんで急に、この刀を持った日のことを思い出したんかと思ったけど……)


 何かが、すっ飛んでいくのが見える。


 それは──


 スイの愛刀風車。

 それを握ったままの──スイの、右腕。


 肘あたりから断たれた右腕が、技の勢いのまま、刀とともに、遠くへと吹き飛んでいく。


 斬られたのだ。


 誰に?


 もちろん──


 千尋に。


(これ、走馬灯そうまとうなんやね)


 地面が迫る。

 否、回転を維持できなくなり、バランスを崩したスイが、地面に倒れ込んでいく。


 彼女は激しい音を立て、土の飛沫をまき散らしながら倒れた。

 しばらくズザァと地をこするように滑ってから、理解する。


 右腕と同時に、腹部を半ばまで斬られていた。


 男が振るった脆弱なはずの刃が、脇腹から滑り込んで、へそのあたりまで届き、そこで折れて止まっている。


(……これが『死』かァ)


 致命傷──


「いつつ」


 男の声がする。


 スイはまともに動かない体で声のほうをのたりと振り返った。


 そこには、剣を手放し立つ千尋。

 ……日の輝きを背負い立つ姿はあまりにもまばゆく、美しい。


「ああ、やはり、そうか。神力だのなんだの言っても……力には・・・違いなし・・・・。そのまま返せば男の刃でも通るではないか」

「…………はは」


 人斬りであるスイは気付いた。


 利用されたのだ。


 風車の威力をそのまま利用され、返された。


 二本の刀を縦に重ねて待ち構えるあの奇行、構え・・であった。

 切っ先で受けた勢いを殺さず、勢いのまま回って、その勢いのままに──スイの肉体に返した。


「……キミ、ほんまに、男のまま女を斬るんやねぇ」


 感心してしまう。

 腕力もなく、体格もなく、もちろん神力しんりきもない……

『弱者』の代名詞たる『男』の身で、神力をまとった女を、本当に斬ってのけたのだ。

 技量のみで。


 だから、スイは笑う。


「キミ──狂っとるよ」


 魂と肉体が合っていない。

 どれほど鍛えても強くならない身だというのに、その魂は強者そのものである。


 どう考えても苦しいはずだ。

 何をどうしてもつらいはずだ。


 そんな不自由な身で──救済が必要な身で。


こころ肉体からだ合っとらん。願望と……げほっ! ……願望と、人生が、合っとらん」


 すでに死に向かう体で、言葉を絞り出す。

 油断すればすぐさま事切れる身で、どうしてここまで必死に、苦しみを抱きながら言葉を絞り出すのか?


 それは、どうしても、末期に聞いておきたいことが、あるから。


 スイは死力を振り絞り、その問いかけを口にする。


「キミ、生きてて楽しいん?」


 夢に向かうには明らかに足りない才能──

 男である、という非才。

 それでここまで異常な技術、異常に細い綱を渡るような業を尽くしてまで、どうして人を斬る道を選ぶのか。もしも女であればとは考えないのか。女ではないという不足に苦しみ、もがき、のたうちまわり、誰にこの間違った生を終わらせてほしいと──救ってほしいと思うのが、普通ではないのか。


 スイは問いかけた。

 千尋は、答える。


「おう。この上もなし。俺は、この人生を楽しんでおる」

「……そっかァ。なら……」


 ──ま、ええか。


 死へと昇る心は穏やかで、あの日、斬り殺した家人の表情の意味がわかった気がした。


 あれは、愛だった。

 憎悪さえ感じる仕打ちをしてきた家人であった。実際、スイの知らない何かがあって、彼女らはスイのことを恨み、憎み、彼女らを襲ったあらゆる不幸の原因がスイにあると、半ば以上本気で思い込んでいたのだろう。


 それでも、末期の瞬間にはふっと顔ににじむ程度の、愛はあったのだ。


『お前を愛しているよ』なんていう強い気持ちではなく。

『まあ、お前が楽しそうなら、それはそれで、いいか』という──


(そこまでやるなら降参したるから、好きなように生きなはれ)


 参ったよ、という。穏やかな顔で。

 人斬りスイは、事切れた。


 千尋はそのむくろを見下ろし、つぶやく。


「俺はこの世界を楽しむさ」


 いわゆる『男らしく』という生き方をした方がいいのだろうかと思ったこともあった。

 だが……


 自分が殺した命に誓う。


「俺は、俺らしく、生き抜く」


 きっとそれが死へと向かう道であっても、それしかできないと確信したゆえに。

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