相手──スイの構え、異常にして異形であった。
左肩を突き出すような横構え。刃の切っ先は後ろに向いている。
異常なのは上半身の角度であった。後ろに反りすぎている。直立した状態から、後頭部を地面につける気なのかというほど後ろに反っている。
その状態で刀を掲げるようにしてまったく揺らぎがない平衡感覚は見事。明らかに無理のある姿勢であの巨大刀を持ち上げる膂力も見事。
だが、それにしても異常。幾度も幾度も斬り結び、名も知れぬいくつもの流派とも斬りあった千尋であるが、あの構えは見たことがなかった。
(なるほど、
尋常な人間が力を発揮しようと思うと、『姿勢』という要素はどうしても無視できない。
姿勢、呼吸、重心、それに加えること視線。生前の千尋はこの四つの要素を並び立たせる構えこそ奥義とした。
だが、スイの構えはどれもない。後ろに状態を反らせすぎて崩れた姿勢。呼吸は当然ながら乱れ、頭部という人体最重量パーツが足の上にないものだから重心もめちゃくちゃ、視線は顎まで反っているのでまともに千尋を捉えられてはいないだろう。
だが、脅威。
(さて、剣を掲げるように構えるならば、それは『上から振り下ろしますよ』ということでしかない、が。……見てくれだけの異形でいてくれるなよ)
千尋は襲い来る脅威を前に舌なめずりをする。
だが、状況はどう考えても悪かった。
現在の千尋は無手である。
しかも場所は室内であり、入口はスイの背後に存在する。
外に出ることさえできれば、この
しかも、互いに呼吸を測る段階に入ってしまった。
ここから『仕切り直し』はない。
たとえば『庵の外でやろう』などと言い出そうとしたならば、その瞬間に相手が動いて命をとりに来る。もはや、命の奪い合いは帰還不能地点へと到達していた。
だが、これは剣客特有の感覚であり……
「おい、てめぇら、外でやりやがれ!」
刀鍛冶である
十子の叫びが、殺し合いを始めさせた。
後頭部を地面につける気かというほど後ろに反ったまま、スイが刀を振り下ろす。
彼女の持つ
だが、遠い。
動き出したスイは明らかに間合いの外で剣を振り下ろしていた。
腰から生じた回転を利用して真っ直ぐに剣が床へと振り下ろされている。スイの身長より長い刀だ。振り下ろし切れば当然、その切っ先は床にぶつかる。間合いの外なので、刀と床との間に千尋はいない。
(床を叩いて跳ね返す? それともあそこから神力込みの腕力で斬り返す? あるいは足を狙った投擲?)
刃の切っ先が床に触れる刹那、千尋は思案する。
その予想、
振り下ろされた刃が、床に吸い込まれていく。
それはなんの抵抗も感じさせない動きで床を通り抜け一回転。
その回転の勢いを殺さぬまま加速させ、前進。
千尋の頭部に迫る。
「はははは!」
思わず笑いながら回避行動をとってしまった。
(なるほど、風車! なんともはや、すさまじい剛剣よなぁ!)
刀を縦に回転させながら迫り来るスイの様子、真横から見ればまさしく風車。
ただしその羽根は長大・超重量の刃であり、床や地面などその重量と切れ味でないもののごとく扱いながら速度を上げ続け迫り来る刃は、千尋の脳天に振り下ろされようとしている。
半身退いて回避。
動きが大きいゆえに最小動作で避ければ斬り返しもかなうまいと予想。
だが、直感のざわめきに任せて軌道を変え、スイから遠ざかる。
飛びずさった場所から見れば、縦回転であった風車、スイが体を立てる動きに伴い横回転に変化していた。
(あの極度に体を後ろに反らした構え、そういうことか!)
縦の回転を回避した者を、横の回転で仕留める。
そして、また上体が反らされ、縦回転を維持した刃が千尋に迫っている。
「俺が死ぬまで回転が止まらぬ風車──なるほど!」
どれほど体躯に優れた者であろうが、あんな体の使い方をすれば、壊れるであろう。
派手に上体を後ろに反らし、身の丈以上の金属塊を振るだけでも腰が壊れる。まして回転を維持したまま体を立てて縦から横へ、また反らして横から縦へという動き。自分の肉体を破壊する目的としか思えない狼藉である。
だが、そういった無茶ができるのだ。
神力がある、この世界であれば。
風車は回転と移動速度を増しながら千尋に迫る。
どうにか回避。だが、遠からず回避できない速度に到達する目算。
絶体絶命──
「だが、見切った」
背にしていた庵の壁が吹き飛ばされ、千尋は弾かれるように外へ出た。
剣が無数に突き立った丘。
天野十子が
千尋は突き立った剣のうちひと振りを手にする。
前世の同じ長さの刀剣と比しても重いだろう。神力前提のこの世界において、金属の武器は平均して前世より重いものらしい。
千尋はそれを大上段に構える。
「さあ、どちらの唐竹割が速いか、比べてみようではないか!」
気合一声。
回転を続けるスイへと、斬りかかって行った。