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第6話 離別

「刀を手に入れろ」


 乖離かいりは己の発言に驚く。


 乖離は天女の命を受けて、『男を隠していた村』から男を回収すべく訪れた者である。

 天女の命を直接受ける手練れをして『天使』と称する。乖離は紛れもなく、この天使のうち一人であった。


 天女とは、このウズメ大陸における政治・宗教の最高権力者。

 男がいなくなった時代に、天界から男を連れて降りてきたとされる存在。その子孫たる尊いお方のことである。


 乖離は──


 人を、斬り続けていた。

 刀を手に入れた瞬間から、人斬りとして生きていた。


 天女に仕えているのも多数を斬るためであり、それ以外には欲望らしいものもない、命令に忠実な天使のうち一人であった。


 だが、その乖離が今……


 天女の命に背いて、男を見逃そうとしていた。


「男の身でも、女に通る刃を手に入れろ」

「そいつはつまり、俺を見逃すということか?」

「……どうやらそうらしい」

「なぜ?」


 問われても困ってしまう。


 乖離自身、戸惑っているのだ。

 このような気持ちは初めてだった。天女の命令は『男を隠していた村から男を回収すること』。これに背いて男をあえて逃がしたとバレれば、面倒なことになる。見逃す理由はないはずだ。


 それでも、目の前の少年に情報と指針を与えている理由、それは……


「私はお前に恐怖した」

「……」

「もしもお前が真剣を持っていれば、殺されていたかもしれないと思った。……男を相手に、そのような思いがよぎるなどと──己を許せん」

「ふむ」

「その思いを否定したい。ゆえに、お前は、実際に剣を持ち、私に挑みかかり、私はそのお前を倒し、今日感じた恐怖を『勘違いだった』と実感する──それが、お前に指針と情報を与える理由だ」


 ようするに、武芸者としてのプライド。


 ……自分はただの人斬り──否、『刀』だと思っていた乖離にとって、本当に意外なことだった。

 だけれど、しっくり来る。


「……私は、武芸者だったらしい」


 笑ってしまうほど、しっくり来る。


 少年──宗田そうだ千尋ちひろも、笑った。


「それで? 刀を手に入れたら? ふみでも出せば会いに来て殺し合ってくれるのか?」

「名を上げ、招かれ……『御前試合』に挑むがいい」

「……御前試合?」

「そうだ。そこに、私も出る」

「……ほォ」

「ただし注意しろよ。御前試合に出られるのは、女のみだ。男が剣を振り回すなどと、許されることではない」

「ま、そういうものよなぁ」


 千尋が思い出すのは、前世のことだ。

 女の剣客はまあ、いないこともなかった。女でも腕の立つ者も、いないことはなかった。


 だがこれが流派を興そうなどというのは、世間が許さなかった。

 武に名声が絡むと、どうしようもなく『世間体』というやつが首を突っ込んでぎゃあぎゃあ騒ぎ始める。くだらんことだと千尋は思うも、そういうどうしようもないものが世界には厳然と存在することもまた、知っている。


「……くくくく……つまり、俺はこれから、女のフリして棒振りか。まったく、面白いちまたよなァ。しかしいいのか? どうにも、『男の回収』が、何やら尊いお方からの命令であるように見受けられるが」

「……そこまで頭が回るなら言っておこうか。この村は『一人の男』を隠して育てたと言われていた。『同じ顔が二人いる』という話は誰もしていない」

「なるほど。……ここは『では、弟の代わりに俺を連れて行け』とすがりつく場面なのかもなあ」

「しかし、お前はそうはしない。それは、何も救えない」

「で、あろうな」

「……御前試合で貴様を待つ」

「そこに貴様てきがいるならば、俺は必ずそこに行く」


 乖離は「ふ」と笑みをこぼし、千尋に背を向け去って行く。


 取り残された千尋は、裸のまま空を見上げていた。

 まだまだ昼日中。雲は少ないがまったくないというほどではなく、寒々しい空気が戦いで火照った全身の熱を奪っていく。


 横を向く。


 そこには、先ほど乖離に背中から刺されて殺された女がいた。

 村の女だ。……いや。そんな呼び方をするほど、遠い関係ではなかった。

 同じ年に産まれた、あの三人組のうち一人。すっかり観念して『ちょっかいを出して興味を惹こう』といったことをやめ、千尋や、弟のはくなどともいい関係を築いていた、女。

 こういう世界だから『夫婦めおと』という名前ではないのだろうが、順当にいけば、睦み合い、体を重ね、子でも設けたかもしれない相手であった。


 それが、血だまりの中、目を見開いて、何の感情もない顔で転がっている。


「久々に見た」


 死だ。


 これが、死だ。


 十二年。年寄りが死ぬことはあった。病人が死ぬこともあった。

 だが、そういうものではない。そういう自然なものではなくて、もっと違う、鋼と力により運命を捻じ曲げられた死にざま。もっと長く生きる天命があっただろうに、横合いから強引に斬り付けられて天命をまっとうできずに折れた生が、そこにある。


 千尋は、死体の頬を撫でた。


 死体は当然、反応しない。


 生意気なことも言わない。未熟な性欲に濁った瞳を向けてもこない。

 空洞のような黒い瞳が、ただ千尋の方向を向いているのみ。


「……『はつ』。そう、『はつ』だ。お前は、『はつ』だった。……感謝はしていたつもりだった。だが……お前たちの死を悼む気持ちが、敵を斬る喜びに勝らぬ。それを申し訳なく思う」


 千尋は少女のむくろの頬からそっと手を放した。


 それから、立ち上がる。


「さて、埋葬するかァ」


 親しくしてくれていた人たちがきっと、そこらじゅうに転がっていることだろう。

 母は確実に死んでいるだろう。何せ、男隠しは大罪のようで、その下手人筆頭は恐らく母なのだから。


 だが、さほど悲しみや怒りが湧いてこない。

 示された指針、この世界に存在する『敵』を倒そうという目標に、心が沸き立つ。


 この気持ちが復讐心であればよかった。

 そうでなくとも、『さらわれた弟を取り戻す』という、家族愛であればよかった。


 だが、やはり心にあるのは……


「『敵』と殺し合いたい」


 そのために、強くならなければいけないという、ただそれだけの気持ち。


「ははは……ははははは……ははははははは……!」


 千尋は笑う。

 総身を震わせるように大笑いをして──


「……乖離か。貴様のせいで、外道の人斬りが一人、世に解き放たれてしまったなァ」


 立ち上がった。


 旅が、始まる。

 まずは……


 女を斬るための刀を求める、旅が。

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