「ここはいつも変わらぬままでいてくれるのね」
そう言って葛が足を止めたので、楠葉は小走りに彼女の隣に追いつくと、葛の視線の先を追った。
「ここって……」
そこは、楠葉の記憶にある葛葉神社とそっくりの場所であった。
ただ違うのは、石造りのボロボロの鳥居と、今にも崩れ落ちそうな社があるだけで、雑草は鬱蒼と生い茂り、楠葉の記憶にある立派な葛葉神社とは全く別物としか思えない姿であった。
その中でもひと際葛葉神社と違うのは、鳥居をくぐってすぐ左手にそびえたつ立派な大木の存在だった。そこにはうっすらと桃色の花びらが芽吹いており、今の季節は春間近なのだろうと感じさせた。葛は、その大木の傍に行くと根本に腰かけた。葉の間から漏れる木漏れ日を浴びて、気持ちよさそうに彼女は微笑み目を閉じる。
楠葉はその美しい姿を鳥居の傍から見つめていたが、ふと彼女の手の細さに気づき息を飲む。
顔はふっくらとした頬で美しいとしか思わなかったが、布から見える手首や首には肉付きがなく、骨と皮だけかと思わせるほどやせ細っていた。
(もしかして、食事をとったことが無い?)
そう思ってしまう程、彼女はそのまま目を開けないのではないのかと思わせる儚さを纏っていた。
「これが、妖怪?あの苦埜と妻である……妖怪?」
明らかに様子が可笑しい。
けれど、苦埜の第一印象を考えると、あの狂った苦埜のことだ。例えどれだけ愛する者に対してであっても、人事を逸したことをしてそうだというのには妙に腑が落ちてしまう自分が居た。
「~♪」
不意に、歌が聞こえ始めた。
目を閉じたまま、葛が鼻歌を奏で始めたのだ。
(聞いたことある音色が混ざっている感じがする。わらべ歌に近いような、遠いような。かごめかごめ、とおりゃんせ、なべなべそこぬけ……かな?なんだかその辺りの歌を混ぜたような音調に感じる)
聞いたことあるようで聞いたことのないその旋律を楠葉は石造りの鳥居にもたれがかりながら聞き入った。
「ル~ルル……」
すると、鼻歌は不意に歌を詠むように言葉がのりはじめた。
指は一つ
糸も一つ
結ばれる一つは
ただ一つの糸で結ばれただけなのに
金色であるがゆえに運命が決まる
何故結ばれる?
何故縛られる?
果たしてそれは本当に運命なのか
いくつもの愛しいを手放した私には
もう何が本当の愛なのかわからぬ
教えておくれ
幸せの金色とはなんなのか
私の運命はこの一つの糸で決まるのか
叶うならば
この命尽きる前に
本当の愛をこの手に
本当の金色の糸を教えておくれ
本当の愛を私は知りたい
聞きながら、楠葉は鼻の奥がつんとしびれるのを感じた。
(どうしてだろう、なんだか、切なくて共感できるような、そんな歌だった。だからかな、泣きそうだ……)
かといって、涙は滲む程度で零れるほどではなかった。
と、突如楠葉の身体を誰かが通り過ぎた。
「え」
自分が半透明な存在であることをすっかり忘れていた楠葉は驚いて声を上げたが、その人物は葛の方へ迷いなく足を向けていた。
「こりゃぁたまげた。ワシの隠れ場にこりゃまた美人さんなお姉さんがおるとは思わんかったわ」
張りのある声でそう声をかけたのは、非常に恰幅のいい男性で、一歩歩くたびに地面が揺れるのではないかと思う程大きい男だった。ただ、その声音は優しく、人情味あふれていることが伺えた。そっと楠葉がその男性の顔を覗き込みに行ってみると、やはり知らない男性であったが、立派な腹と丸い顔、そして畑仕事で泥をいじっていたのだろう茶色や緑が目立つ汚れた着物を着た男は、至極平凡な人間そのものだった。
彼は、葛の傍にドスドスと歩み寄ると「ワシも一緒に休んでええかいの?」と言いながら、返事を待たずにドスンと地響きが起こりそうな音を出す勢いで葛の横に座った。
その男に葛は驚きを隠せず、真っ赤な目を見開いていた。
「えっと、構いませんが。私が、怖くないのでしょうか?」
「ん?怖いどころか綺麗な黒髪したぺっぴんさんやとしかワシは思わんかったが?」
(黒髪?)
楠葉の目から見て、葛は明らかに銀髪だ。
けれど楠葉は自分自身が巫女であり他の人と違うものが見えることを思い出した。
(そうか、男の人にとって、葛の姿は私が見ている姿じゃなくて、平凡な女性としか見えていないんだ)
楠葉が納得すると共に、葛もピンときたのだろう。
頬を緩め「そうですか。なら、いくらでも座っていてください」と告げた。
「よかったよかった。いやー、嬉しいなぁ。こんなぺっぴんさんの横に座れるんなんて、人生でそうそうないわ。せや、折角の縁や。一緒に飯でも食おうやないか」
そう言って、男は懐から包みを出した。
大きな葉っぱで包まれた包みの紐を男が解くと、そこから出てきたのは両手で持ってもあふれそうな大きさのいなり寿司だった。1個の大きさがすでに大きいのに、どうやって詰め込んでいたのか、ぎゅうぎゅうに10個も詰め込まれていた。
(凄い量に大きさ。でも、見た目はちょっと美味しそう、かも?)
そんなことを楠葉が思った時だった。
突如楠葉の視界が暗闇に落とされ、ハッと気づいた時には再び黒い格子の中にいた。
こめかみが痛みおさえてみると、最初に鷲掴みされた時に爪が食い込んだのが少々跡が残っているような凹みがあった。
「アハハハハハ、フハハハハハ、そういうことか、あれがそうか、そうかそうか、私もそれは知らなかったぞ。クフ、フハハハハハハハ!」
狂ったように格子の外で腹を抱えて笑う苦埜に、楠葉はひたすら混乱するしかなかった。
(確か過去の楠子様を見るよう言われて頭を掴まれたはず。だけど楠子様は一度も出てこなかった。一体こいつは私に何を見せたいの?)
ただ疑問が広がっただけのこの状況に、楠葉は眉を顰めるしかない。
「ああ、あんなのを見られるとは思わなかった。見続けたら面白い収穫がありそうだがそれではこいつをここに連れてきた意味がまるでない。だから見せるのはやはりあれだな、変更しよう。最初からだときついかと思ったが、どうせ見ることになるのだ。順番など関係ない」
顔を覆い、ぶつぶつと何やら呟き続けた苦埜はゆっくりと顔をあげ毒々しい紫の瞳を楠葉に向けた。
「ああ、今なら簡単そうだ。見ろ、これがお前に見せたい過去だ」
言葉と共に、紫の瞳が見開かれる。
思わず吸い込まれるように真正面から見てしまった楠葉の視界は、また暗闇に落とされ、そして。
「いや、痛い、いや、やめて!」
葛の悲鳴が、背後から聞こえた。