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第2話

 気づけば、楠葉は再び冷たい黒い床に座っていた。

 ただ、先ほど座っていた床とは違い所々藁が散乱しており、そこには黒ずんだ何かが染みをつくっていた。

 今まで居た場所ではない、と瞬時に察して顔を上げた楠葉は。


「え……」


 美しい銀色の長髪を背中に流した女性が、赤い瞳で虚空を見つめている姿を目にした。

 純白の着物を纏った彼女の美しい横顔は巫女像に似た雰囲気があり、そして。

 髪と同じく銀色に輝く、チリとララにそっくりな狐の耳と尻尾が、彼女には生えていた。

 一目見て、彼女がチリとララや同じ類の妖怪だということには簡単に想像がついた。

 何より、彼女の纏う雰囲気にはあの小さな双子と同じように穏やかで、親近感のある何かを感じたからだ。


(もしかして、この人が2人の言う、お母様?)


「あの……」


 疑問を明確にすべく声をかけながら手を伸ばした楠葉は、自分の手を見てハッと息を飲んだ。

 思わず手を引っ込め、改めて全身を見、呼吸を忘れた。


 全身が、半分透明になっているのだ。


 自分の体を通して向うの景色が見えるほどに。

 両手を広げて自分の手を凝視しても、手の形は朧げに見えるものの、黒い床と散らばった藁も見えるほど楠葉の身体は透けていた。

 一体何がどうなっているのかと混乱していると、目の前の女性が口を開いた。


「苦埜、私はいつまでここにいればいいの」


 淡々とした口調はまるで感情のないロボットのようで、楠葉は反射的に顔を上げて彼女を凝視した。

 彼女の赤い瞳は、黒い格子の向こう側を見ている。

 つられるように視線を動かすと、そこには白い毛皮を纏った九尾がいた。

 美しい真っ白な九尾は妖艶で美しく、思わず楠葉は見惚れた。すると、白い煙を纏いながら九尾は変化を始め、白髪長髪の黒い瞳の男へと変わった。チリが成長したらこんな姿になるのだろうか、と思わせる優しさを纏った男は美しい狐妖怪であるが、その黒い瞳は愛情を持ち合わせながらもどこか異常な何かを宿しているのを感じ取った楠葉はまた背中が凍るのを感じた。


(確かあの人はこの男を苦埜と呼んでいた。じゃあもしかして、これは苦埜の別の姿?)


くず。君が子を産めなくなるまでだよ」

「なら、すぐに産めなくなってしまうわね」

「何故?」

「知らないの、苦埜?子を産むには母体が健康であることが必要だと」

「ここで健康に過ごせばいいではないか」

「日の光も浴びずに?運動もせずに?私を閉じ込めて置けば置くほど、弱い子しか生まれないわ」

「それは困るな」

「どうせ金色の糸がある限り貴男は私の場所が分かるでしょう?なら、別に閉じ込めなくてもいいじゃない」

「確かにお前の言う通りだが、どうも私は閉じ込めることが好きなようだ。まぁ、さすがに弱い子ばかりを食う羽目になるのは私も困る。出てよいぞ」


 楠葉が状況把握をしている間、2人は淡々とした会話を交わしていた。

 そして、2人とも楠葉の方へ一度も視線を向けぬまま、男の方は黒い格子に触れた。

 すると、楠葉と目の前の葛と呼ばれていた女性を囲んでいた格子が黒い塵となってすべて消え、2人を囲むものは消え去った。


「これって消えるの?」


 楠葉が驚きを隠せないまま呆然と格子があった場所を見つめていると、葛は疲れたようなため息を漏らしながらゆっくりと立ち上がった。そこで楠葉は、彼女が纏っている着物は結婚式の花嫁衣装にあたる白無垢だと気づいた。被り物を何もしていなかった為、まさかそんな豪勢な着物を纏って黒い檻に入れられていたとは思いもしなかったのだ。


「ああ、美しいね、葛は」

「そう、ありがとう。あなたも、美しいわよ」


 苦埜の愛情に満ちた声に、葛は淡々と返す。


(もしかして、これは苦埜が見せている過去の情景?)



『これがクスコの過去だ。しっかりと、堪能するがいい』



 確かに苦埜はそう言った。

 しかし、楠葉の目の前にいる女性は伝説の巫女像に雰囲気は似ているものの、どう見ても妖怪だった。

 一方で、苦埜と呼ばれている男はあまりにも純白すぎる見た目で、真っ黒な装いをした楠葉の見た苦埜とは違い、相対する2人の妖怪は何処からどう見てもお似合いでしかなく、それを証明するように2人の指には金色の糸が結ばれていた。


(妖怪同士でも運命の糸で結ばれるものなのね。ということは、彼女が苦埜のお嫁さん?だけど、じゃあ、楠子様はどこにいるの?)


 その疑問に答えるように、楠葉は苦埜の言葉を思い出す。

 楠葉の頬から流れた血を舐めながら発せられた言葉を。



『お前には間違いなく妖怪の血が混ざっている』



「楠子様が……妖怪?」


 到底信じられない事実に、楠葉は混乱するも、もしそれが事実ならば。

 葛と呼ばれている狐妖怪が、楠子ということになる。

 しかし、妖怪は全て黒い糸を纏っているし、基本的に糸は空気のようなものなので見えないと言う。

 もし葛が楠子であるならば、貫のように人の姿に化けることを得意としていることにもなるが、今の様子では夫婦である2人は金色の糸で結ばれた妖怪夫婦としか見えない。

 巫女、という存在とはあまりにもかけ離れていた。


(わからない、何が、どうなっているの)


 飲み込めない現実に、楠葉は混乱し、頭痛で視界が揺らぐのを感じていた。


「どこに行く、葛」


 苦埜の怒りに満ちた声に楠葉はハッと顔を跳ね上げた。


「日の光を浴びたいの。言ったでしょ、強い子を産むなら、母体も健康でないといけないと。それは強くないといけないということなのよ」

「私から離れるというのか。もしこっそり私より強くなろうとするならば、わかっているだろうな?」

「糸で繋がっている限り離れられない。そして糸によって私の力の強弱も伝わる。それはあなたが一番わかっていることでしょう?」

「ああ、それもそうか。私は愛しい者をずっと縛り続けて傍に置いておきたいのだが、私が強くなるためには強い子を産んでもらわぬと困る。仕方がない、私の為にお前が強くなるための自由を与えてやろう。では、私は運動でもしてくるか」

「……また、妖怪を狩るの?」

「最近狸妖怪が鬱陶しくてな。今なら殲滅出来るだろう」

「そう。また妖怪の種族が減るのね。わかったわ、いってらっしゃい」

「ああ、行ってくるよ。愛しい私の妻」


 そう言って、白い姿をした苦埜はまた純白の九尾へと変貌すると空高く跳躍した。

 その時初めて天を見上げた楠葉は、今いる場所が外であり、木々に囲まれたどこかの森の中だったのだと気づいた。


(そういえば、私が閉じ込められた場所は黒い天井だったから黒い檻のある部屋と思い込んでいたけど、もしかしてあの場所も外?)


 楠葉が自分の元居た場所を思い出そうとするも、カサ、と動く気配で再び意識は女妖怪へと引き戻された。

 葛は行く当てがあるのか、白無垢を地面に引きずらせながら迷いなくとある方向へと進んでいた。


「待って」


 楠葉は慌てて声をかけるが、彼女は全く聞こえていないようで振り向かない。


(ああそうだった。私は過去を見せられているだけだったんだっけ。ああもう、こうなったらとことん見たいだけ見てやる!)


 楠葉は急いで立ち上がると、木々の中をすり抜けるようにして進む葛の後を追った。



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