クスコノニオイガスル
クスコノケハイガスル
全身を黒いドロドロとした液体に塗れた物体は、気配のした方へ視線を向ける。
彼がいるのはとある山の山頂。
視線を向けているのは、今しがた強い巫女術が発生した場所だ。
クスコ、ワタシノクスコ
ツマ、ワタシノツマ
黒いドロドロに塗れた妖怪は、手らしき部分を持ち上げ、気配の方へ向ける。
顔の部分にあたるドロドロがボトリ、ボトリと地面に落ち、紫の瞳が現れた。
その瞳は、楠葉が丁度発生させた結界を視界に捉えた。
ソコニイタノカ
イマアイニイク
黒い妖怪はそのまま腕らしき部分をその方向に向かって伸ばした。
しかし、ぴくっと震えて動きを止めると、黒い妖怪はその手を下げた。
結界の中に入れないと分かったからだ。
人間に扮することも考えたが、結界のせいで変化が解けるだろうことが簡単に予想でき、黒い妖怪は暫く思考する。
そして、黒い妖怪は、自身の身体の一部を切った。
ボトリと落ちた黒いドロドロは、ミミズのような生物に変化すると山を駆け下りた。
ミミズとは思えないほど高速移動する黒い生物は誰にも見えない。
暫くして、黒いミミズは人間のカバンに侵入した。
人間の持ち物に入り込むことで、変化が解けてバレても、一度侵入することは可能だと考えたのだ。
そして、自分の分身の影響により人間が呪いにかかってしまうのもわかっていた。
そうすれば、巫女の所に行くはずだと妖怪は考えた。
クスコハミコダ
ノロワレタラニンゲンハカナラズムカウハズ
サァ、ワタシヲアソコヘイレロ
妖怪の予想通り、人間は「頭が痛い」と嘆き、傍にいた人間と共に神社に入り込んだ。
カバンに潜んだミミズは何かに化けようとしたが、結界の中に入ると身動きがとれなくなり、ミミズのままカバンに潜むこととなった。むしろ、ミミズとしての形も崩れ、ただの黒い塊となり果ててしまった。
しかし、侵入には成功した。
黒い塊は、主である黒い妖怪に神社の様子を届けた。
『ご予約の栗原様、どうぞお入りください』
忍び込ませた自分の媒体から男の声を聞いた妖怪は、腕と思われるドロドロした体の一部をピクリと震わせた。
ダレダ
キイタコトガアル
ワカラナイ
マアドウデモイイ
遠い遠い記憶に聞き覚えのある声に反応し、思考するよりも、妖怪には目当てのものがある。
一旦それは記憶の片隅に捨て置いた妖怪は、媒体からの声を聞くことに集中する。
『お待たせいたしました』
女の声に、黒い妖怪は歓喜に溢れた。
アア
アア
アアアアア!
『そちらのお椅子へおかけください』
黒い妖怪は喜びで打ち震えた。
イタ
イタ
ココニイタ
ヤットミツケタ
アイタカッタ
ズットオマエヲサガシテイタ
その喜びがあふれ出すぎたのだろう。
女の声が、媒体に近づいた。
『カバンの中身、出して』
その声の響きに、黒い妖怪は違和感を覚えた。
チガウ
オナジダガコイツハチガウ
オマエハダレダ?
そう思った瞬間、媒体が掴まれ消えた。
どうやら消されたらしいことを察した黒い妖怪は、媒体が女に握られた瞬間を思い出す。
チガッタ
アレハニテルガニセモノダ
しかしニセモノがいるならホンモノもいるということ。
その結論にたどり着いた黒い妖怪は、ドロドロとしたものをボトボトと地面に落とした。
そうしてドロドロから姿を現したのは、黒い髪、黒い肌の人型の何か。
色が違うのは、瞳の毒々しい紫のみ。
その者は近くを通りがかった白い兎に視線を落とす。
「なんだおまえ。なにかようか?」
どうやら妖怪だったらしい兎は、横暴な口調で言うと、赤い瞳でじっと黒い者を見上げた。
しかし、暫く見つめ続けた兎妖怪は何かに気づき、さっと青ざめ、全身をガタガタと震わせ後ずさる。
「あ、あ、あなたは、あなた様は」
黒い者は怯える兎妖怪に指を向けた。
「ワレノシモベトナリユケ」
「サガセ、ワレノモノヲ」
黒い者が言い終わると共に、指先からピュンっと何かが飛び出し兎妖怪の首に命中した。
瞬間、兎妖怪の表情が消える。
「ワカリマシタ、オオセノママニ」
そうして兎妖怪は、神社の方角に跳ねていく。
その背を見送りながら、黒い者はにぃんまりと笑んだ。
「アア、モウスグイクゾ、ワレノツマヨ」