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第9話

 神社の階段を上り始めた楠葉は、いつも通りの竹林の景色に少々落ち着きを取り戻し始めていた。

 そして、自分のしでかしたことを冷静に思い返してみて、段々と表情を曇らせていた。


「あれは私が理不尽よね……流石に謝るべき?いやでも妖怪だし……いや、それでも流石にあれはないわ。私がダメだわ。ああもう、私のバカ。なんで堂々と着替えるかな。全然頭になかったよもぅ……」


 どうしてあれほど存在感のある貫の存在をまるで空気のように感じてしまったのか。

 そんな自分に疑問だらけで仕方ない状態でありながらも、一度起こってしまったものもしょうがない。

 色々と理由をつけて自分を正当化しようと頭の中で問答を悶々と繰り広げていた楠葉だが、やはり後で謝るしかないと結論付け顔を上げた。

 瞬間、神社の異変に気付いて目を見開いた。


「鳥居が、赤い」


 それは、他の神社では普通のことだ。

 けれど葛葉神社では違う。

 黒塗りの不吉な鳥居でありながらも、不吉なことを祓ってくれると有名であるこの神社のシンボルでもある鳥居だ。


「まさか、アイツの封印を解いちゃったから……?」


 改めて自分のしでかしたことの重大さに気づいた楠葉は、赤く美しい鳥居を見上げながら真っ青になる。

 流石に巫女としての力に長けた楠葉とて、赤くなった鳥居を瞬時に黒塗りにすることなど出来ない。


「ああ、黒に戻してぇのか」

「え」


 背後からの声に楠葉は振り向くが、その脇をすっと通り過ぎた黒い袴の男は気にせず鳥居をくぐる。

 黒い袴を普段着にしている男と言えば楠葉の知っている限り、1人しかいない。

 貫だ。

 何故ここにいるのか、いつの間に来たのか、と色々聞きたいことはあったが、それよりも貫の纏う不思議なオーラに楠葉は気を取られてしまって動けずにいた。

 先ほどの貫とは違う、この世とかけ離れた空気を今、彼は纏っていた。


「オレとしても、今まだ存在しているかもしんねぇ妖怪たちにオレが解き放たれたことなんぞ知られたくねぇから、カモフラージュはしとくか」


 独り言のようにそう呟いた貫は、鳥居に触れる。

 瞬間、美しい垢を纏っていた鳥居は、見慣れた邪悪な黒さを取り戻した。


「……これ、妖術?」


 目の前で起きた出来事に楠葉が思わずそう漏らすと、「ハッ」と貫は鼻で笑った。


「人間がオレたちの力をなんて呼んでるかは知らねぇが、まぁそういったものだろうな。オレは基本的に変身系統が得意だ。ちなみにこの人間の格好は単純にオレのお気に入り。本体はこっち」


 そう言って、貫は袴の懐から手のひらサイズの葉っぱを取り出すと、ちょこんと頭に乗せた。

 同時に、彼の頭に狸の耳がぴょこんと飛び出した。それをちょっとかわいいと思ったが、それを口に出しては負けだと思った楠葉は口元を手で覆うことで言葉を飲み込んだ。


「変化」


 貫がそう唱えた瞬間、ボフンっと音を立てて黒い煙が貫を覆い、次に煙が晴れて出てきたのは、赤い目をした狸だった。

『狸』と検索すればネットで山のように出てくる写真と同じような狸であるが、その目の色が、普通の狸とは全く違うものだと楠葉はすぐに感じ取れていた。


「狸って、目の色赤いっけ」

「最初の感想がそれかよ。大抵の人間は可愛いだのと油断を見せるっつーのに、やっぱおめぇは違ぇな。まぁ、勿論答えはNOだ。つーかそれがオレが妖怪って証拠だ。この姿は隠れるのにはいいが大胆に動くには人型がやっぱり楽でな。だからオレの基本スタイルは――」


 そこで言葉を切り、また頭に葉っぱを乗せて「変化」と唱える貫。

 すると、再び黒い煙に包まれ、その次には黒い袴姿の美男子が楠葉の目の前に立っていた。


「こっちだ。それにこっちの方が幻惑かけやすいしな。人間ってのは美しいものが好みなんだろう?」


 八重歯を見せながら不敵な笑みを見せる貫に、楠葉はこの妖怪の力はまだ計り知れていないことが多いのだと実感せざるを得なかった。

 例え結婚指輪の力による言霊で、ある程度の行動制限を命令できるとはいえ、出来る限り隙を見せないよう気を付けなければいけないと気を引き締め、楠葉はぴっと背筋を伸ばして貫と向き合った。


「今朝から思っていたけど、あんたは妖怪のくせに異様に人間に詳しいわね」

「むしろ、妖怪で人間に詳しくねぇ奴の方が少ねぇよ」

「そう。そういうものなのね」

「てことで、オレは暇だからその辺うろちょろさせてもらうぜ」

「は?ちょ、仕事の邪魔をしたら、わかってるわよね?」

「へいへい、ほどほどにしとくから安心しな」


 全く安心できない言葉と共に、おみくじ売り場の方へ颯爽と行く貫。

 それを不安そうに見送りながらも、楠葉にしか出来ない仕事がある限り、神社内でずっと貫を見張ることなど出来ない。

 貫がここに現れた限り、この先の前途多難さをすでに痛感し始めた楠葉は「もっと対策考えないとなぁ……」とため息をつきながらも、仕事の準備に取り掛かった、が。

 やはり、貫が大人しくしているわけなどなく。

 そこら中で歓喜の声が上がったり、謎の狸登場に驚き好奇の声を上げたり、何か驚くものが突然出たらしく悲鳴が上がったりなど、普段の神社では決して起こらない声と雰囲気で満ちていた。

 神社というものは、どちらかというと静けさに満ちた不思議な場所、というイメージが高い。

 それを見事なほどにぶち壊しているのは、紛れもなく全て貫の仕業であった。

 原因が分かっている限りは、お祓いをこなしながらも様々な対応に追われた楠葉。

 神楽鈴を振ったり、空中で漂う糸を集めて貫を捕えたり、何とかしていつもの葛葉神社に戻そうと奮闘した。

 ここで悲しいことであったのが、貫が人間姿でいると「夫婦がそろって仕事するのはいいねぇ」と親戚一同が不思議な力云々が見えないがためにあらゆる異変に気付かないどころか、楠葉の結婚で浮かれすぎているためか参拝に来た人々の異変に一切気づかず、対応してくれなかったことだ。

 そのため、全てにおいて楠葉が対応し、いつも以上に走り回り、力を使い、夕方になり始めたころ。

 突如、楠葉にまた異変が起きた。

 視界に入る範囲の世界がぐるりと回転し、瞼が重くなったのだ。

 朦朧とする意識の中、石畳の冷たい感触と共に痛みを覚えた後、楠葉が覚えているのは少しだけだった。



 ――周りのざわめき


 ――慌てふためく従業員


 ――若い従業員の男が楠葉に慌てて走り寄る


 ――大丈夫ですか、と伸ばされた手の間に、貫が間に割り込む



「オレの嫁に触んじゃねぇ!!!」



(誰のせいで、私が倒れたと思っているのよ)



 とびとびの記憶の中で、貫の言葉にだけ脳内で反論したのち、楠葉の意識は暗転した。


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