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第7話

 貫の叫びに、楠葉はフンっと鼻を鳴らした。


「それはこっちのセリフよ。せめて同意の上で幸せな結婚をしたかったという私の夢をぶち壊したんだから。もっと痛い目見てほしいくらいだわ。今すぐにでも私だって離婚したいけど、あんな大々的な結婚式を挙げた手前そう簡単にはいかないだろうし……ていうか多分、これのせいで私たちは離婚することができないでしょ?」


 言いながら「ベー」と舌を出して貫をからかってみたものの、根本の問題は解決していない。

 楠葉は不満そうに自分の小指に絡まっている金色の糸を掲げる。

 見れば、先ほどよりも若干太くなっているように見えるその糸は、貫とのつながりをより強固にしているようにしか見えなかった。


「あーそれだ。思ったんだけどさ。てめぇ、糸操れんだろ?」

「そうだけど」

「なら、お前がこの金色の糸を切れば早い話なんじゃねぇか?」

「だから、他の糸だけだってば。金色の糸が特別なのはあなたも知っているでしょ?私でもどうにもできないのよ」

「あー……」


 楠葉の答えに貫はがっくりとうなだれる。

 気づけば、先ほどまでなかった頭頂部にたぬきの耳が出ていた。

 楠葉の言霊攻撃により心身が弱り、少し化けの皮が剥がれているということなのだろう。

 たぬきの耳などあまり間近で見ることのなかった楠葉は、ふわっとして気持ちよさそうな茶色い耳に思わず釘付けになるが、「あ!」と貫が大声を上げたので、視線を急いで耳から逸らし貫へ戻した。


「いや、待て、仲が悪くなれば糸が消える話をオレは聞いたことあるぞ」

「なんですって!?」


 そんなことは楠葉も知らないことだった。

 曾祖母からそんな話は聞いたこともないだけでなく、楠葉は篠宮家の倉庫にある書物も殆ど全て読み終えている。その中に、金色の糸が消える話など、一度も出てこなかった。

 だからこそ、楠葉は金色の糸は正に運命の糸で、誰にも手を出せない特別な糸なのだと思っていたのだ。


「人間同士だとそれはねぇが、妖怪と人間の場合はそのケースが1回あったはずだ」

「よし、それに賭けましょう」


 1回あった。

 その言葉に楠葉は少し引っかかりを覚えたが、本当に金色の糸が消える方法があるならば、試す価値はあった。

 楠葉は恋をしたいが、やはり普通の人間としたい。

 それに貫は言った。


『人間同士なら消えることはない』と。


 そもそも妖怪と人間が運命の糸で結ばれるということ自体がイレギュラーなのだ。

 それを正常に戻し、例えこの先金色の糸が楠葉の元に二度と現れなくなったとしても、楠葉は巫女である身としてそれを受け入れる覚悟はもうできていた。何より、巫女という立場であるからこそ、妖怪と結ばれるなんてことを避けれるものなら避けたいという思いの方が強かった。

 今は騙してつけさせた篠宮家の伝統的に受け継がれている結婚指輪により貫を一時的に操ることは出来るが、それも楠葉が生きている間だけだ。

 人間は老いる。

 いつか楠葉の力が弱まった時、数百年封印されていたとはいえ、それだけ生き延びてピンピンとしている貫という妖怪を誰が止められるだろうか?

 しかも彼は伝説の初代巫女である楠子でさえも倒すことは出来ず、封印された妖怪だ。

 再び封印するか、もしくは消滅させるためにも、その方法を模索するにあたって貫と離れられるようにする必要がある。


「ものは試し。そのたった1回のケースを信じて、私たちで2度目にしましょう」

「だな。はーあ、こんなにめんどくせぇ奴なら結婚式挙げんじゃなかった。上手い女を好きなように食いながら、自由気ままに出来ると思ったのによぉ」

「食うって……!」


 またもやドストレートに言葉を述べる貫に、そう言った事柄に免疫のない楠葉の顔が赤らんだ。

 その動揺を貫は勿論、見逃さなかった。


「なんなら今食ってやろうか?食うだけのためなら、操れそうだしな。何よりお前を食ったら……オレの力の方が上回るんじゃねぇか?」


 言うが早いか、会話をしている間に貫の頭にあった耳は消え去り、普通の美男子にしか見えない貫が楠葉と距離を詰めてくる。

 不敵な、笑みを浮かべて。

 思わず心臓が飛び跳ね固まる楠葉に、貫は「やっぱお前、免疫がねぇってのがいいわ」とさらに距離を詰め、手を伸ばせば頬に触れれそうな距離となる。

 黒い瞳同士が、交わる。

 吐息までが、交わりそうな、距離。

 楠葉はぐっと目と口を固く閉じると「私はそう簡単に食べられないんだから!」と言って、叫んだ。


「“ハウス”!!!!!」


 叫ぶと同時に、楠葉は自分の傍にある毛布を投げつけた。

 すると、最初に言霊を唱えた時と同じように、貫は毛布でぐるんっと簀巻きになり、そのまま布団にたたきつけられるように寝かされた。


「……くっそ、またかよ。オレその言葉嫌いだから二度と言うんじゃねぇ」

「そうはいかないわよ。身の安全のためにも他にも対策を練らな……きゃ……」


 ドクン。

 急激に視界が揺れ、楠葉の世界が一周した。

 心臓が激しい音を立てて鳴り響くことに戸惑いながら胸に手を当てた楠葉は、突然猛烈な眠気に襲われ、瞼が唐突に重くなり始めていた。


「あ、あ……れ?なんだか、急に眠く……だめ、もう何も考えられない……もういいや、後は全部明日にすれば……い、……か」


 何が原因かわからぬまま、楠葉の意識はそこで急にぷつんと途切れ、そのまま布団に倒れこんだ。

 その様子を見た貫も訳がわからぬがこれはチャンス、と急いで布団から抜け出そうとするがビクともしない。


「……ん?んんん?」


 貫はゴソゴソと身じろぎをするが、毛布が貫から離れる気配はない。

 むしろ、それ以上動くなとばかりにぎゅぅっと締め付けられ度が上がるだけであった。


「……おいおい、マジかよ。冗談じゃねぇぞ。もしや、コイツが解かねぇとオレはこのままってわけか!?」


 先ほどはどうやって抜け出しただろうか。

 必死に頭をフル回転させた貫は、楠葉がハウスともう一度唱えてからだったことを思い出す。

 手が離れた時も、楠葉が貫に直接触れて突き飛ばしたからだ。

 つまり、楠葉が貫に直接触れるか、何かを唱えない限りは、自分はこのままだと察した。

 試しに自分につけられた指輪に貫は自分の力を流し込んでみるが、妖怪と巫女の力はやはり違うのだろう。

 ただ力を籠めるだけで終わり、手ごたえのようなものは何も感じなかった。


「うっそだろ。ちょっと待て、寝るな!おい!これどうにかしてからにしろ!くっそ、このくそ巫女め~!」


 貫の叫びは、スヤスヤと穏やかな寝息を立てる楠葉には、一切届くことはなかった。



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