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第6話

「は?……は!?……はぁああああ!??」


 自分の意識に従わず勝手に体が動くというのは未体験だったのだろう。

 もしくは、まさかそんなことが起きるなどと思っていなかったのか。

 貫の口から、困惑と驚きと怒りが入り混じった素っ頓狂な叫びが吐き出された。

 そんな貫をよそに、楠葉はじぃっとくっついた手を観察していた。


「適当に言った言霊だったけど、あの言葉なら指輪を付けた手がくっつく、と。凄いわね」

「いやいやいや……感心してんじゃねぇぞてめぇ!何だよこれ!」


 まだ動揺がおさまらない貫は「くっそ、こんなもの!」と自分の手首を掴むと、綱引きの要領でグググと引っ張るが、全く動かなかった。


「は!?いやいや、なんっじゃこりゃ!?全然手が動かねぇ!なんっだよこれ!!」

「そりゃぁ、ね。巫女が妖怪をそう簡単に野放しにするわけがないじゃない」


 相反して、楠葉はお祓いをする時のように至極冷静な状態になると目を細め、貫に視線を戻すと、ほほ笑んだ。

 先ほどまでは貫のターンとも言える状態であったが、今度は楠葉のターンだ。


「さて」


 楠葉はくっついた手はそのままに、自分の指につけられた金色に輝く指輪をじっくりと見据え「成程ね。適当にやってみたけど、狸妖怪だから動物に対するしつけの言葉が一番効果があるってこと……かな。色々試さないとわからないけど、とりあえずやってみたらわかるって感じかも。ひいばあちゃんから色々聞いてたけど、気になって篠宮家の書物について全部読んでおいて本当に正解だったわ……」と口の中で呟き、他にどんな言葉が有効だろうかと考えるように顎に指を添え、思案を始めた。


「ちっくしょう、図ったな!」


 冷静に思案を始める目の前の楠葉に唾を吐きかけんばかりに叫ぶ貫。

 その唾が少し顔にかかった楠葉は気分悪そうに眉間にしわを寄せ、袖で軽く拭った。


「そっちだって勝手に幻惑かけてきたんだから、お互い様でしょ。ていうか、先に仕掛けたのはあんたの方でしょが。あんたが勝手に籍を入れるよう私に幻惑をかけたから、私だってもう逃げられなくて困ってんだからね。もうこうなったら開き直って私があんたを操るまでよ」

「くっそ、こんな面倒くせぇ女だったとは!」

「それはこっちの台詞。妖怪と金色の糸で結ばれるだなんて、本当に夢にも思わなかったんだから。私が夢描いていた結婚を返してほしいぐらいだわ。本当、一体どうすればいいのよ。私、この糸だけは操れないんだからね」

「あ?お前糸を触れんのか!?」


 楠葉の言葉に、突如貫は動きを止めじっと楠葉の顔を覗き込んだ。

 それはもう、鼻先がくっつきそうなほど距離だ。


「……あー、なるほど。おめぇ、ほぼ楠子だ」

「ちょ、近い、離れて!」


 突然キスが出来そうな距離に接近された楠葉は、結婚式の際にハッキリと覚えているキスの感触を思い出しカッと全身の熱が上がるのを感じ、思わず空いている方の手で貫の胸板を押し出した。

 すると、あれほど貫が頑張っても離れなかった手はいとも簡単に離れ、貫は「おっとっと」と声を出しながら布団に尻餅をついた。


「よっしゃ今のうちに」


 貫はそう言うと指輪を抜こうとすぐに引っ張るが、ビクともしなかった。

 むしろ、そこに小指に絡まっている金色の糸がするすると伸び、絡まり、きつく結び、まるで二度と取れないようにせんとばかりに指輪は金色の糸によって貫の薬指に固定された。

 同じく楠葉の指でも同様のことが起こり、暫く2人は金色の糸の動きをポカンと見つめていた。

 暫くして動きを止めた金色の糸は、そのまま金の指輪に溶け込むように消えた。

 かといって、二人が結ぶ金色の糸は健在のままであった。


「おいおいおい……オレは流石にこんなの見たことねぇんだが」

「私だって初めてよ……こんなこと起きた事例も見たことも聞いたこともないし……え?え?糸って、生きてるの?」

「知らねぇよ。糸っつーもんは人間にとっての空気と同じようなものとしか知らねぇ。つーか、そう、空気みてぇなもんなんだよこの糸は!だから糸を操れる人間がいるのがそもそもおかしいんだ。空気を掴んで伸ばしたり圧縮したりすんのと同じだからな。妖怪でさえもそんな奴は一握りしかいねぇんだよ」

「え、そうなの?」


 貫の言葉に楠葉が吃驚して顔を上げると、貫は深く頷いた。


「ああ、だからお前の瞳を覗いたんだ。で、多分他の人間は誰も気づいてねぇだろうが、よ~く見たらお前の瞳の中心は赤くなってる。それは今まで見た人間の中で楠子しかいなかった。つまり、お前は楠子と同じ力を持った人間だ。あれだ、先祖返り?みたいなもんだろ。確かそんな話を聞いたことがあるからな。あ、いや、実際に血を引いているんならちょっとちげぇのか……?ただ、楠子と同等か、もしくはそれより強ぇかもしんねぇなお前は」

「私が、初代の、あの、伝説の巫女より……強い?」


 貫は非常に嫌そうに吐き捨てていたが、楠葉は言われた言葉を嚙みしめるように復唱すると、嬉しそうに頬を桃色に染まらせた。

 それはさっきまでの恥ずかしそうな染まり方とは違い、喜びに満ちたものであった。


「私が、伝説……わぁ、そんなことって、あるんだぁ……!」


 嬉しさのあまり楠葉は両頬を幸せそうにおさえながらふにゃけた笑みを浮かべる。

 妖怪の前であるという緊張よりも、自分が伝説の巫女と同等と言われたことが嬉しくてたまらなかったのだ。

 なんせその言葉は、今まで自分が赤い糸を拒否し、そして、黒い糸を取り除き続ける仕事に人生を注ぎ続けていたことが報われる言葉でもあったのだ。


「ほーん、そうやって笑うと可愛いじゃねぇか」

「ふぇ?」


 すっかり油断していた楠葉は突然の誉め言葉に間抜けな声を上げながら、貫を見る。

 そこには、今まで見たことのないような優しさを纏った異性の微笑みが、あった。

 胡坐に頬杖をつきながらのその笑みは、美形であるからこそ思わず見とれてしまう魅力にあふれており、思わず釘付けになる楠葉。

 であったが、彼の小指から垂れている金色の糸を見て急に視界が晴れはじめた楠葉は、今、貫の魅力による幻惑をかけられそうになっていたことを知り、眉間にしわを寄せる。


「またやろうとしたわね。でも残念な。もうそれは私には効かないわよ」

「ちっ。おしいと思ったんだがな」

「一度かかったものにはもうかからないわ。貴男が言ったんでしょ。私は強い巫女だって」

「異性に対しての耐性は激ヨワだけどな」

「うるさい、“ハウス”!!」


 痛い所を突かれてしまい、言い返す言葉がない楠葉が思わず感情のままに思い浮かんだ言葉を叫んだ瞬間。

 貫が座っていた布団の毛布がまるで命を吹き込まれたかのようにぶわっと浮き上がり、貫の頭上で揺蕩う。


「んあ?」


 一体何が起こるのかさっぱり予測できていない貫は間抜けな声を上げながら毛布を見上げた。

 刹那。

 毛布がぐるんっと貫に巻き付き、まさに簀巻き状態となるとそのまま布団――ではなく、部屋の中心である畳にどさっと寝かされる貫。


「……は?」


 何が起こったか理解できていない様子の貫の状態は、間抜け、という言葉が似合う表情で、それまでの魅力的な笑顔というカッコよさや美形が全て台無しになっている姿に楠葉は「ブフッ」と噴出した。


「は?は?ちょ、動けねぇんだけど!?なんだこれ!?」


 貫は必死に毛布から抜け出そうとするが、全く抜け出すことは出来ないようで釣り上げられたばかりの魚のように畳の上でビチビチと跳ねていた。


「あっはっはっは!これいい!何度も使おうっと。ハウス!」


 もう一度楠葉が言霊を唱えると、毛布にくるまれた状態でうねっていた貫がピンっと強制的に動きを止められ、真っ直ぐな姿勢になり宙に浮いた。すると毛布がひらっと貫から離れ、元の場所、布団に戻る。と同時に、「え」となっている貫はそのまま畳にびたんと背中からたたきつけられた。大の字になってたたきつけられたので、そこそこ痛かったことだろう。


「いっってぇ!!」

「あ、こっちの方がいいわ。もっかい、ハウス」


 楠葉が唱えると、貫は大の字のまま浮かび上がり、またびたんと畳にたたきつけられる。


「おま、ざっけんじゃねぇ!」


 流石に何度も叩きつけられると、例え人間からかけ離れた存在である妖怪であっても背中が痛かったのだろう。辛そうにその場で起き上がった貫は、楠葉を睨みつける。


「くっそ、こんなことなら結婚するんじゃなかった!」


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