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第4話

 唖然、とする楠葉の前で気分良さそうに肩をぐるぐる回したり、首の凝りをほぐすような動作をしたのち、すぐに楠葉へ気づいて視線を向けた。

 人間と思える黒い瞳だが、登場の仕方と言い、頭に生えているものといい、到底人間とはいえない男に楠葉は無意識にもう一歩後ずさるが、妙に吸い込まれるような、もっと近づきたいと思わせるような不思議な魅力を放つ黒い瞳に、楠葉はそれ以上動けなくなってしまっていた。


「なんだよ楠子。まるで化け物でも見るようにオレを見やがって。封印したのはおめぇだろ?」

「くす、こ?」


 男から出てきた名前に思わず楠葉は反応する。

 それは、初代巫女の名前であり、楠葉の家系、篠宮家しか知らない伝説とも言える名だ。

 葛葉神社の伝説について根掘り葉掘り調べている熱心な歴史研究家であれば知っているかもしれないが、主に”不思議な力を持つ巫女が居る”と言われているだけで、楠子、という伝説と言える初代巫女の名前が出ることは今までなかったことであった。だからこそ余計に、目の前の妖怪から出た名前に楠葉は困惑した。


「ん?なんか若くなったか?つーか子どもっぽいつーか……んん?」


 男は頭頂部の耳をぴこぴこ揺らしながら楠葉に近寄り、じぃっと顔を覗き込む。

 顔の近さに、楠葉は喉がきゅっと詰まるような気持ちになった。

 巫女の仕事一筋で元々男への耐性がない中で、今までの人生で見たことの無いような突然の美形の登場に戸惑わないのは無理があった。何より、出来事が出来事だ。情報過多で、楠葉の脳内は今にもパンクしそうな状況であった。

 そんな戸惑いと困惑で何も言えずにいる楠葉の心中など知らぬ男は首を傾け、言った。


「お前、名は?」

「え、あ、楠葉」


 反射的に答えた楠葉に「ふーん、やっぱ楠子じゃなかったか」と腕を組み、納得したように頷く男。

 その瞬間、楠葉は男の手元に視線がを吸い寄せられた。

 それは、それまでの困惑を全て吹き飛ばすような衝撃的な現実だった。


「え!?金色!?」


 男の手元から垂れているのは、運命の糸、と言われる金色の糸。

 そしてその繋がり先は。


「え、え!?えええええ!?」


 楠葉の、小指。

 信じられない思いで自分の手を掲げた楠葉が驚愕の声を上げていると、男の眉が上がった。


「ほーん。なるほど。楠子と同じ目を持ってんのか。てことは、この糸の意味もわかってんな。てかこりゃ好都合」


 男はそれだけ言うと、楠葉の顎を掴み、くいっと上げた。

 黒い瞳と、楠葉の瞳が、真正面から向き合う。


(すごく、綺麗な顔の人)


 楠葉がそう思った瞬間、男はにまぁと笑みを広げた。


「利用させてもらうぜ」


 その言葉と共に、楠葉の意識は暗転した。




 ――楠葉は、夢を見ていた。


 憧れの白装束を纏った楠葉が顔を上げると、鏡に映るのは明らかに花嫁という名に相応しい姿の自分。

 何度も夢見た姿が、目の前にある。思わず、笑みがこぼれると、鏡の中の楠葉も幸せそうに微笑んだ。

 その横で、母親が白いハンカチで感動の涙を流しながら「おめでとう」と言葉を繰り返す。

 父親は、これでもかというくらいの男泣きをしていた。

 その1歩後ろで、兄と弟が「楠葉もやっとか」と薄っすら目の端に涙を溜めていた。


(ああ、私、結婚するんだ)


 ふと手元を見れば、小指に金色の糸。

 それは運命の人に出会えたことを意味する色。

 楠葉は鏡の向こうに見える家族に向かってほほ笑み「ありがとう」と言葉を告げる。


(私もやっと、出会えたんだ。運命の人に)


 でも、相手は誰だったのだろうか。

 それが朧気で、思い出そうとすると頭が痛む。

 思わずそっと頭に手を伸ばすが、靄のかかったような感覚と、夢の中にいるようなふわふわとした心地よさが楠葉のその些細な抵抗を遮るように”夢なら夢で、幸せならそのまま身を任せればいいじゃねぇか”と脳内で語り掛ける声があった。その通りだ、と何故か思ってしまった楠葉は「それもそうね」と1人呟き、頭に触れようとした手をおろした。


「楠葉様、こちらです」


 挙式のスタッフだろうか。

 案内されて、楠葉は導かれるままに足を運ぶ。

 そうして着いた先は、祝福の言葉を述べる人々が並ぶ場。

 ああ、やっぱり自分は結婚をするんだ、運命の人と。

 祝辞の言葉を一身に受けながら、楠葉は夢見た幸せをかみしめていた。

 そこへ、スタッフの声が高らかに響き渡る。


「それでは、誓いのキスを」


(キス!?)


 男へ耐性のない楠葉にとって、その行為は初めてのものだった。

 でも、運命の相手なら、それは当たり前だろう。

 そうだ、これから一生を過ごす相手だ。

 甘んじて受け入れよう。

 楠葉は隣を向く。

 そこに、茶色い髪の黒い和装の男がいた。

 楠葉の顎を男の指が優しく持ち上げる。

 その指には、楠葉と同じ金色の糸が絡まっていた。

 唇が、触れ合う。

 温かくて、どこか湿っぽい。

 初キスが結婚式、というのはなんてロマンチックなんだろう。

 ぼんやりとした意識の中、楠葉は男の顔を見る。


「これでお前は俺のもんだ」


 にぃっと見える八重歯。

 それは鳥居から突然現れた人ならざる者と似た声で。

 そこで、楠葉はハッと意識がハッキリと戻った。



「「「おめでとう!!!」」」



 拍手と、祝福の言葉の嵐に。

 楠葉は気づく。

 夢ではない、と。

 改めて自分の姿に視線を落とすと、間違いなく白装束で、普段の巫女姿ではない。

 隣を見れば、和風の結婚式によくある新郎の姿をした、あの男だった。


「ほぉ、もう幻惑解けたか。ていってももう後戻りできねぇようにしたから残念でした。あ、ちなみにオレ、貫(ぬき)。よろしくな」


 完全に人間として化けているのか、頭の上に動物と思わしき耳はない。普通の人間としか見えない貫と名乗る男の言葉に、楠葉は全てを察した。

 これはもう手遅れだ、と。


(やられた……!)


 幻惑をかけられ、知らない内に結婚をさせられていることに自覚した楠葉が、そこから逃亡など計れるわけなどなく。

 その夜から、結婚生活がスタートとなるのだった。


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