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第3話

 神社の売り場は定時の時刻を超えていたので、母親と従業員はすでに先に帰らせており、最後に掃除をしようと竹箒を持った時の出来事だった。

 人が居なくても神社には人が通い、初代巫女と言われ祀られている数珠を持った巫女の銅像が祀られている所に、皆お参りに行く。たまに、その巫女像の前にあるお賽銭の中に黒い糸が絡まっているものがあるため、人が居なくなった時にチェックをするのも楠葉の役目であった。

 故に、例え楠葉1人しか居ない時にお参りをしにくる人が少人数いるのはいつものことである。が、妙に赤い糸が漂うなと思って楠葉が顔を上げた時に、その赤い糸の根源となっている男がバラの花束を持って跪いて目の前にいる、という事態は流石に今日が初めてのことであった。

 そのため、思わず楠葉の口から「うっそだぁ……」と困惑の感想が正直に漏れ出た。


「家に帰って考えました。だけどやっぱり、僕は貴女を忘れられません。結婚してください!」


 そう言って声高らかにバラの花束を楠葉に差し出す男。

 昨夜はボロボロの衣服に虚ろな瞳であった彼は、まるで生まれ変わったかのように瞳は生き生きとした輝きを放っており、衣服もピシッとしたスーツで決まっている。

 その様子から、かなりの覚悟を決めてここに赴いたのだろうことは流石の楠葉でも受け取れた。

 だからといって、その熱意に根負けして首を縦に振る楠葉でもない。

 それに、楠葉に黒い糸を祓ってもらったことにより運がよくなることを知って、こうして好意を向けてくる男は過去に何人も何人もいた。

 そのため、もう三十路となり落ち着きある大人となった楠葉の目には、その熱意が例え赤い糸にまみれた大きい純粋な好意だと見えていても心に響くものではなかった。


「だから、昼間に申し上げた通り、私はここを守る巫女です。出会って間もない程度の、しかも昨夜のお客様である貴男と私が結ばれることはないのです。何より、昨夜の私の力を信じるならば、私の目ですでに、あなたと私は運命の相手ではないとすでに見えているのです」

「けれど、時が経てば変わるものもあると言うではないですか!もしかすると、時を重ねれば僕たちは運命で結ばれるのではないでしょうか!?」

「それでも変わらないのが運命です。どうかお引き取りください」


 時が経てば変わる。

 それが真であればどれほど気が楽だったろうか。

 楠葉だって、曾祖母の言葉を聞きながら、変わるものもあるだろうとずっと思っていた。

 けれど、楠葉は知っている。

 運命の金色の糸だけは、どれだけ時間がかかろうとも変わらないと。

 そして、出会った瞬間に生まれなければ、金色に変わることもないのだと。

 何度も目の当たりにし、曾祖母に言われてきたからこそ、楠葉は金色の糸がどれだけ特別なものなのかを良く知っている。

 かといって、見えない人にそれを信じ込ませるというのは難しい話であることも十分に承知していた。

 だから楠葉は大抵の人へ「私に不思議な力があると言うならば、その私が『違う』と答えれば違うとわかるはずです。しつこく付きまとえば、折角祓ったものも戻ってくるかもしれませんよ」という少々の脅しを交えて答えている。そうすれば、怯えてすぐに退散するものなのだが、目の前の男は全く聞く耳を持たなかった。

 どれだけ説明しても全く引き下がらない男に楠葉が辟易して首を横に振っていると、ふと、眼の端で金色が煌めいた。

 ハッと楠葉がそちらへ視線を移すと、葛葉神社の恋お守りをカバンにぶら下げた女性だった。

 どうやら丁度神社へお参りに来たところであったらしく、階段を上り切った彼女は跪いている男を視界に入れた。

 刹那。

 彼女の指と、目の前の男の指に。

 金色が、生まれた。


「あ」


 楠葉が声を上げるのと同じぐらいのタイミングで、通り過ぎようとしていた女性が突如振り向き「あれ、もしかして、ケント君?」とバラの花束を抱えた男に声をかけた。

 男も女性を見た瞬間「え、エミちゃん!?」と驚きの声を上げて2人で驚き見つめ合っていた。


「わぁ、久しぶり。こんなところでどうしたの?」

「あ、ここの巫女さんに一目ぼれして告白して……フラれたとこ」

「アッハハ! 惚れっぽい所は相変わらずだねぇ」

「そりゃあ、恩人だから」

「確かにここの巫女さんは凄いって噂だけど、迷惑はかけちゃだめだよ?」

「でも……」

「もうフラれたんでしょ。ほら、巫女さんもお仕事中だから謝って」


 目の前で2人が言葉を交わすごとに、楠葉に向けられていた赤い糸がふわりと宙に溶けて消えていく。

 それを見ながら、ああほらやっぱり、と楠葉は目を細めた。


 金色の糸の前で。

 好意にあふれた赤い糸は、無意味なのだ。


「……あの、すみませんでした」


 男が女性の言葉に従い頭をしょんぼりと下げた。

 その姿に楠葉は、心の中にどうしてもくすぶってしまう寂しさを押し殺しながら「いえ、わかっていただけたなら問題ありません」と微笑んだ。


「ほら、いこ。ここで会ったのもある意味運命かもだし、ちょっとご飯行かない?どうせ暇でしょ?」

「確かに今日は暇だけど、さぁ。まぁ、わかったよ」

「勿論奢ってよね」

「え、か、金あるかなぁ……」


 まるで、熟練夫婦かのような軽口をたたき合いながら、楠葉に背中を向けた2人。

 金色の糸で小指を結ばれ歩く2人の姿は、もうすでに幸せな運命を見つけたも同然としか思えない幸せな空気を纏っていた。


「いいなぁ……」


 帰っていく二人の姿を見送りながら、楠葉は安堵はあるものの、羨ましいと思わずにはいられない本心が口から漏れ出てしまっていた。

 別に楠葉とて、恋をしたくないわけではない。

 どちらかというと、したい。

 勿論、運命の人に出会いたいというのは本心だ。

 でもだからといって恋愛に興味がないわけではなく、むしろありまくりだ。

 だが、糸の色によって人の心が移り変わってしまう様子がすぐにわかってしまう楠葉にとって、金色の糸で結ばれてない人に好意を見せられても、首を縦に振ることができない。

 実際に今、あれほど自分に向けられていたはずの好意の糸はすっかり消え失せ、しっかりとした輝かしい金色の糸で2人は結ばれ帰っていった。


「だから、好意の糸は信用できないのよ」


 気づけば、空はすっかり夕焼けの赤色に染まっている。

 太陽だけが、どこか金色を思わす光を放っていた。


「しまった、逢魔が時だ」


 楠葉は慌てて神社の掃除を開始する。

 空が夕暮れに赤く染まった時に鳥居近くでしてはいけないことがある、と曾祖母に何度も何度も強く言われていた。

 だから逢魔が時は社の中にいるか、極力神社の中で動かないよう気を付けていた。

 それは、葛葉神社の鳥居が他の神社とは違い黒い事にも由来していた。

 急いで落ち葉を掃除しながら、ふと、楠葉は手を止めた。


「あれ、でも、何がダメなんだっけ……」


 そういえば、と楠葉は思い返す。

 神社の中で楠葉は何度も逢魔が時を過ごした。

 一度、鳥居の下を無意識でくぐってしまったことだってある。

 だけど何も起きなかった。


「確かに鳥居に関することだったと思うんだけど……」


 楠葉は黒塗りの鳥居を見上げた。

 赤い夕焼けを背景にした鳥居は、いつも以上に神秘的な何かを纏っているように感じた。

 気づけば、楠葉の足は動いていた。

 そうして鳥居の下をくぐり――ハッと楠葉は我に返った。


「ちょ、だめだめ。ひいばあちゃんにあれほど言われたしょ、楠葉!」


 鳥居をくぐった階段の上で首をぶんぶん横に振り、慌てて神社の方へ戻り掃除を再開した楠葉。


「今日はもうさっさと掃除して帰って温かいお風呂に入ってゆっくりして――て、わぁ!」


 家に帰ってからの工程を脳内で描きながら言葉にしていた楠葉は、急な突風が正面から吹きぬけて思わず腕で顔をかばった。

 それは一瞬の出来事であったが、かき集めた落ち葉の山が無事でいられるわけなどなく。


「あ」


 折角集めた落ち葉たちは、半分ほど鳥居の下へと滑り込んでいった。

 今日の男といい、掃除中の風といい。

 今日は厄日だ、と楠葉はため息をついて竹箒を握りしめ直し鳥居の下へ足を運ぶ。

 そうして、階段から落ちそうになっている落ち葉を集めようと鳥居の下をくぐって竹箒を伸ばした瞬間。


「よっしゃきたぁあああ!」


 何者かの声と共に、鳥居から黒い煙が溢れて楠葉の足元に落ちた。


「な、なに!?」


 ぼふ、と音を立てて落ちた煙たちに驚き後ずさった楠葉は、自分が先ほどまで居た位置で意識をもった黒い煙がもくもくと大きくなっていくのを唖然として見守っていた。

 それを見ながら、楠葉の脳内で声が響いた。


 “逢魔が時。鳥居の下を2回くぐるな。力ある巫女が通ると封印が解けちまうからね”


 それは、曾祖母の言葉。

 思い出したと共に、自分が今日逢魔が時に2回くぐってしまったことを自覚した楠葉が「やっちゃった……!」と青ざめていると、黒い煙が徐々に人型へと変わっていった。

 黒い袴。

 茶色がかった癖っけな髪。

 その頭頂部には、何かの動物と思わしき耳が二つもこっと立ち。

 八重歯をきらりと光らせ不敵な笑みをした、非常に美形な男が両手を天に向かって突き出していた。


「っしゃー!オレ様ふっかーつ!」


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