ここは、葛葉神社。
黒い鳥居という、一見不吉そうな色合いからご利益がなさそうに見える神社であるが、不思議な力を持つ巫女が必ず生まれるという伝統がある。その中でも、初代の巫女である楠子という伝説の巫女が存在していたという神話が残っており、なんと、その伝説とされる巫女に引けを取らない力を持って生まれたのが、現在お祓いをしている楠葉と噂されており、お祓いであったり、自分の願いを叶えてもらうために遠方からでも訪れる人が後を絶たない。
あらゆる人々の欲望を前にしながら、冷静に対応し、巫女の力を使う楠葉であるが、もう三十路に突入しようとしている、独身である。
というのも、それは彼女の意思であり、彼女もそれを運命として受け入れていた。
生まれた時から糸が見えていた彼女は、3歳の時に糸を操れることを知り、遊び半分でよく糸を触っていた。
それを家系の中でも唯一力のあった曾祖母が発見し、楠葉が物心ついた年頃になるとすぐに糸のことを説明していた。そのため、楠葉は10歳になると糸の操り方を熟知し、種類も覚えていた。巫女装束の着方も教わり、12歳にしてほぼ1人前のお祓いをできるようになった天才巫女ともいえるほど急成長をした楠葉に、曾祖母はまるで世代交代だとばかりに、一人前になった楠葉の姿を見届けて静かにこの世を去った。
祖母や母は嫁入り側であったため糸は一切見えない。
それゆえに触れることなど勿論出来ない、どころか、お祓いや祝詞を唱えることも出来ない。
その為、巫女として葛葉神社の伝統を守り仕事を出来る人間は楠葉しかいない状態であった。
故に楠葉は、曾祖母が去ってからは中学生でありながら巫女としてのお祓いを続け、高校卒業と共に神社の正式な巫女として働くことになっていた。
その間、巫女の仕事で忙しいとはいえ、やはり年頃の娘であるから何度も恋愛をしていた。
というよりも、興味を非常に持っていた、という方が正しいだろう。
しかし、彼女は強い力を持つ巫女であり、金色の糸の存在を知っていた。
運命の人としか結ばれない金色の糸。
赤い糸よりもさらに運命力の高い、誰にも操れない唯一無二の糸。
実際に、自分の祖父母や両親は、常に金色の糸で結ばれている。
だから楠葉は、金色の糸が出現するような人物に出会える日までは、誰とも恋愛ごとをしないと決めていた。ちょっといいな、と思っても、赤い糸で結ばれている人を見つけても、金色の糸でなければ「この人は違う」と決めつけ、近付かないようにしていた。
そのため、あのようにアタックしてきた男には、例え赤と桃色の糸という好意の色を現した糸が絡みつきそうなほど自分に向かってきていたとしても、丁重に断っている。
物心ついた時から曾祖母の仕事を見続け、金色の糸と赤い糸で結ばれたカップルの状況を見続けた楠葉にとって、金色の糸で結ばれないと意味がないといった事柄を見すぎてしまったのも原因だ。
赤い糸で例え結ばれていても、自分で切れる程度のものであるし、時間が経つとその糸が黒くなって切れるところも見てきた。
故に楠葉は、金色の糸で結ばれた相手が見つからない限り、恋愛はしないと常々誓っていた。
しかし、そうなると篠宮家で葛葉神社の巫女の血が途絶えてしまうのではと懸念していたが、幸い楠葉には兄と弟がおり、こちらは二人共金色の糸で結ばれた相手をみつけ、子どもにも恵まれている。
そのため、直系の血という名の跡取り問題はないと判断したからこそ、楠葉は金色の糸で結ばれた相手が見つかるまでは自分の持つ力を最大限この世のために使わなければならないという使命感で動いていた。
それが、20代で見つからなかった。
周りの同級生は皆結婚し、子どもに恵まれている中、楠葉は、見つからなかった。
同級生たちの指に金色が絡まっている人は少ないとはいえど、もうすでに30代となった楠葉は、見つからなければそれも自分の運命だと受け入れるつもりでいた。というかもう、ここまで来れば巫女として一人の人生を全うしようと覚悟を決め始めていた。
しかし。
親というものは、流石に、娘によい話がないまま三十路に突入すると、どうも心配の方が勝ってしてしまうものらしい。
「今の男を婿にとってもいいのに」
お祓いが終わった楠葉に、母親は憂鬱そうな声色でそう言葉を投げかけた。
「確かに、好意を示す赤い糸や桃色の糸の本数は凄かったけど、金色の糸じゃなかった」
「もういいじゃないか糸の色なんて。お前の母親である私は一度も見えたことないし、おとぎ話なんじゃないか?そんなもの。確かにひいばあちゃんもよく言っていたけどねぇ、私はやっぱり、いらぬことをお前に吹き込んでいたとしか思えないんだよ」
「私はひいばあちゃんと同じものが見えていたから、ひいばあちゃんの言葉が正しいと知ってる。だから、この神社で私のお祓いに効果があるの。母さんもその効果は流石に見えているでしょ?」
「そうだけど……やっぱり、流石に三十路に突入した娘がそれまで色恋の話が一切もなくてずっと独身だと……ねぇ。流石に親心として心配というか……」
「あ、次のお客さんが来ているみたい。ほら、さっきの人の乱入で時間がずれちゃったから対応が遅れちゃってる。私は急いで予約してくださった方々のお祓いをしなきゃだからこの話はおしまい!終わり!終了! 母さんも、ほら、お守り買いに来ている人の対応しなきゃっ」
楠葉は神楽鈴を磨きながらしゃべっていたが、途中で会話をぶった切ってお守りやおみくじを売っているショップの方を指した。その方向を見た母親は、ぱっと営業スマイルを浮かべると「あらあら大変、はいはい、いらっしゃいませ~」とすぐにそちらへと小走りで向かった。
なんだかんだと、お守りやおみくじ売り場担当の受付として、楠葉の母は1人で回せるほどのベテランでもある。最近までは祖母と共にやっていたが、膝を悪くした祖母にとって神社まで上がる階段はそろそろ厳しいとのことで、今では楠葉と楠葉の母、そして数人の従業員を雇って神社を運営している。
なんとか母親の愚痴を中断させることに成功した楠葉は、ため息を零し、空を見上げる。
黒い糸は、漂っていない。
漂っている時は、必ず夜に決死の助けを求めに来る人が現れるのだが、今日は楠葉の目に黒は見えなかった。
「よかった、今日は早く寝れそう」
そんなことを呟いた、5時間後。
またもや、あの男がバラの花束を抱えてやってきた。