「そんな事実はありません」
毅然として言い返す。それくらいしか、今ベルにできることはない。
「口ではなんとでも言えるわ。すでに婚約者のおられる王太子殿下に近づいておいて、信じられない」
「わたしから近づいたわけじゃ」
「そんなことはどうでもいいのよ!」
バン!と強く机を叩きミルバ侯爵令嬢はその前屈みの姿勢のままでベルを睨みつけた。
「オースティン様は王太子妃となられる方よ。決して横暴なことをおっしゃる方ではない。ご意向に沿わず、たてつくようなことさえしなければね。だというのにあなたはあの方の将来に影を落とすようなことをした。将来社交界を牛耳る方に敵認定された人がクラスにいるなんて、本当に迷惑な話だわ」
「ですから! わたしにそんなつもりはないんです!」
大きな声で主張する。ミルバ侯爵令嬢の他に、教室には伯爵令嬢のアイリスと一緒にアンナもいた。思わず視線がアンナを見てしまう。
彼女は無表情で俯いたままだった。
(……仕方ない。仕方ないってわかってるよ)
むしろ、ベルがアンナを気にしていると周囲にわかってしまったら余計にアンナを困らせることになる。
ぐっと奥歯を噛み締めて、ベルはミルバ侯爵令嬢に視線を戻した。
「おい、なにをやってる?」
シグルドは急いで戻ってきたらしく、息が上がっている。ミルバ侯爵令嬢は、顔をしかめてベルの机に置いていた手をどけた。
「別になにもしていないわ。話をしていただけよ」
「嘘をつけ。だったらなんでわざわざダンテが俺を呼びに来るんだ」
教室の出入り口には、同じように息を切らしたダンテが立っている。
「知らないわよ。なんなの? クラスメイトと意見を交わすことさえできないの?」
彼女はふんと顔を背けて踵を返す。白けたように他の女子生徒も各々教室を出て行った。その中に、もちろんアンナもいた。
その背中を寂しく見送って、ベルはシグルトとダンテに頭を下げる。
「ありがとうございます。助かりました」
「いや。大丈夫か?」
「リンドルさん、これからは僕たちと一緒に行動した方がいいんじゃないかな?」
シグルドに続いてダンテまでそう声をかけてくれたが、ベルは頭を振った。
「なんだか、それをしてしまうと余計に『はしたない令嬢』に拍車をかけるような気がしてしょうがないんですよね」
苦笑いでそういうと、ふたりとも渋い表情を浮かべる。ベルが思うように、彼らもそれを危惧しているのだ。
「ここ最近、殿下が公務で王都にいらっしゃらないんだ。戻られたらそれだけで少しは抑制になるんだろうが……」
「そうなんですね」
そういえば、あれきりクリストファーを見ていない。人をこんな状況に追い込んでおいて留守にするなんて、一体どういう了見なのか。
「……あの方は、どういう方なんですか」
「どういうとは?」
あまりにも漠然とした問いかけに、シグルドは眉根を寄せる。ベルも、なんといって聞けばよいのかわからない。否、どういえば不敬に当たらないかというべきか。
「……その。とても優秀な方だと聞き及んでおります」
「そうだな。先日の定期考査は当然のように一位だった。いつも首位を維持しておられる」
「そうですか。ええと……その、勉強だけできるタイプ、とか……」
言葉を探して濁して、どうにか聞いたのだがシグルドがぎょっと目を見開いた。
「おい、不敬だぞ」
「ですから聞き方が難しいんですって。つまり、その。ご自身の振舞いの結果がどうなるか、考えの及ばない方ではないのではないかと……いくらか会話した時に感じたのですが、どうですか?」
「そうだな、その通りだ」
「では、なぜこの状況?」
ベルが眉をしかめて首をかしげる。
講堂での一件、その真っ最中には『ボンクラー!』と叫んでしまいそうになったが、本当に彼は何もわかっていないのだろうか。
何の裏付けもない、ほんの少し会話をしたことがあるだけのベルの印象だ。もっと付き合いの長いだろうシグルドならどう考えるのかを知りたかった。