「……でも、わたしは王太子殿下の秘書になりたいなんてひとことも言ってません。王宮文官を目指していると言っただけで」
「ああ。それはわかっている。そこは……オースティン嬢の策だろうな。周囲にそう思わせる為に、わざと『秘書を目指している』と飛躍させたんだ」
「な……なんで」
「ベル・リンドルは王太子がまだ正妃を娶る前から側妃を目指すはしたない令嬢、と周囲に認知させるためだ」
――はしたない
確かにあの時、誰かがベルのことをそう言った。女生徒の声だった。
愕然としていると更にシグルドから警告された。
「気をつけろよ、これからは女生徒の目はこれまで以上に厳しくなるぞ」
「これまで以上に⁉」
「当たり前だろう。殿下の婚約者であるオースティン嬢は今後社交界の中心となる方だ。彼女が女生徒の世論を左右しているといっていい。その彼女が、君を明確に敵認定しそれを周囲に認知させた。それが今朝の出来事だ」
「……敵認定」
これまでだって、十分厳しかったのに、これ以上とは。
しかも、公衆の面前でクリストファーはベルを庇護すると言ってしまった。それは敵認定されるのも当然だ。
ベルは頭を抱えた。
「あの。王太子殿下が、なにかあればフィールズ様を頼るようにと言われたんですが、なにか理由があるんでしょうか?」
ベルが呆然としながらも聞きたかったことを尋ねると、彼は軽く眉をひそめたあと深くため息を吐いた。
「殿下からは、以前から君がクラスで困ることがないよう気を付けてやってくれと言われている」
「ええっ? 知りませんでした……」
「今言ったからな。あのクラスで最も高位になるのは俺だから、時々声をかけてやっていただろう」
「……雑用を押し付けられているのだとばかり」
「失礼なやつだな。雑用でもなんでも俺が目にかけているとわかったから、決定的ないじめはなかっただろう。噂程度なら放置しとけばそのうち収まると思っていたしな。だがオースティン嬢に出て来られると俺にできることも限られる。殿下はどういうおつもりなんだ?」
「それはわたしが知りたいですよ」
クリストファーがどういうつもりでベルに構うのか、シグルドも知らないらしい。ふたりで難しい顔を突き合わせていると、離れた場所で見張っていた子爵令息が近寄ってきた。魔道具で有名な子爵令息、ダビデ・ロッソだ。
「シグルド様、そろそろ昼食に行かないと午後の授業に遅れます」
「ああ。リンドル、君はいつも食堂にはいないな。裏庭で食べていると聞いたが、大丈夫か?」
「わたしは、はい。昼食を教室においてきてしまったので、一度取りに行ってから裏庭に行きます」
「リンドル嬢、なにかあったら僕も助けられるようにするから言って。家格の差をものともせずに特別クラスに入った君とは、話してみたいと思ってたんだ」
「ロッソ様……ありがとうございます」
かといって、男子生徒に頼ると『はしたない令嬢』というレッテルを強固なものにしてしまいそうな気がする。
よほどでなければこちらからは頼るまい、と心に決めながら頭を下げてふたりを見送った。
ベルが教室に戻ってくると、みんな食堂に行っているのか誰もいなかった。アンナはもしかしたら待っているかもしれないと思ったが、彼女もいない。
「先に裏庭に行ったのかな」
教室の後方の壁に誂えられた棚には生徒ひとりひとりの場所が確保されている。ベルの棚には、昼食をいれた包みが置いてある、はずだった。
「あれ……?」
毎朝早起きして買ってくるパンとお茶を入れた水筒が入っているのだが、包みごとなくなっている。
もしかして、アンナが持って裏庭で待ってくれているのかもしれない。
そう考えて、いつもの裏庭へと急ぎ足で向かったが誰もいなかった。
「アンナ?」
じわじわと嫌な予感に胸が侵食される。どれだけ待ってもアンナは現れず、もちろん昼食も見つからずベルは空腹のまま教室に戻るほかなかった。