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人の噂も七十五日というけれど《4》



「ベル・リンドル。ちょっと来い」


 午前の授業が終わってすぐ、ベルにそう声をかけてきたのはシグルドだった。当然逆らえるわけもないので、シグルドの近くまでいくと首をしゃくられた。ついてこい、という意味なのだろうが上位貴族にしては仕草が荒っぽい。

 話ならここで伺いたいところだが、クリストファーに彼を頼れと言われたこともありついていくことにした。なぜクリストファーがそう言ったのかを聞きたかったからだ。


「……君は殿下の側妃を目指しているのか」

「はい?」


 人通りの少ない廊下まで連れて来られた。少し離れたところで、いつもシグルドと一緒にいる子爵家令息が人が来ないように見張っている。そんな場所で、シグルドにいきなりわけのわからないことを聞かれた。


「え? なんで側妃?」

「……やっぱり、意味がわかっていなかったんだな」


 そう言うとシグルドは深いため息を吐いた。


「なに? どういうことですか」

「今朝の講堂でのことだ。君、あの一件で側妃候補を目指していると思われたぞ」

「はあっ⁉」


(どうしてそうなんの⁉)


「まあ……これに関しては、オースティン嬢が敢えてそう思わせたところが強いが」

「どどどどういうことですか」


 あの場に最初からいてすべての会話を聞いていたらしいシグルドが、なぜああなったかの理由をベルに解説した。

 王宮文官というのは、男社会である。女性の文官もいるにはいるが、かなりの能力を求められるしそれに加えて、社会的に瑕疵がある者が多い。具体的には、一度は婚約を結んだものの婚約破棄されその後縁が見つからず実家に居場所がない者、体や顔に物理的な傷があり嫁ぎ先が見つからなかった者なども過去にいたという。


 実際にはそういう女性ばかりではないが、先入観は付きまとう。だから、貴族令嬢が職業婦人を目指す場合は王宮侍女を選択するのが殆どだという。侍女なら主人について社交界に出ることもあり、その後縁談に繋がる場合も十分にあるからだ。


 だけど、ベルは社交関係の仕事よりも書類仕事がしたかった。お役所仕事に関わりたかった。だから文官を目指している、といっただけなのだが。

 問題は、瑕疵のある者、というイメージの他にもうひとつ、厄介な慣習があるという。

 王や王太子、王子などには執務の際に従者の他に数人の秘書を持つという。だがその秘書の中に女性が混じっている場合は特別な意味がある。


「女性秘書から側妃が選ばれる……?」

「三代前の王が王太子時代に、正妃を外見重視で選んだようでな。王太子妃の仕事をこなせる令嬢を側妃としてつける為に、まずは秘書として手元に置いたというのが始まりらしい」


 つまり、王太子の秘書となるということは側妃としての能力を確かめる過程、ということになる。


「な……なんてクソなシステム……」


「おい。貴族令嬢らしからぬ言葉が聞こえたぞ」


 うっかり心の声が漏れてしまっていたらしい。シグルドはベルを見てぎょっとしていた。


「だって、それって王太子がすきな女性と結婚する為に仕事をさせるだけの女性を選んだってことじゃないんですか?」

「まあ……端的にそうだな。晩年は側妃の方が寵愛されていたようだが」


「そうなんですか」

「そりゃそうだろう。執務で関わることが多ければ、共に過ごす時間も多くなる。頼れる存在にやがて寵愛は自然と傾いた、ということだろうな。これが、王太子の方も仕事をしないお飾りだったならまた別だろうが」


 なるほど、とベルは頷く。つまりその王太子は、若気の至りで正妃を選んだが仕事ができないわけではなかったらしい。



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