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幕間ー悪役令嬢レティシア・オースティン《2》

 人払いを済ませているとはいえ、警戒しているくせにこのように危険な話を切り出したのはもうオースティン家になんと思われようが気にならないからなのか。


(それとも、敢えて父の耳に入るように? 不仲であることを知らせる為に……いいえ、そんなことをすれば彼自身も身動きがとりづらくなるはず)


 レティシアには、もう随分前から婚約者の考えていることがわからない。いや、わかってはいる……だが、なぜその結論になったのかが、レティシアには理解できないのだ。


『……あなたは、王となるお方です』


 その為には、オースティン家の後ろ盾は必要なはずだ。言外にそう含めた。するとクリストファーは、はっと呆れたように笑うのみだった。


『あなたは王太子妃の座を得たいのだろうが。俺にその気はないとはっきりわかっているはずだ。結婚したところで俺があなたを愛することはない。オースティン公爵が一番望んでいる子も産まれることはないだろう。……追い詰められる未来しかないと言っているんだ』

『さあ、それはどうでしょうか』


 そうあなたの思惑通りに進むでしょうか。暗にそう含みを持たせたが、レティシアを見つめる目は冷え冷えとしたままだった。だが、とても真っすぐで。レティシアの胸に、焦燥を生んだ。




(本人は己の誠実を貫いているつもりなのでしょう……本当に、忌々しい)


 先日の茶会での出来事を思い出し、扇子を握る手に自然と力が籠る。このままへし折ってしまいたい。腑抜けたくせに頭の出来だけは良いあの男は、今やレティシアにとって厄介な存在だった。いっそのこと薬漬けにでもして、将来は傀儡の王とするのが楽ではないかと考えるほどに。


(いえ、お父様はすでにそのおつもりかもしれないわ)


 ただ、時期を見計らっているだけ。オースティン公爵なら、クリストファーが少しでも隙を見せた時にはきっと実行するだろう。そうなるくらいなら、大人しくレティシアとの婚姻を悦びその日を指折り数えて待つくらいの態度を見せるべきなのだ。そうしていれば彼も身を守るのにずっと楽になる。


 ざっと春の風が庭園を通り過ぎる。風に髪を煽られ、数人の令嬢が短い悲鳴を上げる。その声が届いたのか、クリストファーがこちらを向いた。

 遠目にも、彼の目が真っ直ぐにレティシアを見ていると感じる。レティシアだからわかる、他の誰にも悟られないほどの一瞬彼の表情から感情が抜け落ちたことも。


(よほど、わたくしがお嫌いらしい)


 くだらない、とレティシアは思う。好意の有無、そんなもので王族、ましてや王太子の婚姻を決められては困るのだ。

 レティシアは笑みを深め、手にした扇を広げて口元を隠す。クリストファーもすぐに表情を取り繕い微笑みを浮かべると、令嬢たちがきゃあと歓声をあげた。


(現実、彼は公務を行う上でオースティン家とそれに続く貴族家の機嫌を損ねるわけにはいかない。未来の王として、理想的な姿をみせるしかできないはず)


 彼は王になる。そう遠い未来の話ではなく、近い現実の話だ。そして、隣に王妃として立ち並ぶのは筆頭公爵家掌中の珠であり、社交界一の淑女。誰にも劣らぬ美しさと血統を併せ持つ才媛と謡われる、レティシア・オースティンなのだ。

 その未来は、決して変わらない。だがもしも、クリストファーが聞き分けの無いことばかり言うようならば、少し時期を早めるように父に進言するのもいい。


(それが、恐らく最善。穏便に事が進む唯一の方法……父を怒らせればどうなるかわからないのだから、結局彼は吞むしかないのよ)


 レティシアとクリストファーは今春、貴族学院の最終学年となり卒業後はそれぞれ王太子、王太子妃教育を終わらせ約一年ほどで婚姻式を迎える予定となっている。だが教育はどちらも大体最終段階まで納めており、婚姻式を半年程度なら早めることはたやすいだろう。



 ひと月後、ロベリア国の片田舎からひとりの男爵令嬢が成績優秀者に名を連ねて入学する。聡明さもさることながら、ピンクブロンドに新緑の瞳を持った可憐な姿が良くも悪くも注目を集めた。

 その存在にクリストファーが目をつけることになると、この時のレティシアはまだ知らない。



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