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ステルス機能が欲しい《6》

 そろそろ気力が切れそうだ、と限界を感じていたところに図書室へと入ってくるアンディの姿が見えた。アンナを馬車止めまで送り、戻ってきたのだ。ベルは広げていた小説を閉じ、二冊を重ね合わせる。この時間を終わらせよう、というベルの自己主張だ。


「セーヌ語のご指導、ありがとうございます。とても勉強になりました」

「こちらこそ、良い練習になった。本当に綺麗な発音で、俺の方が勉強になったよ」


 最後はロベリア語に戻って言葉を交わすと、ベルは立ち上がる。アンディがいつものようにクリストファーの背後に控えたところで、彼にも目礼した。


「友人を送っていただいて、ありがとうございました。わたしはこれで失礼いたします」

「ああ、気を付けて」


 静かに図書室内を歩いて、本を元あった場所に戻す。その間も視線を感じながら図書室の出入り口へと、ひたすら進行方向だけを見て進み、彼の視界から出た途端に勢いよくため息を吐きだした。


「あー! 無理! 全然お腹の中が見えない人と、探り合うような会話、無理!」


 ストレスを発散するように吐き出すと、クリストファーから少しでも距離を取るべくベルは足を速めた。


(あの人、本当に【クリストファー・ロードベルグ】なの? いや本当も何も、実物には違いないんだけど……なんだか思っていたのと違う……)


 実物なのはさっき目の前にいたクリストファーで、ベルが前世の記憶で覚えている【クリストファー】は小説の中の人物だ。しかも、夢中になって読んだことと大まかなあらすじしか思い出せないままでは、【クリストファー】のことなど何も知らないのと同じなのではないかと思えてきた。

 それでも重要なのは、あの物語が恋愛小説でクリストファーとベルが結ばれる結末だった、ということなのだが。だが今のところ、出会ってすぐに惹かれ合って親密になるような感情は、クリストファーからも感じられなかった。そのくせ、気にかけているように見せて声をかけてくるのだから、困るのだが。


(ステルス機能が欲しい……ステルス令嬢とかそんな話もあった気がするわ……前世の世界って色んな物語があってよかったなあ。こっちもあるけど、まだまだジャンルが少ないっていうか……いやでも今はやっぱりステルス機能が欲しい)


 出来れば隠れたい人にだけ働く都合の良いステルス機能が。残念ながら、ベルはそんな魔法のような能力を備えての転生はしていなかった。




 クリストファーは、ベル・リンドルが図書室から見えなくなるまでずっと目で追っていた。アンディがすぐ背後まで近寄り、周囲には聞こえない程度に声を押さえて問いかける。


「彼女は、寄宿舎まで送らなくてよかったのですか?」


 コンラッド令嬢をわざわざ馬車止めまで送らせたのに、彼女は良いのかと聞きたいらしい。あれはベルと話す時間を作る為の方便だというのに、アンディはわかっていてわざと皮肉を言っている。


「これ以上意地の悪いことをしたら、本気で避けられてしまいそうだからな」

「自覚があるのにどうして構うんです」

「んー? そうだなあ」


 なぜだろうな、と含みを持たせて言葉を切る。


「……目をつけられたら、気の毒ではないですか。それとも、巻き込むおつもりですか」

「それを見極めているところだよ」


 返事をしながら席を立ち、アンディへと向き直る。彼の目は、クリストファーを明らかに非難していた。間違っても主に向ける目ではないが、クリストファーは彼のそんなところが気に入っていた。クリストファーに足りない分の、アンディが彼の良心だといえる。


 心配しなくとも責任はとるし、お守り役の用意もできている。

 このまま彼女を巻き込むのなら、一筋縄ではいかない相手と対峙してもらうことになるのだから。


 今のところ沈黙を守ったままの婚約者、レティシア・オースティンの顔が頭に浮かぶ。図書室の隅に座っていた彼女の子飼いが、ベルが立ち去った後にそそくさと出て行くのを見た。今頃はきっとレティシアの元に報告がいっていることだろう。


「さて、さすがにそろそろ動くつもりなのかもしれないな」


 そうなると、彼女のお守り役候補には早々に役目を理解してもらわなければならない。


「目を離さないように伝えておいて」

「承知いたしました」


 最後は簡潔に会話を終えると、ふたりは図書室をでたところで二手に分かれて行った。










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