クリストファーからもらった焼き菓子は、さすが王都の人気店と思うほどおいしかった。お詫びの品で手渡しでもらいその時にお礼は伝えたが、やはりお礼状は書くべきだろうか。
悩んだ末、社交界を知らないベルがひとりで考えるよりはとアンナに事情を話して相談した。一緒に文面を考えてくれたのでこれで一仕事終わった……と思ったら翌日。
「リンドル嬢! わざわざお礼状をありがとう」
人前で大きな声で礼を言われ、血の気が引いた。お礼状のお礼ってなんだ!と大きな声で言い返したくなったが、咄嗟にはっきりとした口調で周囲に向かって主張した。
「恐れ多いことでございます! ぶつかったお詫びにいただいたお菓子、本当においしかったです!」
若干ヤケクソ気味だったのは、否定しない。だが『お礼状とはなんの? もしかして王太子殿下が贈りものを?』という噂が捏造されかねないので、それくらいなら『お詫びのお礼状』とはっきりさせておいた方がいい。
一瞬どよめいた周囲だったが、ベルのヤケクソの叫びが逆に良かったのかその件に関してはそれ以上広まることはなかった。あくまで、ベルが知る範囲では、だが。
正直、特別クラスの生徒を見た時に『楽しい学院生活』は諦めていた。三年間こつこつ真面目に勉強し、目標を達成できればそれでいいと考えていたが、何が幸いするかわからないものだ。やっと気が許せそうな友人ができた。そのおかげでベルの学院生活はぐっと気が楽になった。
アンナとはずっとべったり、というわけでもないが、昼食時間は一緒にいることが多い。アンナは家からランチボックスを持ってきているので、ベルも購買部でパンを買い一緒に裏庭で食べるようにしたのだ。雨の日は諦めて食堂に向かう。アンナは貴族令嬢なのに料理が好きらしく、多めに作ったからといって時々ベルに分けてくれた。残念ながら寄宿舎の部屋にはキッチンはなく、ベルがお返しすることはできないのだが。
アンナと話をすることで、今までは調べられる範囲でしか知らなかった社交界での人間関係をベルは知ることができた。
「ミルバ侯爵令嬢は、お姉様がレティシア様と懇意になさっているの。だから多分、ベルが王太子殿下に不用意に近づく前に牽制しておきたかったのよ」
「なるほど……姉妹仲が良いのね」
「というより、姉を通して『ベルを排除しなさい』と言われたら断れないでしょう? 問題を大きくして、巻き込まれるのを避けたかったんじゃないかと思うわ。レティシア様のオースティン家とは姉が友人として縁を繋いでいるなら、妹は別の家門と懇意になる役割なのかも。姉妹揃ってオースティンの手の内に入るより、その方が家の為になるから……とご両親に言い含められてる可能性もあるわね」
すらすらとアンナの口から出てくる推測に、ベルは絶句した。社交界怖い、と本気で思った。まだ学生のうちから家門を背負って人脈を考えている貴族令嬢を、心の底から尊敬した。
とにかく、王太子殿下との噂のことで一番気にかけなければいけないのは、婚約者のレティシアだ。だが、これだけ周囲から言われてもレティシア本人からは何の接触もなかった。それは、彼女自身はただの噂だと意にも介していないということだろうか。そうであってほしい、ベルは強く祈りをささげた。
アンナから分けてもらったサンドイッチを咀嚼しごくりと飲み込むと、しみじみと呟きが零れる。
「社交界、出てなくて良かった……」
「でも、ベルもそんなわけにはいかないでしょう? 嫁ぎ先を探すなら、社交界に出ないわけにはいかないと思うわ。ベルのご両親、本当にひどい」
「いや、うちは、本当に余裕がなかったから……わたしが生まれる前は領地の状況が本当にひどくて。やっと徐々に持ち直して蓄えができるようになったのもここ数年なのよ」
「それでもよ。社交界デビューは貴族令嬢としての憧れなのに……その後の将来にも影響するから、王家もそれがわかってるから余裕のない貴族家向けに補助だってあるでしょう?」
「あはは……」
アンナにとっては、自分の両親よりもベルの両親の方が酷いと感じてしまうらしい。貴族令嬢の価値観で言えばアンナの感覚が合っている。