貴族家はどこの家も嫡子を大切にする。次男三男はスペア扱いで、娘は他家に嫁ぎ生家の為に役に立てと教えられる。それが当たり前の認識で、貴族社会はそれで成り立っている。ベルの家だって、だから弟が生まれた時の父親の浮かれ具合も仕方のないことだと良く理解しているし、当たり前のように嫁ぐものだと思われているのも致し方ない。
だけど、アンナの家は娘がふたりで彼女が長女だ。ベルよりも長い間厳しい嫡子教育を受けてきたのだろうし、その苦労の分以上に大切に扱われるはずだった。普通ならば。
アンナのひとつ下の妹、名前はオデット。金色の巻き毛で母親にそっくりの可愛らしい顔立ちで、愛嬌もあり家族みんなに溺愛されているという。欲しいものはすべて買い与え、勉強が嫌だと言えば教育係が役に立たないとクビにする。何より厄介なのが、アンナが持っている物をなんでも欲しがってしまうのだという。そして両親はオデットの言いなりだ。姉なのだからとすべて譲るように言われ、アンナは出来るだけ質素なものばかりを手にするようになった。
妹が欲しがらないシンプルな意匠の文具や小物、暗い色のドレス。左右の髪を取って留めている髪留めもそういえば、可愛らしさよりも実用的なデザインだ。通学用のものだからかと思っていたが、制服のため貴族令嬢は皆小物で各自お洒落を楽しんでいる。
前世の感覚からすれば、アンナの髪留めもシンプルで良いと感じるが、彼女は貴族令嬢だ。本当なら可愛らしいものを身につけたいだろうに。
コンラッド家の領地は、王都からさほど遠くない。馬車で半日ほどで着くらしいが、学院に通うには無理があるので王都のタウンハウスにアンナと使用人だけで暮らしている。婚約者は王都に住んでいるのだが、アンナがこちらに来てから一度も会いに来ていない。そのくせ、コンラッドの領地には遠乗りの練習だとか言いながら護衛付きで頻繁に行っているという。
「妹と会っているみたい。オデットからの手紙にそう書いてあったわ。領地でお茶会をしていた時も必ずあの子が同席してて……でもまさか物だけでなく婚約者まで欲しがるとは思わなかったわ」
「あんまり深くは考えてなさそうよね。だって、嫡子はアンナでしょう? 婚約者からすればアンナでなければ意味がない……ごめん。アンナは可愛いし優秀だけど、一般的な意味で」
「ふふ、ありがとう。わかってるから大丈夫よ。オデットだけならそうなんだけど、婚約者の方は結構頭が回るのよね……」
「……え。まさか」
ベルがアンナを見つめると、困ったように首を傾げて微笑む。つまり、彼女も最悪の可能性に気が付いているのだ。婚約者を取り換えて妹に後を継がせ、アンナを嫁がせるかもしれないということに。
「……最悪」
「怒ってくれてありがとう。でもまあ、簡単なことじゃないしね。きっと大丈夫よ」
確かに、長女がいるのに妹に後を継がせるとなると、それなりの理由が必要となる。嫡子登録を変更しなければならず、その時に理由が必要だろう。貴族は体裁を重んじるものだ。まさか『末娘が可愛いから』なんてくだらない理由で申告するほど目が曇っていないことを、アンナは信じたいのだろう。
「何か、困ったことがあったら言ってね」
「うん。ありがとう。ベルもね」
今日、友人になったばかり。けれど、これまで誰とも親しく話すことが出来なかった反動か会話が弾み、お互いに自分の置かれた家出の立場など愚痴も交えて打ち明け合った。
馬車止めまでアンナを送り、その後寄宿舎まで歩く。今朝、登校する時にあれほど気が重かったのが嘘のように、今は晴れやかな気持ちだった。
もちろん、友人ができたから。ぼっち生活は自分で思っていたより、堪えていたようだ。
図書室でアンナの事情を聞いてとても腹が立ったが、彼女は逆にベルのことを心配してくれた。
やはり、嫡子として育った者同士通じるものがあった。嫡男が生まれてしまったのだから仕方がないが、それで立場と一緒に家族の中で居場所まで失ってしまう人は少なくないという。
それまで厳しい教育を受けさせておいて、男が生まれた途端の掌返し。後を継ぐことを誇りに思い、矜持のある者ほど辛いだろう。
ベルは早々に気持ちを切り替えられたから良かったのだ。まだ、領地に戻らず王都で文官を目指すつもりだということは黙っていたけれど、いつか話せたらいいと思う。
鼻歌でも出そうなほどに明るい気持ちで歩き、もう少しで寄宿舎の屋根が木の合間から見えてくる、というところまで来た時。
その途中でまたしても、遭遇してしまった。
「リンドル嬢! 遅い下校だったんだな!」
(どうしてここにいるのかな!?)
夕陽で空が橙色に染まり始めている。クリストファーの金色の髪もいつもよりオレンジがかって見えた。後ろには、銀髪の男性が控えている。学院の制服なので生徒には違いないが、彼がミルバ侯爵令嬢が言っていた側近候補だろうか。
それにしても、見た目からして目立つふたりだ。咄嗟に周囲を見回した。寄宿舎の目の前ではなかったことがまだ救いだが、それでもいつ寄宿舎住まいの生徒が通るかわからない。
にこにことあまりにも人懐こい笑顔で近寄ってきたクリストファーを見て、ベルは思わず敬語が乱れた。二度目、しかも一日の間に二度の待ち伏せ。意味がわからない。