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怪我の功名《1》


 翌日、学院内を歩きながら、ベルはいつも以上の居心地の悪さを感じていた。ちらちらと棘のある視線が向けられる。それは今朝、寄宿舎の食堂で朝食を摂っていた時もそうだった。

 クリストファー王太子殿下は、女性にとって憧れの存在だ。特に本来なら近寄ることも難しい人に在学中なら話しかけることもできるとあって、学院内での女生徒からの人気は絶大だ。入学以来ぼっちで過ごしているベルの耳にも『本日の王太子殿下情報』が届くほどだった。おかげで遭遇を避けていたベルにとっては、とてもありがたかったのだが。何せ廊下を歩いているだけで、そこかしこでお喋りをしている女生徒の話題から、その日王太子殿下が学院に出席しているかどうかがわかるのだから。

 そんな人物が、側近に預けることもせず自ら抱き上げ、医務室に運んだ令嬢がいる。話題になっても仕方がないとわかっていたが……。


(これって、やっぱり昨日のことが原因? でもいくらなんでも、早すぎない?)


 ちょっとおかしくないだろうかというのがベルの内心だ。冷静になって考えてみれば、怪我をした(かもしれない)令嬢を清廉と誠実の王太子殿下が放置するわけがない。ただ責任を持って令嬢を医務室へ運んだというだけなのに、どうしてこうも刺々しい視線ばかりなのか。

 その視線はクラスに着いてからも変わらなかった。


「おはようございます……」


 教室のドアを開けてシグルド・フィールズ侯爵令息と数人の男子生徒は、もの言いたげな視線を向けてくるものの何も言わない。ベルが一番まずいと感じたのは、ミルバ侯爵令嬢だ。目が合った途端に、ぎろっと効果音が聞こえそうなほどに睨まれた。ひえっと肩を竦めて、自分の席まで早足で向かう。


(こわっ……なんで彼女まで?)


 ミルバ侯爵令嬢は、これまでベルにまったく興味が無さそうだった。クラスメイトとしても、話しかけられたことはなかったものの朝の挨拶くらいは礼儀として交わす、そのくらいだ。


(彼女は確か年上の婚約者がいたはず……王太子殿下に対しても、あまり騒いでいる印象はなかったのに)


 ベルは社交界デビューは出来ていないが、入学前に最低限のことは学んであった。小さな家門のことまではわからなかったが、高位貴族の情報など知ってなければ痛い目を見そうなものはしっかり頭に入れてある。ミルバ侯爵令嬢の婚約者は、年上の男性で既に貴族学院を卒業しているが、彼女は婚約を尊重する行動を取っているように見えていた。


(……なのに、今更なんで?)


 しかし考える余裕はなく、机の上に影が差す。顔を上げると目の前にそのミルバ侯爵令嬢が立っていた。


「ちょっと、あなた。本当ですの?」

「な、なんのことでしょうか」

「恐れ多くも王太子殿下のお手を煩わせたことです。我儘を言って医務室まで無理やり運ばせたと聞きましたわ!」


 ベルは大きく目を見開いた。


「違います! とんでもないことです!」


 運んでもらったことは事実だが、無理矢理だなんて心外だ。


「何が違うというんです。王太子殿下の後ろには側近候補の公爵令息がいたというのに、なぜ王太子殿下自らがあなたを抱き上げることになったの?」

「えっ⁉ そんな、殿下はおひとりだったと……」


 驚いてつい声が大きくなった。慌てて口元を押さえ、深呼吸をする。昨日のことを思い出してみたが、クリストファーは確かにひとりだったように思う。

 少なくともベルは知らなかったし、クリストファーが後ろに向けて何かを言った様子も見なかった。


「申し訳ありません。殿下がどなたかと御一緒だったとは気づきませんでしたし、医務室に連れていってくださったのは殿下がただ私を心配してくださっただけで……ご遠慮申し上げたのですが」

「当然ですわ。男爵家ごときが近寄っていい方ではなくてよ」

「もちろん、心得ております」

「だったらなんとしてでもお断りするべきだったのではない? あなたが王太子殿下に近付くためにわざとぶつかったのではないかと言われているのよ」

「えぇっ!? まさか……!」


 驚いてベルは顔を横に振ってみせたが、彼女は以前厳しい目を向けてくる。だが、登校中からずっと嫌な目を向けられていた理由がわかった。事実に勝手な予測が付けられて、それが真相のように思われているからだ。


(わたしは大丈夫だからって言ったのに! 寧ろ王太子殿下が聞いてくれなかったのに!)


 心の中では激しく地団駄を踏みたい気分だが、今はとにかく目の前の彼女である。


「他意はなかったというの? じゃあ足は? 怪我をしたという話だったのに今はまったく平気そうに歩いていたわ」

「はい、怪我はしておりません。殿下には、身に余るご心配を賜り……医務室の先生からは大事ないと保証いただきました。これ以上煩わせることはないと誓います」


 ここはしっかり主張しておかないと、後々不味いことになる。高位貴族を前にして不敬にならないよう否定はせず、立場を弁えていることだけは伝えなければと頭を働かせて言葉を選ぶ。

 そこに、意外な人物が割り込んだ。


「そのくらいでいいだろう」

「フィールズ様、なぜ止めるのですか」


 シグルド・フィールズだ。止められた彼女は納得がいかないようで、眉を顰める。



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