医務室の先生は女性だったので、助かった。
「ああ、ちょっとアザになってるわねえ。でも若いから数日で綺麗になくなるわよ」
「ありがとうございます……」
だから大丈夫だって言ったのに……と心の中でぼやいたものの、責任を感じてここまで連れてきてくれた人に直接言う勇気はない。そしてその人物は、まだ医務室の外に立っているという。
「リンドルさん、どうする? 痛み止めのお薬もあるけど」
「大丈夫です。ぶつけた瞬間は痛かったけど、今はそうでもないので」
「そう? 後からでも痛むようなら言いなさいね。それじゃあ、殿下にも伝えてくるからリンドルさんはもう服を着ていいわよ」
怪我の状態を聞くまでは帰らないといっていたので、仕方がないが……お尻のアザの具合を王太子殿下に知られるなんて、とベルは泣きたくなってくる。
服を綺麗に整えたところで、医務の先生が廊下から戻ってきた。
「殿下にはちゃんと伝えて、帰ってもらったからね。安心して」
「え、あ、ありがとうございます」
正直に、ほっと気が抜けてそれが表情に出てしまった。はははっと先生は快闊に笑った。
「珍しい子ねえ、あの殿下に親切にされて、喜ばないなんて」
気まずい思いでベルは目を逸らした。確かに、褒められた態度ではなかったと自覚はある。避けなければとそればかりが優先されて、必死だったのだ。
「そんな。感謝してます。でも、恐れ多くて」
その言葉も本当だった。あんな風に、大切なものを扱うようにされたのは初めてだったのだ。少し転んだだけで怪我の心配なんて、大袈裟だとは感じたけれどやはりうれしかった。医務室について降ろしてもらった時も、少しも衝撃が伝わらないようにととても丁寧だった。
(……恐ろしい、さすが完璧な王子様。それに、ちょっと可愛い表情も見せるなんて、予想外だった……)
思い出すのは、痛む場所を素直に答えた時の、少し困った顔だ。ほんのり頬が染まっていて、年齢より大人びた印象だったから意外だった。
「まあ、気持ちはわからないでもないかな。緊張するわよね」
「え。あ、そうですそうです」
「あなた、度胸はありそうなのにね。やっぱり緊張するのねえ」
思い浮かぶ表情に気を取られて、一瞬会話から気が逸れていた。何でもない顔で返事をしたものの、若干頬が熱くなっている。
(気のせい、気のせい)
手扇で首筋に軽く風を送る。忘れてはならない。自分があの物語のヒロインポジションだということを。
転んで強くぶつけたことに違いはないのだからと、医務の先生にそう言われて仕方なく一時間ほど休んだあと、早退させてもらった。最後の授業がもう始まった後だったので、途中入室するのも憚られたからだ。それに結局昼食を食べ損ねてお腹も空いていた。
寄宿舎に戻って少し早めに夕食をもらい、生徒が帰ってくるまでに自室に戻った。部屋着に着替えて机に座ると、ノートを広げペンを手に取る。わかっているできごとがあれば書き出そうと思ったのだ。
クリストファーと直に話して、わかったこともある。どこか物語の登場人物のようにずっと感じていたが、例え雲の上の人であろうとこの世界に確かに存在して生きている。彼は王太子で、いずれ国を背負っていく人なのだ。簡単に恋愛感情なんて抱ける相手ではない。それはあまりに無責任だ。王太子のパートナーは王太子妃で、決して恋だ愛だで立っていい地位ではない。