医務室に先生がおらずふたりきりの状態だが扉はきちんと開けた状態になっていて、そこはクリストファーの気遣いが感じられる。
「そんなに固くならずに。気軽に話してくれて構わない」
怖いくらいに整った顔が、穏やかな声と優しい表情の効果で途端に親しみやすい印象になった。
だが、ベルは気を許すわけにはいかないのだ、絶対に。
「そのようなわけには参りません。わたしの不注意ですのに、これほど気遣っていただいて……ありがとう存じます。これ以上殿下のお時間を奪ってしまうのも心苦しゅうございます……わたしはここで先生を待てますので、どうかお戻りくださいますよう」
ひと息にここまで話してしまい、不敬だっただろうか。しかし、会話に応じていればうっかり仲が進展するフラグを立ててしまいかねない。【ベル】はこの出会いですぐにクリストファーと親しく話す友人になってしまうのだ。学院内では王族としてではなく、一生徒として接してほしい、という言葉を鵜呑みにして。
「私の責任だというのに、君をひとりにできるわけないだろう。先生が来るまでできることはあるだろうか。どこが痛む? 足を挫いたか」
ベルの足元に跪こうとするクリストファーを慌てて止めた。ブーツを脱がされてしまうわけにはいかない。この国の女性はみだりに足を見せてはいけないのだ。
「違います! 足は大丈夫ですから!」
「ではどこだ?」
「どこも。問題ありませんわ、私が大袈裟にしてしまっただけで」
「遠慮することはない。あの時、ひどく蹲っていたじゃないか」
上半身を屈めて顔を近づけてくる。やめてほしい、これほど近い距離で男性と話すことには、まったく慣れていないのに。抱き上げられた時はもっと近かったが、あの時は誰かに見られるという危機感しか感じなかったが、今は本当にふたりきりだ。
控えめに両手を前に出して、少しだけ顔を背ける。この程度なら、恥じらう貴族令嬢として受け取ってもらえるだろう。
「あの、本当に、もう……」
「名前を聞いてもいいだろうか。怪我をさせてしまったのだ、正式にあなたの家にも謝罪を」
ぎょっとして思わず声が大きくなった。
「大丈夫です! 怪我だなんて大袈裟です、せいぜい青アザくらいで」
「怪我じゃないか! ああ、先生はまだか」
(そうだった! 高位の貴族令嬢ならきっと青アザは立派な怪我だ! リンドル家ではそうでもなかったけど!)
貴族女性を転ばせてしまったら、クリストファーのこの対応は貴族紳士としてお手本のようなものだろう。どうにかして離れてほしいが、誠実な対応をしてくれている相手に拒否し続けるのも心苦しい。
どうするべきか、迷っているとさらりととんでもないことを言われた。
「どこだ? 見せてほしい」
「えっ⁉ 無理です! だって……」
じっと煌めく空色の瞳が見つめられ、混乱したベルは数秒言葉に詰まり、結局本当に痛む場所を言ってしまった。
「……だって、お尻、で」
小さな声でベルが言うと、クリストファーは目を見開いた。その後、ゆっくりと身体を起こして少しだけ視線を逸らす。
「……そうか。それは、先生を待とう。すまない、両手を突いて倒れていたから手のひらや腕が痛むのかと思ったんだ」
少しだけ頬が赤いのをベルは見逃さなかった。
(恥ずかしいのはこっちだっていうのに……!)