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異世界転生してました《3》


「……まったく。お父様は薄情だわ」


 結局、王都までついて来てはくれなかった。前日になって持病の腰痛が悪化して、王都まではとても無理だということになったのだ。馬車で一週間の道のりなので、確かに腰痛であれば無理があるけれども。それでも「お前なら大丈夫だろう」とあまり心配する素振りもなかった父親には、ちょっとばかり腹が立つ。

 母が代わって入学式に出席しようと言ってくれたが、とても支度が間に合いそうになく(何年も前のデイドレスしか余所行きがなかった)ベルは王都へ行く商家の馬車に同乗させてもらった。若い娘が貸し馬車でひとりで向かうよりも、付き合いのある商人に頼んだ方がよほど安全だと母の判断だ。


 入学式の前日、ベルは無事王都に到着し、ロベリア国立貴族学院の寄宿舎に入った。寄宿生は、地方の貴族家出身で王都にタウンハウスを持っていない令息令嬢が中心だ。高位貴族はほとんどが王都にタウンハウスを構えており、そこから馬車で通学する。寄宿舎に入るのは下位貴族が中心だと聞いて、少し気が楽になった。個室だったのも良かった。部屋の広さは実家の自室よりも少し手狭だが、ベッドと机がひとつずつあり、部屋に浴室と不浄もついている。これなら快適に三年間暮らせそうだ。


 ただ、学院に着いた時に、何か不思議な感覚がして首を傾げた。寄宿舎から、学舎の方を見た時だ。背の高い木々の合間から見えた学舎と大講堂を臨む風景に、なぜか既視感があった。入試の時にも来たからそのせいかとも思ったが、あの時は必死で周囲を眺める余裕もなかった。

 なんとなく不思議に思った、その翌日。

 入学式の朝、初めて制服に腕を通して姿見の前に立つ。鏡の中の自分と目が合った時、突然頭の中に無数の映像が流れ込んできた。


「えっ? いたっ!」


 あまりの情報量の多さに、ずきんとこめかみに痛みが走る。咄嗟に片手で痛む箇所を押さえる間も、走馬灯のように情報の流入は続いていた。

 学院の学舎や教会よりもずっと高いビルの森。馬よりも速い車、王都でも見ないほどに人に溢れた通り。ベルはいつも小さな四角い物を手に持っていた。

 その中に、無数の物語が溢れていて、暇さえあれば読んでいた。


(わたしは本の虫で、次から次に読んでいた。そう、本、というか、あの四角いの!)


 記憶が流れ込んでくるものの、言葉というより映像ばかりで後から音や声が追いかけてくる。だから、物の名前やらが中々一致しない。

 四角い何かでずっと何かを読んでいて、一番はっきりと覚えている物語がある。


(ロベリア国、ベル・リンドル……これって)


 映像がようやく落ち着いて、目の前の鏡に映る自分を見つめる。背中まで伸ばしたふわふわのピンクブロンドに春の新芽を思わせる明るい翠色の瞳。前世でいうところのブレザーの制服で、スカート丈は脹脛の真ん中ほど。学舎の中を歩き回ることを考えて、靴は編み上げブーツを履いているので足は見えない仕様である。この世界では、貴族女性は足を見せてはいけないのだ。


「これって、『ロベリアの花』だわ」


 前世の自分が何度も読み返していた、恋愛小説だった。


「うわ、すごい。そっか、実物だとこんな感じなんだ」


 ベルとして生まれてずっと見てきた顔のはずなのに、物語の中で見た挿絵にも似ているなんてとても奇妙な感覚だ。

 そして前世の感覚も混じってきたせいか、とてつもなく可愛らしい顔立ちに見えてきて急に気恥ずかしくなってきた。前世のベルは、もう少しあっさりとした顔だったので。少し角度を変えてみたり、俯いてみたりと若干浮かれながら自分の顔に見入っていて、はっと我に返った。


「いけない! 入学式!」


 壁掛け時計を見れば、まだ問題なく間に合う時間だ。ぱっと髪を手で撫でつけて少しの乱れを直すと、鞄を手に急いで部屋を出た。




 学院敷地内にある大講堂で、新入生とその保護者が集まっている。大講堂は学舎のすぐ隣に並び立つ荘厳な雰囲気を醸し出す建物で、学院内でのイベント時に使われるという。外観を間近に見て思ったことは「あ、これ表紙の背景だ」だった。

 学院生活が始まる大事な初日だというのに気もそぞろで、式の進行中もどうしても前世の記憶のことばかり考えてしまう。


(完結してからも繰り返し読んだのよね。お話自体は異世界が舞台の恋愛もので……って今の私からすると向こうが異世界なんだけど。よくあるシンデレラストーリーなんだけど、ヒーローが好みのタイプで何より挿絵がすっごく綺麗で、それですっかりはまってたんだった。毎日仕事ばっかりでしんどくて、手っ取り早い癒しが欲しくて読んでみたらテンポがよくて面白かった)


 そう。恋愛小説で、下位貴族の娘が文武両道で眉目秀麗な王太子と恋に落ちるシンデレラストーリーだ。身分差があるため主人公は想いは秘めて身を引こうとするもの、王太子に強く求められやがて心を明け渡す。そして、元々優秀だった主人公はさらに努力し、王太子妃への道をゆく決心をするのだ。


(王太子には婚約者がいるんだけど、政争絡みの正真正銘政略結婚の相手で本人の承諾なく結ばれたものなのよね。後ろ盾であることに間違いはないから、円満に解消しようにも応じてもらえなくて。婚約者と父親の公爵ふたりそろって公務にも圧をかけてくるものだから、誠実で真面目な王太子は苦悩の連続……そんな時に出会ったのが主人公のベル・リンドル。……え、わたし? そうだよわたしだった……は?)


 前世の記憶を思い出してテンションが上がりきっていたところに、ようやく、物語と現実が合致していることへの危機感がじわじわと沁みてくる。


「それでは、学院在校生を代表して我が国の王太子クリストファー・ロードベルク殿下よりお言葉を頂戴いたします」


 司会の言葉が耳に響いて、一気に意識が現実に引き戻された。顔を上げると今まさに、背の高い金髪の青年が壇上に上がったところだった。


「新入生の諸君、まずは入学おめでとう」


 柔らかな微笑みを浮かべ煌めく薄い空色の瞳で、一堂を見渡す様は堂々として、まだ学生にも拘らず既に王族たる風格を備えていた。どっ、とベルの心臓が大きく跳ねる。何度も見た挿絵の記憶。花が咲き誇る庭園で、金髪の美しい青年がベルを抱き上げ颯爽と歩く場面。実物と絵との違いはあれど、間違いなく彼がベル・リンドルの相手役、いや王太子殿下その人だ。


(……出会いの時の挿絵だ。確か、ぶつかって転んだっていうベタな内容で)


 王太子殿下の言葉が続く中、女生徒たちはうっとりとして囁き合う声がする。その声は現実のもので、はっと我に返った。ここは庭園ではなく、入学式の会場だ。金髪の美青年は祝辞を述べている最中だ。


(あの人と、わたしが、恋をするの? 本当に?)


 自分は男爵令嬢、しかも裕福でもなく寧ろ貧乏な。そしてあちらは、王族、やがて王となって国政を担う人物だ。


(いやいや。ないない。そんな無理な展開、物語だからおもしろいのよ。王太子の相手っていずれは、王太子妃……王妃でしょ。無理だって!)


 身分違いにもほどがあり、ベルにあのような殿上人の隣に立つような気概はない。

 一気に目が覚め、本当の現実に引き戻された。現実に本当も何もないのだけれど。



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