「わたし、入学試験に自信がないの。お姉さまみたいに頭が良くないもの」
「そんなことないわ。それにまだ二年もあるじゃない」
「そうだけど……はぁ、来週からお姉さまいないのよね。不安しかないわぁ」
ユリアは今現在、貴族令嬢に必要なマナーと語学を母親から、それ以外の科目を父親から教わっている。ベルもそうやって大きくなり、加えて祖父が存命だった頃には嫡子教育も受けていた。弟が生まれてその必要がなくなったが、幼い頃は勉強尽くしの毎日だったのだ。
祖父はスパルタだった。あれはちょっとやりすぎではなかったかと思うが、逆に父、現リンドル男爵は呑気すぎるように思う。遅く生まれた跡継ぎの男の子が可愛らしくて仕方がないのだろう。だからといって、甘やかしすぎてポンコツに育ってもらっても困るので、そろそろせめて勉強時間くらいは机に座るように躾なければいけない。
(本当に大丈夫かしら。わたしの時はお祖父様がいてくださったけど……まあ、家庭教師の派遣をお願いするほどの余裕がないのは確かだし、マイルズも大きくなったら学院に通うのだろうしね)
ロベリア王立学院は、15歳から18歳までのほとんどの貴族子女が通う貴族中心の学院だ。平民枠はあるものの席数は少なく優秀者のみの狭き門となっている。貴族はその年まで家庭教師をつけ、必要な知識とマナーを学ぶのが一般的だ。
父親の言うとおり学院は義務ではないが、卒業していなければ貴族令嬢にとっては嫁入り先で、嫡男ならば社交や取引相手にも侮られることになる。
父の様子を見ていて思うに、このまま甘やかすようでは苦労するのはマイルズだ。気にかけてやりたいが、ベルは来週にはその学院に通うため王都に住むのだ。弟や家の心配ばかりしていられない。
「ベル、家のことはもういいから、荷造りはもう済んだの?」
母の気遣う声に、ベルは笑って頷いた。
「大丈夫よ、必要なものはまとめてあるし」
「ごめんなさいね、付き添えなくて。入学式にはお父様が出席してくださるから」
領主夫婦がふたりとも離れるわけにもいかず……というかこのわんぱく嫡男を置いていくのも連れていくのも色々心配だ。ということで、母は妹弟と共に留守番することになっている。
「もっと、充分に準備してあげられたらよかったのだけど」
「平気よ、もう充分」
申し訳なさげに眉尻を下げたイベリアが、ベルの頬に手を伸ばす。
「長女のあなたには苦労ばかりかけてしまったけど、あまりこちらのことは心配しないで。王都でしっかり頑張るのよ。あなたなら、お勉強の心配はいらないと思うけど」
「そうね、その心配は私もしてないわ。お勉強は得意だもの。だから絶対成績優秀者のまま卒業して、箔をつけて帰ってくるわ!」
「無理はしなくていいのよ! 真面目に、しっかりとお勉強して、それから学生生活をちゃんと楽しんでちょうだい。きっと帰って来たらお父様が良い縁談を探してくださるわ」
ふふふと笑って、イベリアはベルの頬から手を離す。ベルは曖昧に笑って頷いた。
本当のところ、ベルは帰ってくるつもりはないのだけれど。マイルズが後継者としてひとりだちするまではどうにか支える方法を探すけれど、ベルの本当の目的は王都で就職先を見つけることだ。成績優秀者で卒業できれば、王宮文官の試験に教授の推薦がもらえると聞いている。
(領地のことは心配だけれど、嫡子はマイルズに移ってしまったのだし。変に賢しい私が戻ってくるより、自分で身を立てる算段を付けた方が絶対いいわ。正直言って、何の旨味もないリンドル家の長女にろくな縁談は期待できないもの。変に足元を見られて評判の悪い貴族に嫁がされるくらいなら、平民の商家とかの方がましかもしれない。でもそれより最良は職業婦人よね)
父は嫡男マイルズに夢中で、娘ふたりのことには無頓着だ。これまでも領地の経営に手一杯で、社交もろくにこなせていないのに良い縁談を組めるような人脈があるとは思えない。
おまけにベルは普通は十五までに行う社交界デビューも延期したままになっていた。仕事でそれどころではなかったし、ドレスや王都での滞在費用など出せる余裕はなかったのだ。それに、今となってはそれほど必要性も感じない。
(今更デビューしたところで同じ年ごろのご令嬢はもう人脈を作ってしまっているし。そんな中に遅れて入って、社交会で上手くやれると思えないし……わたしのデビューはこのままでうやむやで構わない。貴族と結婚して社交界に入るより、事業計画立てたり書類仕事の方が性格に合ってる。やっぱり職業婦人しかないわ。けど、ユリアにはちゃんとしてやりたい)
そのためには、絶対に学年十位以内の成績を三年取り続けなければならない。なぜなら、成績優秀者は申請すれば学費を免除してもらえるからだ。ベルは入試でこの十位以内に入り、既に書面で申請済みだ。
将来の就職先とできれば仕事のための人脈も作っておきたい。そして、できるかぎり、費用はかけない。
ベルは貴族令嬢らしからぬ目標を、両親には黙ってこっそりと掲げていた。