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異世界転生してました《1》

 ベルの生家は、フロリア王国の西部に位置するリンドル領にある。初代のリンドル家当主が開墾に成功し、国から男爵位と開墾地をそのまま領地として拝領したのが始まりだ。以降、細々と農業を中心にこの地域を治めている。

 作物地帯と農村ばかりの自然豊かな領地だが、領都となる町はそれなりに人口も増え賑やかだ。その中央にリンドル領邸が建っている。王都にタウンハウスも他に別荘も持っていない、リンドル家唯一の邸宅だ。使用人も少なく三人通いで来てもらっている、貴族というにはささやかで、こじんまりとした規模だけれど。

 その執務室にて、ベルはこれまで自分が受け持ってきた仕事を父に引き継いでいた。


「ですから、橋の補修工事だけでなく治水事業ももっと積極的に進めるべきです。お父様も以前はそうおっしゃっていたじゃないですか」

「だけどなあ、ベル。費用がかかりすぎるんだ。農地改革が功を奏して、領内の産業が潤ってきたところなんだ。そんなところに予算を振るより領民の生活に直結する事業を考えるべきだ。それだって大事なことだろう」

「それはそうなのですが……ですが、いつまた水害が来るとも限らないのに……」

「最悪の大水害からもう二十年だ。壊された橋や川周辺の村の復興は進んだし、あれからまったく手を入れてないわけではない。そう心配するな、あれほどの水害は、そうそうあるわけないさ」


 父親の甘い見通しに、少女はそれ以上強く言えずに唇を噛む。どれだけ領地のことをベルが考えたところで領主はリンドル家の当主である父、リンドル男爵だ。二年前に弟となる嫡男が生まれ、嫡子でなくなったベルがもう、これ以上強く進言することはできない。


 このリンドル領は、ベルが生まれる前は不安定な気候に悩まされ、干ばつや水害の被害に度々見舞われた。特に二十年前は酷かった。四季のある地域なのに梅雨がいつまでも明けず、夏が終わる頃にようやく晴れ間が見えるようになったそうだ。その頃には秋の収穫期が目の前だというのに、日の光を浴びられなかった為に小麦はまったく育たず、芋は土の中で腐ってしまった。川は増水して氾濫し、いくつかの村は田畑だけでなく家まで浸水の被害にあった。

 当時はまだ存命だったベルの祖父が当主であり、食糧庫を解放したが、翌年以降も作物の病や飛蝗の被害が続きあっというまに蓄えは空となったという。

 幸いながら、ベルが生まれた年から徐々に作物不良も回復し、十五年が経った今は食糧庫も潤っている。


(だからって、これからもずっとなんて保証はないのに。お祖父様が生きていらしたらきっと……)


 父に進言しようと作ってきた事業計画書を手に、ベルはどうにかため息を飲んだ。


「そうですね、でも、余裕があったらで良いので」

「わかったわかった」

「ありがとう、お父さま!」


 とにかく計画書だけは受け取ってくれそうだ。ほっとしてその書類を父に手渡す。その時、ノックもなくいきなり執務室のドアが開いた。


「あねうえ! 見つけたあ!」


 駆け込んで来たのはベルの弟で、この家の嫡男だった。といってもまだ五歳のかわいい盛りなのだが。


「こら! マイルズ、ちゃんとノックしなきゃだめでしょう?」

「あねうえ、見て! 見て!」

「もう……なあに?」


 足元に駆け寄ってきた弟にその場でしゃがんで目線を合わせる。すると、片手の中にダンゴムシが二匹握られていた。


「ちょっ! あんまりぎゅってしちゃダメ!」


 一瞬開いてすぐに握ろうとするマイルズの手を慌てて止めた。そんなことをしていたら、開けっ放しになっていた扉の向こうからぱたぱたと複数の足音が聞こえてくる。直後、ベルのふたつ下の妹ユリアと母イベリアがマイルズを追いかけやってきた。


「もう、お仕事の邪魔しちゃダメって言ってるのに」


 えいっとユリアがマイルズを後ろから抱きかかえた。毎日子守りをしているだけあって、見た目は貴族令嬢らしく華奢で可憐といった言葉が良く似合うのに、ユリアはなかなか逞しい。


 マイルズは、とにかくやんちゃで手がかかる。母も初めての男の子でしかも他所の、下手したら平民の男の子よりも活発なマイルズに振り回され、今日もへとへとの様子だ。


「マイルズ、今はお母さまとお勉強の時間じゃなかった? 外に出て遊んでいたの?」

「やだ」

「やだじゃないの」


 大方、母や妹の言うことを聞かず外に飛び出して遊んでいたのだろう。

 ぶう、と頬を膨らませて可愛らしいマイルズに、ベルは心を鬼にしてめっと目尻を釣り上げて見せる。しかしまったく反省する様子がないのも、また毎日のことだった。


「もう、ちゃんとした家庭教師を雇った方がいいんじゃない?」

「お姉さまに賛成だわ。マイルズの相手をしてたらあっというまに時間が過ぎちゃうし、わたしだってちゃんと先生に見てもらいたい。再来年には学院の入学試験を受けなきゃいけないのに、自分の勉強が全然できないの」


「何を言ってるんだ。こんな田舎まで来てくれるような家庭教師、雇おうと思ったらいくらかかると思ってる」

「それはそうだけど」

「勉強が苦手ならユリアは学院なんて行かなくていいじゃないか、義務でもないんだし。マイルズにはまだ早い。それに男はちょっとやんちゃなくらいがいいんだよ。なー、マイルズ!」

「お父さま、そんな言い方……」

「きゃーっ! ちちうえ、だっこ! もっと!」

「ほら、窓の外にぽいしにいこう」


 ユリアの手から今度は父親に抱き上げられて、マイルズは上機嫌だ。窓際まで連れて来られてダンゴムシを外に放ると、ご褒美とばかりに肩車であやしてもらっている。そんな様子にベルとユリアは顔を見合わせ、ふたり同時にため息が出た。



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