プロローグ
色とりどりの可愛らしいお菓子やカットされた果物がテーブルに並び、ガゼボの周囲には小さな薔薇の花が咲き乱れている。お茶会の出席者は学生らしく控えめながら、華やかなデイドレスで正しく花のようだった。制服ではないのは、今日が休日だからだろう。そんな場所に、制服で乗り込んでしまったことを後悔した。
(だってだって、学生同士のお茶会だって聞いたから! しかも会場が学院内なんだから、考えることもなく制服だと思ったんだもの……!)
ベルは制服の下でだらだらと冷や汗を掻きながら、貴族令嬢たちが集うガゼボから少し離れた場所で立ち止まった。
彼女たちの中心は、長い銀髪に薄い空色の瞳を持つ公爵令嬢である。その空色は、王家の色だ。ただ薄い青ではなく光彩に白が散らばって、光の下で輝く特別な瞳だ。彼女が王家の血を引き継いでいる証であり、彼女自身もまた王太子と婚約を結んでいる。
男爵家生まれの私とは、圧倒的な身分差がある……それでもベルは、今日ここで彼女に認められなければならない。
震える足を心の中で叱咤して、彼女たちの視界の端でスカートを軽くつまみ膝を屈める。下位の者から高位の者に先に声をかけてはならない、というルールがある。
(うう、やだ……声、かけてもらえなかったらどうしよう)
ベルが見えていないはずはない。よほど関係が悪くない限り、高位の方からお声がけがあるものだ。だけど、今のベルの立場は、そのよほどの場合に当て嵌まる。
「あら」
どうやら、無視はされなかったようでほっとしたのも束の間。
「随分と背の高い雑草が生えているわ」
涼やかに良く通る声はこの場の主、公爵令嬢のものだ。それに応えて周囲のご令嬢が次々と声をあげた。
「まあ、本当ですわ。見苦しいこと」
「庭師は何をしているのかしら」
(雑草? この完璧に手入れされた中庭に?)
我が家であれば普通のことだし、なんなら花壇ではなく菜園だったが。学院の庭園は専属の庭師がいて、いつも美しく整えられている。
不思議に思って少しだけ顔を上げてしまった、その途端に「まあ!」と尖った声が飛んできた。
「また背が延びましたわ。せっかくの庭が台無し」
「え……?」
見れば、全員の目が集中していた。ベル自身に。
(え? え? え?)
意味がわからず、それでも何か悪い空気を感じ取ってひたすらまばたきを繰り返す。
「嫌だわ。会話の意図も読みきれず、マナーも身についていないなんて。顔を上げて良いなんて誰も許してなくてよ」
「レティシア様はね、あなたのその頭が邪魔だと、おっしゃっているのよ」
笑い声に混じって厳しい声で咎められて、徐々にその雑草が自分を指しているのだと理解する。
(は? え? そんな?)
麗しの公爵令嬢レティシア・オースティン。このロベリア国に三家しかない公爵家の筆頭、オースティン家の掌中の玉。淑女の鑑と言われる彼女が、そんな貶め方をするとは思わなかったのだ。
(だって、淑女の鑑よ? いくら物語の中では悪役令嬢だからって、彼女はれっきとした、生きた存在で公爵令嬢で……)
なのに、それはあまりにも、品が無い。そう感じてしまうのは、ベルが貴族令嬢としてだけでなく、前世の記憶も持っているからだろうか。衝撃を受けた表情のままで、うっかりレティシアを見つめ返してしまった。
それがますますレティシアの反感を買った。
「ねえ、おまえ」
「はいっ……」
「リンドル男爵家だったかしら。特別目立ったところのない、田舎の、小さな領地。以前はひどく貧乏だったようだけれど、近頃は少し持ち直したという話でしたわね。作物の収穫が年々安定して」
「まあ、さすがですわレティシア様。わたくし、そんな片田舎のことなんてまるで知らなくて」
「わたしなんて名前もうろ覚えでしたわ」
レティシアの周囲を取り巻く令嬢たちが、競うように誉めそやす。明らかにベルを貶める空気の中で、それでも領地のことを聞かれたならば黙っているのもまずいだろうとおそるおそるレティシアの言葉に応えた。
「……は、はい。近頃ようやく流通の方にも力を入れられて……」
ぱん、と広げられた扇の向こうで、切れ長の目が鋭く細められる。ひっ、と悲鳴を呑み込んで、ベルは肩を震わせた。
「嫌だわ、庶民とさして変らない貧乏貴族がどうしてわたくしと目を合わせられると思うの。どうして勝手に囀るの」
優しく歌うような声音で辛辣な言葉を浴びせられ、ぴしりと固まる。かろうじて微笑みを浮かべているものの、表情筋が震えてどうにかなりそうだ。
うららかな春の午後、暖かな日差しのガーデンだったのに、ベルはレティシアの背景が激しく吹雪いている幻を見た。
(こわっ……! こわいって! これって、本当に、本物の悪役令嬢じゃない⁉)