死亡推定時刻頃の公園の防犯カメラに
はっきりと映り込む霧子の姿に、どうにも居心地の悪くなった三人は、会議の続く合同捜査本部をそそくさと退散した。
「ぷっはぁ。息が詰まって窒息するかぁ
ひと息着こうと入った喫茶店で、
「道理でね。目撃者だなんて。私、そばに人の気配を、まったく感じなかったんだよね」
霧子がグラスに注がれた水を一気に飲みほし、空のグラスを持ったまま、人差し指を振った。水は、キリリと冷たく、喉を潤してくれた。レモンとミントの爽やかな香りがする。
「霧ちゃん、あの服は処分した方がえぇな。それと、メイクちょっと変えよっか。シャドー強めにするとか、いっそブランド全取っ替えして、色味変えるとか」
「そうね……」
お気に入りのニットワンピだったのだが、致し方ない。
霧子たちは、妖狐なので、姿そのものを変え事もできる。ただ、今の姿がアイデンティティに深く結びついていて、「自然体」なので、できれば変えたくない。それを分かっているので、房咲子は服とメイクの変更を提案したのだった。
「ジャンボパフェ三つ、お待たせしました」
彼女たちが陣取るボックス席にウェイターの男の子が近寄る。
「はーい」
極度の緊張を
「ホれにヒても。ヒてやられちゃいました」
ロタがもごもごとパフェを頬張りながら言った。
「せやな。素人のウチらが、その道のプロを出し抜くなんて、ちいっとばかし無理があったかー」
「目撃者」が防犯カメラの映像だったことで、その目撃者が犯人だという可能性が消えただけでなく、自分たちが警察以上の情報を持っているというアドバンテージも無くなってしまった。
こうなると、探偵ごっこもお開きかもしれない。三人の間に重たい空気が漂い、自然、会話も減ってしまう。
「でも」
ロタが言った。
「それが分かったってのは、
「ロタちゃんは、いつもポジティブだね」
「ん、ん! もっと褒めても良いですよ?」
褒められて、すこぶる機嫌が良いのか、喉でも鳴らしそうな勢いだ。
「さて、ここで、ロタちゃーんクゥイズ!」
相変わらずの唐突さだ。房咲子がパフェを頬張りながら、空いている方の手で「どうぞ」と先を促す。
「私たちが良く読んでるミステリーと、今回の、この事件の違いはなんでショー?」
「そんなん、作り話か、現実か、やろ?」
房咲子がそう言うと、ロタは不正解だと言わんばかりに首を横に振った。
「うーん。他人事か、そうでないか、かな……」
霧子が言う。
「あぁ。防犯カメラに映っちゃってたからなー」
房咲子が言うと、隣でロタがぴょこんと、手で
「あう……」
霧子にダメージが入ったのを見届け、ロタが言った。
「どっちも、違いまーす」
「うーん、わからん。降参や」
「正解は、『奇抜さ』でーす。この事件、『キ・バ・ツ・サ』が、足りません」
『奇抜さ』のところで、両手でダブルクォーテーションのジェスチャーをしながら、ロタが言った。
「奇抜さ?」
「そうです。この事件は、当たり前の場所で、当たり前の死に方してます。『山の頂上で溺死』みたいな『奇抜さ』が足りないです」
「まぁ、そりゃ、実際の殺人事件なんて、そんなもんでしょ」
「でも、それじゃ、ミステリーとして面白さが足りてないです」
しかし、言われてみれば確かにそうだ。事件に面白みが欠けていては、首を突っ込んでみたところで、大して面白い結末にはならないかもしれない。
ロタの指摘が的確すぎて、霧子と房咲子は、いつものような切れ味鋭いツッコミも出来ず、残りのパフェを黙々と食べた。
※ ※ ※
探偵ごっこはお預け。そんな雰囲気のまま帰宅した三人は、土曜の午後は思い思いに過ごすことにした。
霧子は、気分転換に、趣味のバイクで出掛けると言い、房咲子も道場に顔を出してくると言った。二人とも、何か体を動かして、モヤモヤを晴らしたかったのだ。
「じゃあ、ロタちゃんは、猫の舌サンのシフト入れちゃおっかな」
ロタがコンセプト・カフェ『ラング・ド・シャ』でバイトをしているのは、バイト代が目的ではなく、可愛らしい格好でお喋りが出来るから、らしい。日本語の勉強にもなると本人は言うが、今のところ、その成果については、少々怪しいところがある。
「んじゃ、行ってきまーす」
霧子が白地に黒のラインの入ったライダースーツに、フルフェイスのヘルメットを抱えて先に出た。
地下の狭い駐車場には、手前からミニシアターの来客用駐車場が三区画、その奥に三人で共用しているフォルクスワーゲンのタイプ2。そして、一番奥に、霧子の愛車、スズキの
グローブをはめて、エンジンをスタート。腰から全身へと駆け上がるリズミカルな振動。スロープを進み、明るい地上へと出る。目的地はない。ただ、無性に走りたかった。それだけだ。
――人間って凄いよね。
霧子も狐の姿に戻れば、時速50キロで数十秒は、走ることが出来る。しかし、
しかも、霧子が妖狐として第二の人生(狐生)を歩み始めた平安時代には、こんな乗り物は存在しなかった。それから千年。今や、人間は空を飛び、宇宙にすら進出し、妖狐の能力を遥かに凌駕する。
だからこそ、そんな人間への憧れから、人の姿で生きる事を選び、結果、妖狐としての能力を獲得するに至ったのだ。
首都高のインターで、気ままに分岐を選んでアクセルを吹かす。なんとなく西へ、川崎方面へと向かって進んでいたが、「海ほたる」の地図看板を見て、そちらに車体を傾けた。そうして、木更津と川崎を結ぶ東京湾アクアトンネルの端、東京湾のど真ん中にある人工島、「海ほたる」に目的地を定めた。
「せいや!」
房咲子の繰り出した正拳突きが、相手の顔面スレスレにビタリと止まる。相手は防御の姿勢が間に合わず、思わず目を瞑った。
「そこまで!」
「押忍!」
房咲子はこの道場で黒帯を獲得。今や四段。
「よ、房咲子ちゃん」
「先生。お邪魔してます」
房咲子が師事する、この道場唯一の女性師範代が声を掛けてきた。
「元気だった? 土曜日に来るなんて珍しいね」
「はい。今日はちょっと無性に体を動かしたぁなりまして」
「ふふふ。失恋かな? おっとセクハラは良くないね。ごめん。でも、体を動かして発散するのは良い事よ。どう、一手組んでみる?」
「ありがとうございます! では、お言葉に甘えて」
霧子はフェンスにもたれ海を見つめていた。すっかり冬の海だ。潮風が体の芯から体温を奪っていく。ブルっと身を震わせ、日の傾きかけた波を睨む。
――あぁ。悔しいなぁ。
すべては自分の油断が招いたこと。霧子は、そんな自分の弱さに腹を立てていた。
そして、自分の失態で、房咲子やロタの日常まで奪う可能性のある事を申し訳なく思った。
――なんとかしなきゃ。
なんとか……。
防犯カメラに映っているのは私ですが、私は犯人じゃありません。と出頭する?
――いや。それは駄目でしょう。
自分が犯人ではないことを知っているのは自分だけだ。何の証明もできない。
ならば、このまましらばっくれて、探偵ごっこからも身を引き、警察の捜査の手が自分に及ばないようにと祈りながら、暮らす?
――自分が犯人でもないのに、コソコソと隠れているようで、なんかやだな。
「あーっ、もう。どうするべ」
※ ※ ※
「参りました!」
房咲子が頭を下げつつ言った。
「ふふふ。まだまだ負けないわよ。って言いたいところだけど、かなり危なかったわ。また腕を上げたかしら?」
「ありがとうございます。あの、もう一本良いですか?」
「次は、勝てそう?」
「いいえ! 全然! まったく! まるで、そんな感じしません。でも、勝てるまでやれば、勝てるかもです」
「そうね。房咲子ちゃんらしさが、戻ってきたわね。いいわ、もう一本いきましょう」
「ありがとうございます!」
※ ※ ※
海ほたるの岸壁に打ち寄せる波は、まるで変化がない。だけど、一つとして同じ波はない。絶えず僅かな変化を伴いながら、何度も何度も繰り返し、寄せては返すのを繰り返していた。
「たったこれしきの事で……」
――降参するなんて、自分らしくない。やっぱり、真犯人を捕まえちゃいましょう。
そうすれば、防犯カメラの映像で追及される事も、そのせいで日常が脅かされることも無くなるはず。
※ ※ ※
「ロタちゃんが穴を埋めてくれて、本っ当に、助かったわ。大福っちから、急に今朝ラインあってさ。今日入れないって。もう、マジやばだったのよ」
コンセプト・カフェ、『カフェ・
「えへへっ。良かった。で、大福ちゃんはなんでお休み? 風邪ひいたの?」
「うーん。それがね、ちょっと分かんないんだよね。最近、なんだか悩んでる風だったから」
「ふぅん。そなんだ」
カランとドアに付けたカウベルが鳴る。
「お帰りなさいませー!!」
※ ※ ※
こうして霧子が、そして房咲子が気持ちを奮い立たせ、ロタが大して日頃と変わらぬ時間を過ごしている頃。三人の預かり知らぬ場所で、第四の殺人事件が進行中だった。