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およそ一年が経過し、今日はジュリアの命日だった。墓参を済ませたシルバ、リィファ、トウゴの三人は、墓地を後にした。人一人ほどの間隔で並ぶ木々の間を抜けて、下草の生える湖の畔へと至る。
湖はほぼ円形で、全周を林が囲んでいた。二人の人が乗った木の舟がゆっくりと進んでいる。水面は穏やかで、星々の光を反射して清らかな輝きを見せていた。
「懐かしいな、ここ。ジュリアが九つになるくらいまでは、二人でよく来ていたなぁ。ああ、シルバ君がいた時もあったか」
横並びの中央のトウゴが、さっぱりした調子で呟いた。遥か遠くを見るような眼差しは、どこまでも静謐だった。
「舟にもよく乗ったけど、この湖ってそんなに広くないだろ? 三分とかそこらで向こう岸に着くから、『おとーさん。もっかいでしょ?』ってさ。服を引っ張りながら、ジュリアがせがむんだよ。あんまりにもきらきらした目で見上げてくるから、毎回、二往復はしてたなぁ」
トウゴが言葉を切ると、さあっと風が吹き、湖面が微かに揺れた。ひんやりとした感覚がシルバの頬に生じる。
僅かに間を置いて、パンッ。トウゴは、自分の腿を力強く打ち付けた。
「湿っぽい思い出話は、これにて終了! 我々は、未来に突き進んでいかねばならん! シルバ君、リィファちゃん! 君たちの新年度の抱負を語るんだ!
ちなみに俺は、『仕事で自分史上、最高の傑作を生み出す』だ! びっくり仰天させてやるから乞うご期待! だぞ!」
空元気とも取れるトウゴの大声に、シルバはリィファと視線を交わした。小さく笑んだリィファは前を向き、ゆっくりと口を開く。
「今までわたしは、とっても楽しく学校生活を送ってきました。だけど、まだ自分が何になるべきか、なりたいかがはっきりとはしていません。だからこれから一年を掛けて、じっくり考えます。ずーっとずっと、幸せで充実した日常が繰り返せるように」
たっぷりと情感を籠めた語調で、リィファは思いを吐露した。湖に向いた横顔は澄み渡っている。
「自分は……そうですね。カポエィラをもっと広めたい、かな。他の格闘技と違って、カポエィラは……何というか、カポエィラだから。別の競技じゃあ学べないものが絶対にある。クラブも潰れちまったし、具体的な方法は考え中ですがね
それと、巨月を地球の支配から解放したい。どうすればよいかわからないけど、俺が死ぬまでに実現して見せる。地球人と交渉でも何でもして。この星の人々が永遠に、幸せで充実した日常が繰り返せるように」
「あーっと! 英雄シルバ! ついに! ついにとうとうその言葉を口に出してしまいましたね! トリガーが引かれてしまった! 開けてはいけないパンドラの箱を! 開・け・てしまいましたー!」
シルバの決意の言葉に被せるように、どこかから女の愉快げな声が鳴り響いた。
(何だ? 俺が何を言った? ……このふざけきった声。まさか! 一年前の地下の事件の……)
困惑がシルバを襲う。トウゴとリィファは、不安げな面持ちで辺りを見回していた。
「月の庭の格闘家計画、第二弾始動です! さあ、レディースエンドジェントルマン! 夜空を見上げて!」
高らかな宣言の直後、シルバはばっと顔を宙に向けた。不動だった天空の星がゆっくりと動き始めていた。いや、移動しているのは星ではなく……。
「巨月が……、動いて……」
シルバの口から驚嘆の言葉が漏れる。
「ご明察! 貴方たちは今、地球に急接近中! 到着はおよそ三十分後です! 着いてから取る行動は自由! 地球人と交渉するでも、全員をぶっ倒して地球を乗っ取るでもお好きにどうぞ! けれども私たちと貴方たちの戦力差は歴然。だからプレゼントを三つ用意しました!」
言葉が切れるや否や、シルバの右脚が勝手に動いた。
(なっ!)驚愕の瞬間、意思に反して前蹴りが放たれた。すると湖の水面に大きな波が生まれ、前方へと伝播していった。
「アストーリ人全員に、戦闘に使える特殊能力を付与しました。ちなみにリィファの力も戻しておいたから、思う存分、有効利用しちゃって下さい! そして、プレゼントその2! これは喜んでもらえるはずですよ!」
がさり。背後で音がした。シルバ達ははっとして振り向いた。
木々の間から、一人の少女が現れた。年の頃は十代前半。あまりにも馴染み深いその少女の名は──。
「ジュリア!」
シルバは叫んだ。リィファとトウゴは驚愕に目を見開いている。
「センセーにお父さんにリィファちゃん。みんな久しぶりだね。ジュリアです。あの日、心臓を突かれてあたしは確かに死んだ。死んで、不思議な世界にずうっといた。だけど、ふと気がついたらここにいた。なんだかよくわからないけど、あたし、生き返ったみたい」
ジュリアは困ったように笑いながら言葉を紡いだ。
トウゴが地面を蹴った。小走りで駆けていき、ジュリアに抱きついた。
「ジュリアっ! ジュリアっ! 良かった! 本当に! もうなんて言ったらいいか俺は……」
愛する娘を抱きしめつつ、トウゴは嗚咽混じりに言い放った。
「えへへ。お父さん。あたしも会えて嬉しいよ。でも正直、不安というか怖い気持ちはあるの。間違いなく死んで天に召されたあたしがこんなに簡単に生き返って。……何というか、自然の法則をめちゃくちゃにしている申し訳なさみたいなのを感じちゃってるんだよね」
ジュリアは静かに思いを述べた。
歓喜しかけたシルバだったが、ジュリアの言に複雑な思いが混じり始める。
「あれあれ? せっかくの大奮発だったのに、微妙なテンションですね。まあそれは置いといて。プレゼントその3! 出でよ、最強の異能力者よ!」
またしても後ろから音がした。シルバたち三人はとっさに向き直る。
木々の間からフランが姿を現した。服装は、初めて会った時と同じ、上下一体の白色のローブだった。
「くっ! あなた、まだ巨月に──」
敵対を感じさせる声音でリィファが呻いた。
するとフランは、穏やかに微笑した。
「安心なさいな。もうあなたたちに危害を及ぼす気はなくなった。一年前の戦いの後、私の地球への妄執は不思議なまでに消滅したのよ。まるで最初から、自分自身のものでなかったように、ね」
「そう! 今回はフランが味方! しかも
フランの和やかな言葉に被せて、謎の女の声が叫んだ。
「フラン? ……お前がジュリアを死に追いやった元凶か! いったい何がどういう理屈で、そんな上から目線で物を語れるんだ!」
憤怒のトウゴが、憎悪をフランにぶつける。しかしフランは、鷹揚で余裕な笑顔を崩さない。
「いやー、これこそまさにカオス! 予想以上に険悪な感じですねえ。でもあなたたちって、仲違いしてる場合なんでしょうか。みんな力を合わせて、どうやったら地球人と関係を築けるかを考えないといけないと思いますけど」
「声」が再び割り込んだ。相も変わらず、どこまでも軽薄な調子だった。
(舐めやがって。上等だ。俺たちに戦う力を与えたことを、死ぬほど後悔させてやる。
ジュリアが自然の摂理に反して生き返っちまったのはもう仕方ない。今度こそ俺はジュリアを死なせない! みんなで地球人どもに一泡吹かせて、幸せに生きていってやる!)
一触即発の雰囲気の中、シルバは強く決意していた。シルバたちの状況にお構いなく、巨月は鮮やかな青を湛える地球へと近づき続けている。
(完)