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ふわふわ、ふわふわと、夢を見ているような捉えどころのない思考がシルバの頭を巡る。陽が当たっているのか、そこに段々と、剥き出しの両腕のじりじりとした感触が割り込んでくる。
遠くからパンデイロ(タンバリン)らしき音と、多くの人によるパン、パパパンという手拍子が聞こえてきていた。さらにさあっと風が頬を撫でて、シルバは目を開いた。すぐに辺りを見渡して、自分が細く伸びた土の道の上にいると気付く。
道をずっと行った場所には、大きな家屋があった。外壁の白色は燻んでいるが、「邸宅」といった有様の立派な家だった。
家屋のさらに奥側、生い茂る木々の向こうは海である。豆粒ほどに見える船が、何艘も浮かんでいる。
道の左右は、草でびっしりと埋まっていた。高さはシルバの背丈の倍近く、根元は薄茶色、先端は濃緑色だった。天を突くように伸びる様は、並々でなく強い生命力を感じさせる。
「あっ、ほんとにセンセーだ。おっひさしぶりー。まさかまさかの巡り合い、これぞ運命って感じだよね」
聞き慣れた、だが記憶より僅かに低い呟きが、背後から聞こえた。シルバはとっさに振り返った。
白と青のカポエィラのユニホーム姿の女性が、親愛に満ちた顔付きでシルバを見詰めていた。小さな顔はこの上なく整っており、優しさと活気の両方を感じさせる目が鮮やかに煌めいていた。
黒髪は艶やかかつ真っ直ぐで、何筋かの髪首に僅かに掛かっている。背丈はシルバと同程度で、年齢は上の可能性もあった。
「……お前、ジュリアか? 何なんだ、その姿は。いったい何がどうなってる。ここはどこなんだ?」
面食らうシルバは、矢継ぎ早に問うた。リィファの予言のあった夢と比べて、あまりにも明晰だった。
ジュリアの口角が微かに上がった。ややあって、血色の良い唇がそっと開かれる。
「あたしはずっと、ずーっと、あたしだよ」
「何だそりゃあ。答えになってねえぞ」納得がいかずシルバは即答する。
「それはさておきセンセーさ。だーいぶ苦戦してるよね。まあでも、相手は天下のカイオ様だ。完全勝利でお茶の子さいさいってわけにはいきっこないか」
落ち着いた、あっさりとした調子の返事が来た。神秘的でどこか儚げな雰囲気に、シルバははぐらかしへの追及をする気がなくなる。
「ここじゃああたしのほうが年上だから、ちょびっと生意気を言うね。カポエィラは、どこまで行ってもカポエィラなんだよ。もっともっと軽やかに自由に、なんにも囚われずにやれる。そうすりゃ、あたしのセンセーは、神様にだって楽勝間違いなしよ」
朗らかであっけらかんとした元気付けに、シルバは顔の綻びを感じた。合わせ鏡のように、ジュリアの笑顔が大きくなる。
「あたしはやっぱり、アストーリで生きて、センセーたちといられて幸せだったよ。たった十二年だったけど、みんなを愛して、愛されて。あたしの人生が、実験の一部に過ぎなかったとしても変わらないよ。だからお願い。あたしの楽園を、大事な人たちを守って。あたしの分まで幸せに幸せに、死ぬまで生きて」
切実な言葉の後に、シルバはふと手に目を遣った。なんと、両方とも透け始めている。
シルバが再び視線を上げると、「ばいばい、センセー。リィファちゃんとお父さんにもよろしくね」ジュリアが感慨深げに呟いた。身体の透明度はしだいに増していく。
完全なる消失の刹那、シルバはふうっと意識を手放した。