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ややあってフランの左の人差し指が、ぴたりとリィファの左胸に固定された。
(明らかに、格闘技の構えじゃあない。……まさか、「力」を使う気?)
リィファが思案を巡らしていると、フランはふうっと考え込むような顔になった。一秒、二秒。何の攻撃も来ない。
「やっぱり貴女は殺さないで、後で傀儡にするわ。次にいつ、同朋が得られるかなんて、わからないものね。安心してね。私の秘薬は出来が違うの。自我なんてすぐに消えて、すぐに法悦に至れるわ」
(この人、どこまで狂ってるの……)
愛の囁きのようなフランの口振りに、リィファの背筋にぞくぞく冷たいものが走った。
ふとフランは、くるりと振り返った。
同じ方向に目を向けると、シルバがまだ戦っていた。相手の操る格闘技は、どう見てもカポエィラだった。
「さすがは現アストーリ最強。食い下がっているわね。だけれど私も掛かれば一瞬。あちらには、加減する理由もないしね。さあてどう殺せば一番愉快かしら。撲殺、刺殺。他にも色々。うふふ。選り取り見取りで困ってしまうわね」
甘く邪悪に呟いて、フランはシルバに指を向けた。必死で立ち回るシルバには、気付いた様子は全く見られない。
(やらせないっ!)
リィファは、地面を擦って重い右手を動かした。なんとかフランの踵を指先で掴む。だが、悲しいほど弱い力しか出ない。
すぐにフランは向き直り、納得したように眉を上げた。
フランは足を引っ込めた。手は簡単に除かれて、リィファの眼前に靴底が迫ってくる。
瞬間、視界に鮮烈な光が飛んだ。ぬめりとした感触が鼻に生じ、しだいに口へと入りこんでくる。
「目を逸らしては駄目。愛する人の断末魔よ。しかと心に焼き付けるの。そして飛びなさいな。そうすれば薬も、きちんと身体に馴染んでくれるわ」
頭の中での、甘やかな声色のリフレイン。その瞬間、リィファの内側で何かが音を立てて切れた。
不思議と動く両手を突いて、おもむろに立ち上がる。相変わらず身体中は激痛がする。だが、膜を一枚隔てた所に存在するようだった。
シルバを狙っていたフランだったが、するすると手を下ろした。再び身を翻し、怪訝な面持ちになる。
「どうして立てるの? ……『力』が、自己治癒の方向に機能した? いいえ、何も感じない。今のリィファにあるものは、純然たる気力だけ。ただそれこそが、『力』に至る道。取るに足りないと、安易に切り捨てられない」
思慮深げな声音で、リィファはぶつぶつと独言している。構わずリィファは、フランを睨み付ける。
「力がどうとか、もういい。あなたの邪悪さには吐き気がするけど、今は関係がない。問題は、たった一つ。あなたはわたしのタブーに触れた」
深慮も遠慮も一切なしで、リィファは心の内をぶちまけた。大股でフランに接近し、右手を顔へと突き入れる。
真顔のフランが、敏速に左手を上げた。去なされるイメージが頭に流れ込み、すかさず軌道を調整。腕へと狙いを変更する。
骨と肉との境目に、刺突が入った。フランは顔を歪ませながらも、即刻反対の手を横から回す。
すとんとリィファは、膝を曲げた。張り手は頭上で空振りし、フランは目を大きく見開く。
リィファは一歩、力強く前進。左肩を前面に出して、がら空きのフランの右脇に全力でぶつかる。
反作用の衝撃は予想より小さかった。フランは軽やかな足捌きで転倒を回避し、大きく後退していった。
(寸前で後ろに跳ばれた! 会心の当て身だったのに!)
リィファは歯噛みしつつ、きっとフランを凝視した。視線の先では棒立ちのフランが、冷たく、憮然とした眼差しで見返していた。