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暗黒の空間を、シルバはそろそろと進んだ。
三歩行った途端、ふうっと闇が掻き消えた。僅かに目を細めた後に、シルバは周りに目を遣る。
部屋は完全な立方体で、アストーリ校の教室が九つ入りそうなほど広かった。
壁、床、天井は湿った土でできており、柔らかな茶色には温かみも感じられた。四隅には三本足の灰色の燭台があり、人の胴の太さの四本の蝋燭が静かに燃えている。
「シルバ先生、扉が……」
リィファが困惑を滲ませて呟いた。振り向いたシルバは、予想通りの光景を目にした。入室時に開いた扉が消えており、全面が壁となっていた。
「もう、こんぐらいじゃ驚きゃしねえよ。退路を断たれた? 上等だ。こちとら初めっから逃げる気はねえんだ。何が待ってようがぶちのめして、『宿命の打破』とやらを成し遂げてやる」
シルバは自らを奮い立たせた。身体を戻して、再び正面に目を向ける。
穏和でゆったりとした女性の声が、どこからか響き始めた。
「むかーしむかしの今から二百五十年前、格闘技の発展過程の検証のためのプログラム、『月の庭の
しかし依然、がらんどうな空間に動きはない。
「被験者を誰にするかについて、世界中で論争が起こりました。懲罰の一環として犯罪者を使うべきだ、との意見がありましたが、人権団体からは強い反発がありました。
私たち日本人は、当時、下僕としていたケイ素生命体の亜人に着目。今から二百年前、心身の健康な百体を選抜し、記憶の消去と各種の格闘技の技術の伝達に加えて、格闘技以外の戦闘手段を開発しないよう脳の構造を改変。万全の準備を終えて、彼らを巨月に遣りました」
(……計画、か。「ケイソ」って語は理解できんが、俺たちは地球人とは根本的に別物で、奴ら手の中で踊らせられてたってわけかよ。……どこまでも舐めてくれる)
怒りの発露をどうにか抑えて、シルバは謎の声に耳を傾ける。
「五十年後に私たちは、虎の子の、不死の特殊検体Aを投入。彼女は巨月で権力を握り、アストーリ国が生まれました。以降、私たちは定期的にゴレンジャー・ロボを発射。巨月の住人に適度な危機感を抱かせました」
(……『彼女』? アストーリは、三人の男が建国したんじゃ…)
考え込むシルバを余所に、女は明朗な調子で話し続ける。
「アストーリ国では順調に、亜人の世代交代が行われていきました。時は流れて今から十八年前。私たちは、一般検体Bを巨月に投入。身体の成長を待って特殊検体Cを仕向け、精神面での充実も達成しました。
そこで私たちは、百体の強化型ブラック・ロボにより一次試験を実行。検体Bの成長を確認した後に、検体Cの力を用いて、地球の支配からの解放を懸けた最終試験の開催を仄めかしました」
(十八年前に送った検体Bに、しばらく経ってから送った検体C。……俺とリィファを指してるとしか思えん。それに「ロボ」……。さっきから意味不明だが、詰まるところ一色服の連中は、俺たちの実験のための……)
シルバの思案は、さらなる女の言葉によって遮られる。
「さあ、いよいよ最後のテストが始まります! 伸るか反るか、天下分け目の天王山! 相手はアストーリ最強と名高い三人! 勝てば解放、負ければ死あるのみ!
ちなみにちなみにっ! 一般検体Bことシルバは、大事な大事な教え子、ジュリアちゃんを既に失っています! これ以上の悲劇は何が何でも避けたいところっ! 果たしてカポエィラ使いの
女の妙に弾んだ声が止むと同時に、重々しい音楽が聞こえ始めた。
――コー、――ホー、――コー、――ホー。
音楽のバックでは、規則的で人工的な呼吸音がしている。
しばらくすると、部屋の向こう側の天井を擦りぬけて、人型の物体が下りてきた。シルバは精神集中をしつつ、全身に目を配る。
脛までを覆う靴、縦線の入った服、踝にまで至るマントに、太いベルト。物体はひたすら黒一色だった。
顔を隠すマスクもやはり黒で、目の部分は楕円、口の部分は三角形の構造だった。頭部は金属と思しき素材で、肩に向かうにしたがって末広がりとなっている。
重厚な着地音の直後に、物体は手の中の銀色の棒の端近くを指で押した。ブゥンと音がして、血のように赤い光が棒の先から飛び出した。