20
石の城門のすぐ近くで、シルバは立っていた。身体はやけに軽く、強く跳躍すればそのまま巨月を脱出できそうな気さえする。
視線の先には、赤のカポエィラのユニホームを纏ったジュリアがいた。表情からは何の感情も読み取れず、佇まいにはそこはかとない寂寥があった。
すぐ近くから広がる森の木々の、葉が大きく揺れていた。にも拘わらず、辺りは完全な無音だった。
ジュリアがおもむろに動き始めた。滑るようにシルバに接近してきて、ふわりと回転。半円状の蹴りを放った。
シルバは反射的に、伏せるように回避。身体の上下を反転させて、右足の甲で蹴り上げた。ジュリアはブリッジで難なく躱す。
何かに導かれるかのように、シルバはジュリアとのジョーゴを続けた。ジュリアの手並みは舞踏のようで、シルバは陶酔に近い一体感を得ていた。
どれほど経っただろうか、ジンガの姿勢のジュリアがすうっと構えを解いた。シルバの後ろに、揺れない眼差しを向けている。
シルバはとっさに振り返った。
すると、透き通った白色のローブを纏う少女が、天空を見上げていた。リィファだった。直感的に、地球を見入っているのだとわかった。
「巨月の世界は彼らの箱庭。彼らとわたしたちは、創造主と被造物。それぞれの体を成すcarbonとsiliconeは、似て非なる物質。
先の戦は、彼らのtest。わたしたちのmartialartsは、辛うじて及第点を得た。宿命の打破には、一縷の望みがある」
流れるような声の直後に、周囲に漆黒の闇が訪れ始めた。
気が付くとシルバは、円形闘技場の中央にいた。目の前の地面には黄土色の下り階段があった。一人分の幅で、先は全く見通せなかった。
足を掛けた瞬間、シルバは目覚めた。頭上には、見慣れた自室の天井。ベッドの下には、昨日の納棺の儀で着た黒の礼服が脱ぎ捨てられている。
シルバは素早く立ち上がり、身支度を整えた。一連の事象は夢だと知れた。だが、あまりにも生々しかった。
早い足取りで、無人の廊下を通り抜けていく。時刻は午前七時。皆そろそろ、起き出す頃だった。
ぎいっと音を立てて、扉を開いた。踊り場を抜けて、階段を下りる。草地を貫く道の向こうにリィファの姿があった。
「リィファ! 診療所を抜けてきたのか?」
問い掛けは、図らずも詰問のようになった。
泣きそうな表情で、リィファは駆け寄ってきた。組んだ両手をシルバの胸に当て、ひくひくとしゃくり上げ始める。
「ついさっき目覚めて、こっそり出てきました。……それよりもシルバ先生。お願いですから、正直に答えてください。ジュリアちゃん、昨日の事件で……。し……死んじゃったんですよね」
潤んだ声音の質問に、シルバは目を剥いた。
「……リィファ、お前、何で知ってんだ。ここまで誰にも会わなかったんだろ。いったいどこで……」
言葉が終わらないうちに、複数の足音が小さく聞こえ始めた。
シルバが面を上げると、十人以上の者が二人を囲むように歩いてきていた。ジュリアと年の変わらない少女から背の曲がった老婆まで、あらゆる年代の者が責めるような顔をしていた。
シルバが狼狽えていると、ぱんぱんと乾いた拍手が後ろから聞こえた。
「涙、涙の感動の再会、ってか。めでてぇこった。まあでも、空気は読まねえといけねえよな。そっちのガキと違って、シルバ君はもう大人なんだからよ」
心底、くだらなさげな声に、シルバは左に視線を移した。
広葉樹の直下、右手で松葉杖を突くラスターが、冷え切った目でシルバたちを睨んでいた。