第一章
1
城壁を囲む深い森が、微かな葉音を立てた。
アーチ状の石の城門の下、シルバはおもむろに夜空に目を遣った。遙か天上では無数の星が清らかに輝いており、悠久を強く感じさせた。
ひときわ巨大で、深い青に朧げな白を纏う惑星。地球である。
(ったく、来るなら早く来いってぇの。雑魚と遊んでる暇は、一秒たりともないんだからよ)
心の中で毒突いていると、地球の中心に小さな点が見えた。シルバは視線を逸らさないまま、組んだ両手首を回し始めた。
接近する赤い点は加速度的に大きくなり、シルバの目にも全容が見えてきた。
人型の物体だ。綺麗な起立の姿勢で、頭から飛来してきていた。
ごうっ、と人型の物体は空気を切り裂いた。鈍い音を立てて、シルバの眼前の草地に頭をぶつける。
物体は土煙の中、死んだかのように俯せで倒れ込んでいた。
だがまもなく、ぎぎぎと両手がぎこちない動きを見せ始め、物体は手を突いてむくりと起き上がった。
落下速度と地面の抉れを考えると、ありえない頑丈さだった。
人型の物体は、ぴったりとした赤色の服を身に着けていた。継ぎ目は存在せず、手袋・靴下の白色と目の位置の黒色、胸の真ん中に宝石のような球体の水色が際立っていた。
(今日は赤でお出ましかよ。こないだは桃色だったが、つくづく子供のお絵描きみてえな色のセンスだ。こいつら案外、身体がでかいだけの幼児だったりしてな)
シルバが憮然としていると、赤服はしゅばっと右足を前に出して軽く屈んだ。両手は手刀で、僅かに右が高い位置にある。
小さく息を吐いて精神統一したシルバは、両足を開いて重心を前に置いた。右腕は、顔を庇う位置である。シルバの用いる格闘技、カポエィラの構えだった。
赤服を見据えたシルバは、右手と左足を引いた。両足を三角形の軌道で動かしつつ、ガードの手を変えながら、ゆらゆらと赤服に近づいていく。カポエィラの基礎動作、ジンガだった。
接近を許した赤服は、慌てた様子でハイ・キックを放った。
シルバは右手を突いて、ぐっと上半身を左前に倒した。赤服のキックが空を切る。
シルバは右手を起点に跳び、斜めに回転。踵落としを決める。
肩に食らった赤服の姿勢は、がくりと下へと崩れた。すばやく立ち上がったシルバは、その場でスピン。勢いを付けて跳躍し、左、右と足の甲を赤服に見舞う。
脇を蹴られた赤服の身体は、ぐんと飛んでいった。ジンガの体勢に戻ったシルバは、五歩ほどの距離の赤服を注視する。
赤服は、頭から落ちていた。普通の人間であれば、大ダメージは免れない。
しばらく倒れていた赤服だったが、やがて、すうっと立った。次の瞬間、初めと寸分も違わぬ構えを取る。
(相っ変わらず弱いくせに、信じられないぐらいしぶてえな。動作の妙な機敏さといい、薄気味が悪りいったらねえ)
シルバは、どんっと地面を蹴って赤服に一気に近づいた。急停止の後に前蹴りを放つ。
赤服の胸部にキックが入った。尻餅を搗くが、またしても平然と立ってくる。
以降もシルバは、多彩な蹴りを次々と繰り出した。しかし、赤服にはダメージが行った様子はない。
三分弱が経過して、ピコンピコンという高音とともに、赤服の胸の球体が赤く点滅を始めた。
お構いなしのシルバは、高速の膝蹴り。鳩尾に受けた赤服は、二歩分ほど後ろに倒れた。間髪を入れずに追撃する。
だが赤服は、唐突にふわりと浮いた。そのまま上昇を続けて、シルバの身長の倍ほどの高さへと至った。
(あれだけズタボロにしてやっても、逃げ回った時と同じオチ。つくづくくっだらねえ。サービス精神、皆無ってか。遣り甲斐も蹴り甲斐も、あったもんじゃねえな)
腰に手を当てたシルバが、苛立ちを顔に出した。
すると、転んだ体勢だった赤服の身体は、飛来時と同じ様になった。そのままごうっと天空の地球に向かって、音のような速度でまっすぐに飛び去っていった。