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第10話「その言葉の裏にあるものは」

 店、というヨシロウが口にした単語に、源二の動きが止まる。


「おい、どうしたんだ」


 源二が明らかに動揺しているのを目の当たりにして、ヨシロウも何事かと皿をテーブルに置き、源二に手を伸ばす。

 そっと肩に手を置くと、源二ははっと我に返り、ヨシロウを見た。


「なんだ、お前、元の時代では料理屋でもやってたのか?」


 BMSの選択基準がセキュリティ面だったことや、「IT系の仕事をしていた」という発言から源二が情報系の仕事に就いていただろうと推測していたヨシロウだったが、この反応を見る限り料理に関する仕事も経験あったのか、と考える。

 ああ、と源二が歯切れ悪く頷いた。


「……今の仕事に就く前はレストランのシェフとして修行していたんだ。いつかは自分の店を持ちたいってのが夢だったんだが、色々あってその夢は叶えられなくてな」


 そう、苦し気に呟く源二に、ヨシロウは胸の奥が痛んだような錯覚を覚えた。

 源二が過去か、過去に酷似した世界から来たことは未だに信じられないが認めざるを得ない。そんな源二にも元の場所での生活があったわけで、その生活も順風満帆ではなかったのかと思うといつの時代も夢を叶えられるのは一握りなのか、と感じてしまう。ヨシロウもハッカーとして生計を立てているが、昔はもっと別の夢と希望を持っていたはずだ。それが何だったかはもう忘れてしまったが。


 源二は源二で自分の夢を叶えるべく努力を積み重ねてきたのだろう。その夢が潰え、源二は止むに止まれぬ事情で今の仕事に就いたということか。


「ゲンジ……お前、苦労してたんだな」


 思わず、ヨシロウの口からそんな言葉が漏れた。

 源二がヨシロウを見て、苦し気ながらも苦笑する。


「まぁ、気が付けば自分の常識が古臭い、俺からすればサイバーパンクの創作物じゃないかって思いたくなるような世界に来て、正直どうすればいいやら、だよ」

「『サイバーパンク』ねえ……」


 ヨシロウが、昔観たを思い出す。

 当時の文化では「これが未来だろう」と空想して作られたその映画は、ほぼ完璧に今の世界を再現していた。空飛ぶ車、街中を彩るホロサイネージ、プリントフードに——。

 そんな世界を空想していた時代の人間が源二かと思うと、ヨシロウはいたたまれなくなった。


 一体何が原因で源二はこの時代に現れたのか。源二は元の時代に戻りたいと思っているのだろうか。

 ヨシロウ個人の感情としては源二を元の時代に戻したいという気持ちとこのまま留まってほしいという気持ちが半々だった。BMSは入れたものの見ず知らずの時代せかいで生きていく不安はヨシロウにもわかる。表の社会から裏の社会に足を踏み入れた時にそれは経験している。


 同時に、ヨシロウは源二を「使える」と認識していた。BMSのセキュリティを真っ先に気にしただけではなく、調味用添加物を全部舐めて確認し、データに起こした几帳面さはハッカーとしての素質がある。BMSやフードプリンタの扱いにもすぐに慣れたことで、この世界に対する適応能力の高さも伺える。


 ヨシロウとしても最近は腕を買われての依頼が多いため、アシスタントを雇うことはやぶさかではない。そんな時に保護した源二が訳アリの人間なら願ったり叶ったりだ。

 しかし、もし源二が元の時代に戻ることを考えておらず、その上で自分の道を歩きたいというのなら——。


「ゲンジ、」


 ヨシロウが源二に声をかける。源二が改まったようにヨシロウを見る。


「お前は、どうしたい?」

「どうしたい、って——」


 ヨシロウの言葉の意図が分からず、源二が首をかしげる。

 だが、すぐにその口元に笑みを浮かべた。


「どうせ戻ったところで社畜生活だと考えると新しい環境で心機一転、それこそあんたの言うように店を開くのもいいかもしれないな」

「——、」


 源二の返事は、ヨシロウが思っていた以上に前向きなものだった。


 ——店を開くのもいいかもしれない。


 その、源二の言葉が何故か頼もしい。

 本当に適応能力が高いなと思いつつ、ヨシロウはそうか、と源二の肩を叩いた。


「なら、その夢を叶えろよ」

「ヨシロウ?」


 ヨシロウの言葉に、源二が首をかしげる。

 確かに、「店を開くのもいいかも」とは言ったが、元の世界でレストランオープンのための資金を必死になって貯めていた源二だから分かる。

 店を開きたいと思うのは簡単だが、そこに至るまでが大変なのだと。


 まずは開業資金。次に行政の各種許可。店を開くための立地条件や店舗の規模なども考えなければいけない。さらには近隣の店舗との差別化、客層の想定や従業員の確保など考えることは多い。


 店を開きたいとは言ったものの、今の源二は戸籍も資金も何もない、スタートラインに立つにはマイナスの状況。言ってはみたが、叶えることは夢のまた夢だろう。

 だから、と源二は口を開く。


「まずは、店を開くための基盤作りだ。戸籍はヨシロウに任せるとして、それが済んだらどこかで働いて資金を稼いで——ってところか」


 指折り数えて自分がしなければいけないことは、と考え始める源二に、ヨシロウは少し考えた。

 源二の言葉は正しい。いくら社会進出のためのサポートをヨシロウがすると言ってもその先は源二が自分で道を切り開く必要がある。そうなると源二が店を開けるのはいつになるのか。


——待ちきれない。


 源二が店を持つのを応援したい、という思いがヨシロウの胸をよぎる。

 それは先ほど食べたオニギリがあまりにもおいしく、今の時代では失われた三大欲求がこんなにも人の心を動かすものだったと知り、それをもっと多くの人にも知ってもらいたいと思ってしまった。


 源二一人では店を持つのは難しいだろう。戸籍が何とかなったとしても開業資金を得るまでが大変である。

 それなら、とヨシロウは思わず口を開いていた。


「——俺が手伝う」

「え?」


 ヨシロウの言葉に、源二が声を漏らす。


「手伝う、って——」

「開業資金も、手続き回りも、俺が全部協力する。裏の伝手を全部使ったとしても、お前の開業を俺が助ける」

「なんで——」


 ヨシロウの申し出はありがたい。しかし、まだ会って何日も経っていない、身元も何も分からない人間に対して言うような言葉ではない。裏があると考えるのは当たり前の話だ。


 ただ、ヨシロウが何か裏があってそう言っているわけではないということはなんとなく源二にも分かった。ヨシロウは本心から協力すると言っている。その見返りに、源二に背負い切れない代償を求めていないのは言葉から感じ取れた。そう感じとれるほど、ヨシロウの言葉には必死さが含まれていた。


 それほどおにぎりはおいしかったのか、と思いつつも源二はヨシロウの目を見る。


「お前の飯は魔法だと思った。魔法なんて夢物語のものだと思っていたが、あれはどう考えても魔法だ。その魔法を、独り占めにするのは間違っている」


 だから、お前は店を開け、とヨシロウは源二の肩を掴んでそう続けた。


「……見返りは」


 ヨシロウの熱意は分かった。それなら、源二もその協力を受け入れるべきだと考えた。

 だが、そこで考えなければいけないのはヨシロウが「何を求めているのか」である。


 要求次第ではこの話に乗るのは危険だ。いくらうまい話であってもその裏が危険なものであれば夢を叶えられたとしても地獄を見る。それはあの企業に就職したときに経験したことだ。

 あの時は他に選択肢はなかったとはいえ、収入を得られるという希望はその裏に隠された重労働に押し潰された。慎重になるのも無理はない。


 源二の質問に、ヨシロウが一瞬真顔になる。

 だが、次の瞬間、ヨシロウはにやりと笑って源二に「見返り」を提示した。


「もっといろんな料理を開発して、真っ先に俺に食わせろ」


 それは、ある意味「食欲」に取り付かれた人間の顔だった。

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