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第9話「握り飯から始まる可能性」

「え」


 源二の言葉が理解できない、とヨシロウが源二の顔を見る。


「これ……調味用添加物で味付けした……のか?」


 そんなことがあるわけがない。調味用添加物はあくまでも味覚投影が不具合を起こしたとき等に代用するものであって、甘味や塩味を付けることはできてもここまで深い味は出せないはずだ。


 しかし、源二が出力したライスは単純な甘みや塩味ではない、様々な味が複雑に混ざり合った味をしていた。味覚投影でもここまで複雑な味は出せない。


 ちょっと待て、とヨシロウが水を汲み、味覚投影アプリを起動してライスを選択、水を飲む。

 飲んだのは水だが、脳が認識するのはライスの味。

 しかし、源二が出力したライスを食べた後だと確かに同じような味だがのっぺりとした平坦な、先ほど食堂で源二が言った「均一な味」がした。噛みしめたときの、甘味が強くなっていく感じも、様々な味が混ざり合った複雑さもない。


「……なんだこれ……」


 信じられない、とヨシロウが呟く。


「いや、調味用添加物だけでこんな味が出せるわけ……俺だって調味用添加物を使って味付けしたことがあるんだぞ? あんなの、ないよりマシなだけのものだろうに」

「使った、って、何を使った?」


 調味用添加物があまり売れていないのは店でボトルを見た時点で源二には分かっていた。少し埃をかぶっていたし、誰かが触ったような形跡もほとんどなかったからだ。

 それでも細々と売れているのは特定の添加物の在庫が減っていることで分かる事実。


 「特定の」ということはユーザーは味をつけたとしても一種類か二種類というところだろう。

 それは、とヨシロウが答える。


「塩ナトとスクロースは基本だからって聞いたからその二つで」

「なるほど」


 小さく頷き、源二はテーブルの、ヨシロウの前にいくつかのボトルを並べる。


「単品で使えばそりゃあまずいよ。俺がライスに使ったのはこれだ」


 ヨシロウの前に並べたボトルの数々。

 見ると「アミノ酸」や「アルギニン酸」、「グルタミン酸」といった、ヨシロウも知っている調味用添加物ばかり。

 こんな基本的な調味用添加物で、という思いとそれをこんなにも組み合わせたら、という思いがヨシロウの胸をよぎる。


「まぁ、ただ混ぜればいいってわけじゃなくて配合割合とかはもちろんあるんだが、調味用添加物って基本的な味の構成成分が多いんだな。舐めてみたところあれに使えそう、とか思った味もあったから組み合わせ次第では本当にいろんな料理が再現できる」


 ボトルの一つを手に取り、源二は嬉しそうに笑みをこぼす。


「一応、フードプリンタのユーザーも『おいしく作りたい』と思えば作れる仕組みになっていてよかったよ。ただ、思うところ、味覚投影に慣れすぎて本物の食材の味が分からない、分からないから調味用添加物の使い方が分からない、ってことなんだろうな」


 本物の料理を食べたことは? と源二が続ける。


「ねえよ。もう本物の食材なんて工場でしか作られないし、大量生産も難しいから巨大複合企業メガコープのお偉いさんくらいしか食べられないって聞く。本物食材を使ったレストランなんてトーキョー・ギンザ・シティには存在しねえよ」


 やっぱり、とヨシロウの言葉に源二が呟く。

 フードプリンタが当たり前にあって、屋台でも栄養ペレットニュートリションばかり売られていて、食料品店もフードトナーを扱っているだけの街を見て気づいてはいた。この街で本物の食材を手にすることはほぼ不可能だ、と。


 それでも、あのフードトナーの店で調味用添加物を見つけたとき、源二はえも言えぬときめきを感じていた。本物の食材は無理でも、本物に近づけることは可能ではないか、と。

 だから無理を言って調味用添加物を全種類買ってもらった。思い通りの効果が出るかどうかは賭けだったが、結果は源二の予想以上のものだった。


 そもそも、調味用添加物の中身は実際に本物の食材にうまみを与える成分ばかりだった。

 酸味だけでも「クエン酸」や「酢酸」、「リンゴ酸」など複数あるが、その中でも比較的使いやすい数種類が用意されている。それらを組み合わせれば実質的に無限の味が復元できる。


 そのために、源二はまず全ての調味用添加物を実際に味わって確認した。確認したうえで少しずつ調合し、手始めにライスの味を復元した。

 源二としてもかなり満足のいく仕上がりになり、これならとヨシロウにも食べさせたらこれである。

 ヨシロウは初めて味わう「味覚投影でない」ライスの味に驚いている。


「……やばいわこれ。もっと食いたいかもしれん」


 ぽつり、とヨシロウが呟いた。

 食事というものは生きるために必要な栄養素を摂取するためだけのものだと思っていた。だから必要な栄養素が全て配合されたフードトナーの出力品や栄養ペレットニュートリションを味覚投影で味をごまかして食べればいい、と思っていたしそうしていた。


 しかし、源二が差し出したライスを味覚投影なしで食べ、その味の深さに驚いて実感した。

 かつての人間は、こんなにもおいしいものを食べていたのか、と。

 同時に、「もっと食べたい」という欲が浮かび上がってくる。この味をもっと楽しみたい、と思ってしまう。

 そこで、ヨシロウは思い出した。

 かつての時代の人間には三つの欲があり、それが「食欲」「性欲」「睡眠欲」である、と。


 今の時代にそんなものは存在しない。生きるためだけに栄養は摂取するし睡眠もカフェイン錠と睡眠薬でコントロールできる。性欲に関してはまだ存在していると言ってもいいかもしれないが、感覚投影型ヴァーチャルリアリティVRで疑似体験するブレインシェイカーBSチップさえあれば現実の異性に不必要に接触する必要もない。


 そんな、欲がほぼ存在しないこの世界に生きていたヨシロウだったが、源二のライスを「もっと食べたい」と思ったことで「これが食欲なのだ」と気が付いた。

 おいしいものを食べたい、食べることを楽しみたい、という人間の本能的な欲求。


 ヨシロウが「もっと食いたい」と言ったことで、源二はそれなら、と笑って見せる。


「それならもっといいものがあるぞ。ほら」


 そう言い、源二は別の皿をヨシロウに差し出した。

 皿の上には三角形にまとめられ、黒っぽいシートに包まれたライスが乗っている。


「……オニギリ?」


 皿の上の物体を見たヨシロウが声を上げる。

 オニギリも食べたことがある。黒っぽいシート——確か、ノリという食べ物らしい——に包まれていることで素手で持ちやすく、ハッキングの依頼が立て込んでいるときに重宝していた料理だ。

 確かにただのライスに比べれば少しだけ癖のある料理だが、と思いながらも、ヨシロウは手を伸ばしてオニギリを一つ手に取った。


「ライスの時点でうまかったんだ、それが食べやすくなっただけだろ」

「まあ、いいから食ってみろよ」


 ニヤニヤと、源二が笑いながらヨシロウを見ている。

 そんな源二の態度にいささかの不安を覚えつつも、ヨシロウはオニギリを口に運んだ。

 フードプリンタが実際の食材の食感をかなり再現しているとは聞いていたが、パリッとしたノリを噛み切ったところでヨシロウは違和感を覚えた。


——ノリってこんな味がしたのか?


 ほんの少し青臭いような、独特の香りが広がる。それが不愉快でもなく、不思議な懐かしさを覚えた直後、ライスの深い甘みが口の中を満たしていく。

 ライスとノリの香りが口の中で混ざり合い、ハーモニーを奏でていく。


 あっという間に一口目を飲み込み、ヨシロウは二口目と齧り付いた。

 がぶり、と頬張った瞬間、ノリとライスの味だけでなく、塩味の効いた魚の味が口内を支配した。


「!?」


 思わずヨシロウが食べかけのオニギリを見る。

 黒いノリに包まれた白いライスの中央に、黄色みがかかったピンク色のフレークが入っている。


「これは……シャケオニギリ!」


 ハッキングが長丁場になる時はいつも作っているオニギリだった。エナジーバーもパウチ飲料も甘いので、塩味が欲しい時に用意する食事。

 味覚投影で食べる時はライスとシャケが味がしていたのに、源二が作ったシャケオニギリはライス部分とシャケの部分で完全に違う味がした。それどころか齧った時に含まれるシャケフレークの量で風味の強さが変わる。


「なんだこれ……!」


 夢中でオニギリを頬張り、次のオニギリに手を出す。

 その、次のオニギリの中身はノリをペーストにしたようなものが入っていた。

 シャケフレークとは違い、今度は甘味と塩味がノリの香りと共に優しく広がっていく。


 食べたことがある料理なのに食べたことのない味に、気づけば全てのオニギリを完食していた。

 明らかにカロリーオーバーで、食べすぎたはずなのにその後悔はどこにもない。逆に、いつもの食事では感じない満たされた感情がヨシロウの心に満ち溢れていた。


「……すごいな……」


 完全に語彙を失ったヨシロウが空っぽになった皿を見て呟く。

 こんな美味しいものがこの世にあったとは。

 ヨシロウの反応に、源二がふっと笑う。


「喜んでもらえてよかった」


 源二としても不安はあった。この、食品本来の味が受け入れられなければどうしよう、と。

 最適化され、効率化されたこの世界で、元々の味は不要なものかもしれないという思いはあった。それでも調味用添加物で味の再現をしたのはひとえに「本来の味を楽しみたいし楽しんでもらいたい」という思いだったからだ。


 ヨシロウの反応を見て、源二は確かな手応えを感じた。

 この世界で、この料理は通用した、と。

 ああ、とヨシロウが満足そうに頷く。


「その辺の飯屋で食うよりずっとうまかった。お前、これ——店開けるんじゃないか?」


 ヨシロウのその言葉に、源二は思わず目を見開いた。

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