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第8話「初めて味わう本来の味覚」

「いや待て全種類? 正気か!?」


 源二が調味用添加物を全種類要求したことでヨシロウが驚いて棚と源二を交互に見る。


「普通、こういうものは適当に一つか二つ買うものだろ?」

「いや、全種類必要なんだ」


 とりあえず一種類、いや二種類くらいにしとけと説得を始めたヨシロウに、源二は頑として全種類を希望する。

 暫く棚の前で押し問答した二人だったが、折れたのはヨシロウの方だった。


「……はぁ、仕方ねえな」


 いくらだ、とボトルの値段を確認し、それが……と計算し始める。


「……絶対返せよ」


 ボソリ、と源二に言ったのは想定していたより高かったからなのか。

 もちろん、と源二が頷くと、ヨシロウはもう一度ため息をついて決済を済ませ、大量のボトルが詰まった袋を源二に手渡した。


「……子供がいたらこんな感じなのかねえ……」


 まるで源二が駄々をこねた子供だったかのように呟き、ヨシロウも中くらいのボトルを二つ、手に取った。


「じゃ、帰るぞ」


 ヨシロウがさっさと店を出て帰路に就く。

 源二も調味用添加物のボトルが詰まった袋を大切そうに抱えてそのあとを追いかけた。



「……よし」


 キッチンのテーブルに全ての調味用添加物のボトルを並べ、源二が小さく頷く。


「マジで全種類とか頭おかしいだろ……。んなもん塩ナト砂糖スクロースさえありゃ何とかなるって聞いたことあるぞ?」


 テーブルに置いたボトルを一つ一つ眺め、ラベルを確認する源二にヨシロウがぼやくが、源二はいいや、と首を振りボトルの一つを手に取った。


「確かに、塩と砂糖は料理の基本的な調味料にもなるが、それだけじゃプリントフードに深みを持たせるには足りないんだ。しかしこれだけあれば……基本的な食材は再現できそうだな」


 そう言いながら、源二が手に取ったボトルを開封する。

 ボトルを傾けると粉末が出てきて、あらかじめ用意していた小皿に小さな山を築く。


「ふむ、形としては粉末なのか……どれどれ」


 まずは香り。それから少し舐めて味を確認する。


「舐めたァ!?」


 え、舐めるの、直接? とヨシロウは完全にドン引き状態になっている。

 しかし、それには構わず、源二は調味用添加物一つ一つを手に取り、舐めて味を確認する。

 一種類舐めては水を一口飲んで口の中をリセットし、次の添加物を舐めて……を繰り返すこと数十本。


「なるほど、大体分かった」


 どうやらBMSのメモ帳に一覧も作っていたのだろう、源二が作成した一覧を周囲の人間にも見えるように可視化してヨシロウに見せる。


「こ、細けえ……」


 びっしりとデータが書き込まれた一覧を見て、ヨシロウは思わず声を上げた。

 源二が割と几帳面なところがあるということは出会ってから今までを見てきてなんとなく分かっていたつもりだが、まさか調味用添加物を全て舐めて、その詳細を表にまとめたことで確信した。


 こいつはできる奴だ。一応は独り立ちできるようにサポートはするが、もし仕事が見つからなかったらアシスタントとして俺が雇ってもいいかもしれん、などとヨシロウが見守っていると、源二はメモ帳をプライベートモードに切り替えた。


「ヨシロウ、悪いがここからは企業秘密だ。部屋に戻ってくれないか?」


 突然の源二の言葉。

 ヨシロウが驚いて源二を見る。


「おい、なんだよ部屋に戻れって。俺、この家の家主だぞ?」

「分かってる。だが、うまくいくかどうかも分からないものを見せたくないんだよ」


 うまくいったら見せてやるから、と源二が笑ってみせる。


「……そう言うなら」


 フードトナー専門店での源二の強情さを見たから分かっている。こんな時の源二は何を言っても決して折れない。

 まぁ、後日支払ってくれるらしいし調味用添加物で遊んでもらった方がトーキョー・ギンザ・シティのことをより深く知ることができるか、と自分に言い聞かせ、ヨシロウははいはいと源二に背を向けた。


「あんまり変なことするんじゃねえぞ。添加物で遊ぶのもほどほどにな」


 どことなく幼い子供に言い聞かせるような口調でそう言い、ヨシロウはひと眠りするか、と自室に戻っていった。

 ヨシロウの背を見送り、源二がよし、と両手を叩く。


「久々に扱う食べ物がプリントフードってのも不思議な話だが、やってみますかね、源さんよ」


 フードプリンタに視線を投げ、源二はにやり、と不敵な笑みを浮かべた。



 源二にキッチンを追い出されて数時間、少し仮眠をとるつもりが結局眠くならず、新規で依頼が来ていないかの確認や運用している暗号資産の変動などを見ていたヨシロウはなんとなくの空腹を覚え、デスクの引き出しを開けた。


 そこには忙しいときや小腹が空いたときに腹に入れる用のパウチ飲料を常備していたが、どうやら昨夜の仕事中に飲んだのが最後の一本だったらしく、引き出しに入れていた箱の中身は空だった。


 それならエナジーバーを、と思うがそちらも在庫を切らして現在注文中だったことを思い出す。


「……仕方ねえ、飯でも作るか」


 面倒そうに立ち上がり、ヨシロウは部屋を出てキッチンに向かった。

 キッチンでは源二が調味用添加物で遊んでいるだろうが、フードプリンタを使うことくらいは許してもらえるだろう。

 そもそも家主は俺なのにどうして俺が遠慮しなくちゃいけない、と思いつつもヨシロウがキッチンに入ると、源二はフードプリンタから何かを取り出したところだった。


「……おい」


 思わず出た声がドスの利いたものになり、ヨシロウがまずい、と慌てる。

 だが、源二はその声に怯むことなく、ヨシロウの姿を見て嬉しそうに笑った。


「ちょうどよかった。そろそろ腹が減るころだろうと思ってごはん、作っておいた」

「え、」


 ちょっと待て、フードプリンタの使い方なんて教えてなかっただろうに、とヨシロウが目を丸くする。

 しかし、源二の手の上の皿には確かに出力物が乗っている。

 キッチンに煙が充満していないのでどうやら機械トラブルも一切起こしていない模様。

 源二はというと目を輝かせてフードプリンタに視線を投げた。


「フードプリンタってすごいんだな。データベースにもかなりの数の料理が登録されているし形の再現も完璧じゃないか」


 まるで新しいおもちゃに触れた子供のような目で、源二が早口で言う。


「ああ、使い方はネットで調べた。俺がいたところでも大抵の家電は公式サイトにマニュアルが置かれていたりするからな、型番で検索したら一発だったよ」

「……お前、本当に適応能力高いな」


 知らない時代に来てるんだからもっと焦ろよ、と思いつつもヨシロウは源二が持つ皿の上を見た。

 皿に乗せられた白い粒状のものを寄せ集めた——レシピで言うところの、「ライス」。

 なるほど、まずは基本中の基本から始めたのか、と源二を見ると、源二はニヤニヤとしてヨシロウを見ている。


「とりあえず、食ってくれ。ただし——味覚投影はオフにして」

「はぁ!?」


 思わずヨシロウが叫ぶ。

 いや待て、味覚投影をオフにしたら味しねえのはお前も分かってるだろ、と抗議するように源二を睨むものの、源二はニヤニヤとしてヨシロウにライスの乗った皿を差し出してくる。


「騙されたと思って食ってみてくれ」

「嫌だぞ、まずいって分かってるもの食わされるのは!」


 流石にヨシロウも抵抗する。プリントフードの味気無さはよく分かっている。それを分かっていて食べるのには抵抗があった。

 しかし、源二はそれでも「いいからいいから」と皿を押し付けてくる。


「俺もちゃんと味見して問題ないって判断したんだ、食ってみろ」

「うぅ……」


 あまりの押しの強さに、ヨシロウが思わず皿を受け取る。

 フォークを手に取り、味覚投影はオフにする。


「……まずかったら、追い出すからな」


 せめてもの抵抗にそう呟き、ヨシロウは南無三とライスを口に入れた。


「——!?」


 ライスを口に入れた瞬間、ヨシロウの目が見開かれる。


——味がある!?


 味覚投影オフで食べるプリントフードのような「無」ではない。

 口に入れた瞬間、確かに仄かな甘みが口の中に広がった。

 どういうことだと考えながら、咀嚼する。

 すると、噛むほどに甘味が強くなり、そしてえも言えぬうまみへと変わっていく。


 なんだ、何が起こっている、とヨシロウは混乱した。

 こんなものは食べたことがない。味覚投影オフのプリントフードならほとんど味がしないし、味覚投影でライスを食べてもこんな深みのある味はしない。いや、ライスとしての味はあるが、噛むほどに味が変わるようなことは全くない。


 生まれて初めて感じるその味に、ヨシロウは夢中になってライスを貪っていた。

 食べれば食べるほど味が変わる。その、魔法のような味の変化に、ヨシロウは全ての意識を持っていかれたような錯覚を覚えた。魔法なんて存在しないと思っていたが、源二が出力したライスは魔法としか思えないほどの感動をヨシロウに与え、魅了する。


 ライスを貪るヨシロウを、源二は満足そうな笑みを浮かべて眺めていた。


「うん、成功だな」

「……何をしたんだ」


 気が付けば空っぽになっていた皿を源二に返し、ヨシロウが呆然としたように呟く。

 普通に出力しただけではこんな味は作れないはずだ。一体、どんな魔法をかけたというのだ。

 ヨシロウの質問に、源二がふふん、と笑う。


「簡単なことだよ。フードプリンタに、俺が調合した調味用添加物を投入した」


 そう言った源二の言葉は、ヨシロウには全く想像のできないものだった。

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